八幡神社(瀬戸市水北町)〈『延喜式』乎江神社〉

八幡神社(はちまんじんじゃは 創建年代は不祥 延宝四年(1676)尾張藩主乙世光友の再建と伝わり 『尾張志』に「上水野村の八幡社は境内ひろく 其地を字江の山日呼ひ 東に隣れる藥師堂法松院の山號を上(ウヘ)之山といへるも宇江の轉したる由」延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)の論社としています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

八幡神社(Hachiman shrine

通称名(Common name)

八幡社(はちまんしゃ)

【鎮座地 (Location) 

愛知県瀬戸市水北町(すいほくちょう)1341

〈旧住所 瀬戸市水北町字東山畑二○一番地〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》神功皇后(じんぐうこうごう

《配》成務天皇(せいむてんのう〈第13代天皇〉
   應神天皇(おうじんてんのう)〈第15代天皇〉
   玉依姫命(たまよりひめみこと)

《合》大山祇神(おほやまつみのみこと〈大正六年合祀 山神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

神社名 八幡神社

所在地 瀬戸市水北町字東山畑二○一番地

祭 神
 成務天皇
 應神天皇
 神功皇后
 玉依姫命

由 緒

 草創年暦不祥なるも 延宝四年(一六七六)、尾張瑞龍公再覆造営、尓后藩費を以て修繕、明治四十年(一九○七)神饌幣帛供進指定、昭和十一年(一九三六)、社殿新築遷宮。

拝殿案内板より

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由緒

 社伝明らかならざるも 延宝4年12月20日尾張藩主乙世光友の再建せし所なり。本社の祭神は成務天皇、応神天皇、神功皇后にして、大正6年9月30日山神社を合併合祀せり。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『式内社調査報告第巻』昭和59年に記される内容

『式内社調査報告』に記される式内社 乎江神社の論社の一つとして 上水野村説があり その説では上水野村八幡社(現在の瀨戸市水北町)゛〈現 八幡神社(瀬戸市水北町)〉と記しています

【抜粋】

尾張國 春日部郡 乎江神社
【所在】

未詳 (或いは廃絶したものと思はれる。)

當社については、江戸時代以降六社程議論されてゐるが、いづれも式内乎江神社とするには、根據が弱く説得力に乏しい。

〔D〕上水野村八幡社(現在の瀨戸市水北町)

 『尾張志』に「上水野村の八幡社は境内ひろく其地を宇江の山と呼ひ東に隣れる藥師堂法松院の山號を上(ウヘ)之山といへるも字江の傳したる由 又 社地と法松院とのあはひなる江林坂も宇江林坂といふ意なる由いへり(中略)此八幡社は延實四丙辰 瑞龍院君の御修造なり」とあって、乎江神社の一説として學げてゐる。
しかし上水野村が、舊山田郡に属してゐたことは先學が皆首是してをられ、(『春日井市史』上村喜久子氏「長母寺旧蔵中世文書」 (『名古屋市博物館紀要』太田正弘氏「山田郡の彊城と八事迫について」 (『郷土文化』 ))上水野村八幡社説もとり難い。尚、當社が山田郡に属してゐることは『特選神名牒』や志賀剛氏の『式内社の研究』等も同意見である。

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

『尾張志』6〈明治31年(1898)〉に記される内容

【抜粋意訳】

乎江ノ神社

延喜神名式に春日部郡 平江ノ神社〔ト部兼永本には宇江神社とす〕本國帳に從三位乎江天神〔一本魚江と見え天神とす〕と見えたり

〔上水野村の八幡社は境内ひろく 其地を字江の山日呼ひ 東に隣れる藥師堂法松院の山號を上(ウヘ)之山といへるも宇江の轉したる由  社地と法松院とのあはひなる江林坂も宇江林坂といふ意なる由いへり 本社の七八十間南の方 に直會殿のあと〔今 天王ノ社と申す〕ありて 舊社のおもかけは著(シル)けれとたしかなる傳へなけれは いかかあらん者ふへし 此八幡社は延寶四丙辰年 瑞龍院君の御修造なり〕

