知形大神社(ちかたじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の「武蔵国 幡羅郡 田中神社」の3つの論社のひとつです 『大日本地名辞書』〈明治40年(1907)〉には 鎮座地の田中の地名について 知形明神が式内社の田中神社なので 田中という村名となっていると記しています
目次
- 1 1.ご紹介(Introduction)
- 2 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
- 3 【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
- 4 神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
- 5 神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
- 5.1 『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806)~(906)頃の成立〉に記される伝承
- 5.2 『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
- 5.3 『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
- 5.4 『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
- 5.5 『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
- 5.6 『大日本地名辞書(Dainihon chimei jisho)』〈明治40年(1907)〉に記される伝承
- 6 武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
知形神社(Chikata Shrine)
(ちかたじんじゃ)
[通称名(Common name)]
知形大神社(ちかただいじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
埼玉県深谷市田中612-1(旧・大里郡川本町)
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》彦火瓊瓊杵尊(Hikohononinigi no mikoto)
《合》菊理姫神(Kukuri hime no kami)
伊弉諾尊(Izanagi no mikoto)
伊弉冉尊(Izanami no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
・創建年代不詳
【由 緒 (History)】
知形囃子
(昭和三十七年十二月二十五日指定)享保九年(1794年)頃 知形神社の氏子により受け継がれたものである。毎年七月十五日夏祭りに十一の廊を神輿の渡御の先導になって奏でられたもので知形の囃子、馬鹿囃子、街道下り三曲よりなっている。秩父囃子の源流といわれよく似ている
鳥居の横 案内板より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
社殿向かって左側に 末社の合殿が3棟並んでいます
手前 5社合殿
・八坂神社・諏訪神社・琴平宮・雷電神社・見目神社
中央 4社合殿
・浅間神社・手長神社・稲荷神社・八幡神社
奥の4社合殿
・荒川神社・金山神社・天満宮・愛宕神社
・御神木の根元 石祠3宇〈きつねの素焼きあり 稲荷社〉
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵国 44座(大2座・小42座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)播羅郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 田中神社
[ふ り が な ](たなかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tanaka no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「武蔵国 幡羅郡 田中神社」の3つの論社について
・田中神社(熊谷市三ケ尻)
・三ヶ尻八幡神社(熊谷市三ケ尻)
・知形大神社(深谷市田中)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
秩父鉄道 武川駅から 西南方向へ約700m 徒歩7分程度
社頭には 石積み土台の石灯篭と社号標「知形大神社」が建てられています
知形神社(Chikata Shrine)に参着
鳥居の左横には 拝殿 社務所の記念碑が立てられていて その前には立札があ
ち 知形(ちかた)ばやし 町の指定 文化財
かわもと郷土かるた
受け継がれている知形神社の祭囃子「知形囃子」を郷土のかるたの言葉にしているようです
一礼をして 鳥居をくぐります 扁額には「正一位 知形大明神」と刻まれています
参道には砂利が敷かれていて整然としています 境内はグラウンドのように慣らされた地面が広々とあり 左手には 古い手水鉢が幾つか並んでいます 実際の手水は 水道の蛇口があります
境内から 瓦屋根の社殿を眺めてみます
参道を
拝殿にすすみます 前面には 知形大神社と社号が 大きく掲示されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿向かって左側に 末社の合殿が3棟並んでいます 13社に一つ一つお詣りをしていきます
本殿は漆喰壁の覆い屋に収められている筈です 外からは拝せません
本殿の裏手には 注連縄の廻された御神木があり その根元には 小さな石祠が3宇あり 素焼きのキツネが沢山奉納されています 信仰の厚い稲荷社だと想います お祈りをします
参道を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806)~(906)頃の成立〉に記される伝承
「大己貴神(オナムチノカミ)の系譜」に 五世孫として 建甕尻命(たけみかじりのみこと)が登場します
この神は 式内社 田中神社の祭神ともされ 又の名を 建甕槌命(たけみかつちのみこと)と呼ぶと記されています
しかし この神は「建」と「武」の違いがありますが 鹿島の神「武甕槌命」とは まったく系譜の違う別の神となります
【抜粋意訳】
第4巻「地祇本紀」地祇の系譜「大己貴神の系譜」の条
五世孫(イツツギノハツコ) 建甕尻命(たけみかじりのみこと)
またの名は 建甕槌命(たけみかつちのみこと)
または 建甕之尾命(たけみかのおのみこと)この命は 伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫(がかいろひめ)を妻として 一男をお生みになった
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 田中神社の祭神は 有名な鹿島の神「武甕槌命」ではなく 大己貴命〈大国主命〉の5代孫である 建甕尻命(タケミカジリノミコト)と記しています
【意訳】
田中(タナカ)神社
式考 三箇尻郷 宮嶋村 天神宮 大ナムチ命 五代孫 建甕尻命(タケミカジリノミコト)
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『新編武蔵風土記稿(Shimpen musashi fudoki ko)』〈文政13年(1830)に完成〉に記される伝承
祭神について 思金命(オモイカネノミコト)であるとして 秩父国造 知々夫彦命に由のある神社であると記しています
【意訳】
巻之233 榛沢郡之4 鉢形領之1 田中村の条
知形明神社(チカタミョウジンノヤシロ)
村の鎮守なり
思金命(オモイカネノミコト)を祭るという この命は 秩父国造 知々夫彦命10世の祖なれば 由ある社にや
古(イニシ)へは 千方(チカタ)と書しが いつの頃から 今の文字に改めしといへり
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『新編武蔵風土記稿』1830年(文政13年)著者:間宮士信 [旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局 活版 ,明治17年
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
式内社 田中天神の祭神を 建甕尻命(タケミカジリノミコト)と記しています
【意訳】
田中神社
田中は 多奈加と訓ずべし
〇祭神 建甕尻命(タケミカジリノミコト) 式社考
〇地名記に 祭神 少彦名命 天穂日命と云えるは 信用がたし
〇三箇尻郷 宮島村に在す 地名記 式社考 参考類社
遠江國 磐田郡 田中神社の條を見合うべし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社 田中天神の祭神を 建甕尻命(タケミカジリノミコト)とし 所在を三ヶ尻村 宮島と記しています
【意訳】
田中神社
祭神 建甕尻命(タケミカジリノミコト)
祭日 2月18日
社格 村社
所在 三ヶ尻村 字 宮島 (大里郡三ヶ尻村大字三ヶ尻)
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『大日本地名辞書(Dainihon chimei jisho)』〈明治40年(1907)〉に記される伝承
田中の地名について 知形明神が式内社の田中神社なので 田中という村名となっていると記しています
【意訳】
田中(タナカ)
今 武川村と改む 熊谷の西2里半 寄居の東2里半
延喜式 幡羅郡 田中神社は これなるべし
然るに 近世この村 榛沢郡の所管なりしかば 三ヶ尻の田中天神を以て 式内に擬せるも 村名にも後世まで存するを想へば 此なる知形明神ぞ 式内ならん
知形 又 千方に作り 群内所々に祠号ありて 由縁深き神なるべし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『大日本地名辞書』著 吉田東伍 冨山房1907-10-17
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『大日本地名辞書』
知形神社(Chikata Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)