走湯神社旧跡地(はしりゆじんじゃ あと)は かつて走湯天王と称し『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「走落神社(はしりおちの かみのやしろ)」とされています 明治40年(1907)9月 小玉神社〈現 走落神社〉に合祀され 現在は旧跡地となっています
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の神社で 「走落神社」の名称を持つ式内社と論社について
- 5 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
- 6 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
- 7 摂津国 式内社 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
走湯神社旧跡地(Former location of Hashiriyu Shrine)
(はしりゆじんじゃ あと)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
大阪府豊能郡豊能町切畑
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》少彦名命(Sukunahikona no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社の旧跡地
【創 建 (Beginning of history)】
旧切畑村の産土神
明治5年村社に列し
明治40年(1907)9月小玉神社に合祀
【由 緒 (History)】
走落神社
切畑村にあり『延喜式』に出づ
ただし 島下郡に載す この村の生土神なり 今走湯天王と称す
『摂津名所図会』より
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座 大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)摂津国 75座(大26座(並月次新嘗・就中15座相嘗祭)・小49座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)島下郡 17座(大5座・小12座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 走落神社 鍬靫
[ふ り が な ](はしりおちの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hashiriochi no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の神社で
「走落神社」の名称を持つ式内社と論社について
攝津國 嶋下郡 走落神社 鍬靫
・走湯神社跡(豊能町切畑)
・走落神社(豊能町木代)
近江國 伊香郡 走落神社
・走落神社(高月町馬上)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
箕面とどろみ I.C. (新名神)から R423号を北東へ約9.8km 車18分程度
切畑の地名の通り 斜面を切り開いて畑にしたような長閑な田園があり その奥の山裾に鎮座の筈です
夏場の参拝ですので 草の丈が高く 鳥居が分かりにくく 少し探しましたが 境内の横手から入る参道がありました
すぐに鳥居が分かりましたので 表参道から
走湯神社旧跡地(Former location of Hashiriyu Shrine)に参着
一礼をしてから鳥居から再び境内へ進みます
壇上に祠が祀られています
祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
祠の裏には 石碑が建てられています
「村社 走湯神社 旧跡地 昭和30年10月建立」と刻まれています
明治40年(1907)9月小玉神社に合祀されていますが 2021年の現在まで114年間も祭祀が続けられているようです
里人の信仰心に深く感謝して頭を垂れ 鳥居を抜けます
眼下には 棚田が広がっています 参道にはカエルがいて 参道を戻るのを見送ってくれています
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
『先代旧事本紀』に祭神として速飄(ハヤラ)命 能勢郡切畑村に鎮座し「走湯天王」と称していると記しています
【意訳】
走落(ハシリオチノ)神社 鍬靫
旧事記 速飄(ハヤラ)命 『先代旧事本紀』
志 今在る 能勢郡切畑村 称す走湯天王
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
所在を能勢郡 切畑村〈現 走湯神社旧跡地〉に在るとし 走湯天王と称すと記しています
【意訳】
走落神社 鍬靫
走落は 波志里於知と訓ずべし
〇祭神詳らかならず
〇今 能勢郡 切畑村に在す 走湯天王と称す類社 近江國 伊香郡 走落神社
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
切畑村の走湯神社〈現 走湯神社旧跡地〉を論社と記しています
【意訳】
走落(はしりおちの)神社 鍬靫
祭神
祭日
社格 村社 明細帳能勢郡切畑村 元中野東村走湯神社あり之を指したる如し村社所在 中野東村 今 能勢郡
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
走湯神社旧跡地(Former location of Hashiriyu Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)