【原文参照】

深田正韶 等編 ほか『尾張志』6 春日郡,博文社,明31.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764867

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

八幡神社 本殿

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八幡神社 拝殿・〈拝殿の両脇 境内社

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・〈拝殿向かって右 境内社〉武内神社《主》武内宿禰大臣

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・〈拝殿向かって左 境内社〉直会殿宮《主》建速須佐之男命

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・境内 土俵

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・狛犬

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・社頭の石段

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 乎江神社
[ふ り が な ](をえの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Woe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社(をえの かみのやしろ)〈廃絶〉の論社について

延喜式内社 尾張國 春日部郡 乎江神社は〈廃絶〉と伝わっていますが 江戸時代以降 6社程の論社が議論されています いずれも根拠が乏しく確定はしていません

・廃絶と伝えられ 祭祀を継承した神社は明らかではない

・〈参考論社〉八所社(小牧市本庄郷浦)

・〈参考論社〉熊野社〈熊野神社の五枚岩〉(小牧市岩崎独山)

・〈参考論社〉天神神社(小牧市三ツ淵宮前)

・〈参考論社〉八幡社(瀬戸市水北町)

・〈参考論社〉神明社(春日井市大留)

・〈参考論社〉六所神社(名古屋市西区比良)
〈本殿の両脇に2つの式内論社・非多神社・ 大江神社〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

愛知環状鉄道 中水野駅から東方向へ約1.5km 車での所要時間は5~6分程度

社頭 参道は南を向いています
社頭は 境内地への石段となっています

八幡社(瀬戸市水北町)に参着

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石段を上がると すぐに狛犬が座し 正面に拝殿が建ちます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 御塀が廻されていて その中に本殿が祀られています

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拝殿の両脇には〈境内社〉が祀られています

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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石段を南方向へと下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 乎江神社について 祭神 所在は良くわからないと記しています

【抜粋意訳】

乎江神社

乎江は假字也

○祭神在所等詳ならず

 上田百木は、國帳魚江  一本宇江とあるに依るときは宇乎江にて、互に一字脱せるかと云り、〔連胤〕按るに、當國山田郡 別小江神社もあれば、必脱字にはあるべからず、

類社
 近江國淺井郡、但馬國城崎郡 小江神社、

神位
 國内神名帳云、從三位 乎江天神、 〔一本作ニ 宇江、又 作ニ 魚江、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 乎江神社について 論社とされているが難しいとして゛本庄村に八所明神あ゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉を記しています

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社、

〔○按 乎江、本書一本、宇江に作り、國内神名帳一本、魚江に作る、之に據、乎江疑らくは宇乎江の誤りならむ○又 本庄村に八所明神あ 山を宇江山と云ひ、社の左の小川を宇江川と云ふは、由縁あるに似たれど、社傳に建武中の建立と云へは、いと新しく証とし難し、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 乎江神社について 所在は記されていません しかし 論社として推定できる幾つかを挙げています
本庄村 八所明神゛〈現 八所社(小牧市本庄郷浦)〉
下大留村なる神明社゛〈現 神明社(春日井市大留)〉
上水野字江山八幡社゛〈現 八幡社(瀬戸市水北町)〉

【抜粋意訳】

乎江(ヲエノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按 此社は本庄村 八所明神にて其山を宇江山社の左の小川を宇江川と云へど 社傳に建武年中 肥前 松浦讃岐守建立とあれば 式社にはあるべからず

 篠本庄 下大留村なる神明社と云るもなし
 上水野字江山八幡社と云説あれど は古への山郡なれば從ひがたし
姑く附て考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

八幡社(瀬戸市水北町) (hai)」(90度のお辞儀)

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