延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

吉野神社(宮津市文珠宮ノ谷)〈『延喜式』吾野神社〉

吉野神社(よしのじんじゃ)は もと智恩寺の鎮守社 三宝荒神でしたが 明治六年 神仏分離で智恩寺を離れ この地に新たに霊代を奉安し社号を改めました 又『神祇志料』に「須津村より文殊村に出る道を和野塙(わのはな)といふは吾野の訛なり」とあり 延喜式内社 丹後國 與謝郡 吾野神社(わかのの かみのやしろ)の論社でもあります

上山神社(伊根町字菅野小字宮山)〈『延喜式』吾野神社〉

上山神社(うえやまじんじゃ)は 社伝によると 醍醐天皇延喜五年(九〇五)撰上の延喜式内社 丹後國 與謝郡 吾野神社(わかのの かみのやしろ)であると伝えるが 創立年代は後一条天皇長元九年(一〇三六)としています 江戸時代後期に編纂された『丹哥府志(たんかふし)』には延喜式内 吾野神社なり と記されています

須津彦神社・須津姫神社(宮津市須津吉里)〈『延喜式』阿知江いそ部神社・吾野神社〉

須津彦神社・須津姫神社(すづひこじんじゃ・すづひめじんじゃ)は 弘計命〈第二十三代顕宗(けんぞう)天皇〉と兄・億計命〈第二十四代仁賢(にんけん)天皇〉)の二皇子が身を隠され 難を避けられた与謝郡の地に假宮〈眞鈴宮〉を造営された時 祖父の去来穂別天皇と祖母の久呂比賣命の御霊を鎮め祀られた と伝えられています

阿知江いそ部神社(与謝野町岩屋)〈『延喜式』阿知江いそ部神社〉

阿知江いそ部神社(あちえいそべじんじや)は 往昔 雲岩と云う巌石の辺りに鎮座されてあったと云われ 後 現在地に遷したという 西南界を阿知江峠と云い その傍流をいそ部川と云って 社号をもって地名としたと云い伝えがあります 延喜式内社 丹後國 與謝郡 阿知江部神社(あちえいそへの かみのやしろ)の論社です

石部神社(豊岡市出石町下谷)〈『延喜式』石部神社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 927年に編纂された『延喜式神名帳』に所載の式内社 但馬國 出石郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)とされます 創建年代は古く詳らかではありませんが 少なくとも1100年以上前の創建となります 社頭には樹齢1000年と云う御神木の大ケヤキがそびえています

石部神社(朝来市和田山町宮)〈『延喜式』刀我石部神社〉

石部神社(いしべじんじゃ)は 創建について「口碑には 垂仁天皇の朝 敕を奉して祭祀する所と云ふ」と社伝にあります 又 神社の北を流れている東河川の「東河」と「刀我」は同じとされます 延喜式内社 但馬國 朝来郡 刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)の論社です

石部神社(朝来市山東町滝田字マリ)〈『延喜式』朝來石部神社〉

石部神社(いしべじんじゃ)は 正しくは磯部神社で別名「鞠の宮」または「山王社」とも云う 滝田村の北 石部山の南麓に鎮座する延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています 石部山の北麓には 同じく式内社の刀我石部神社(とかのいそへの かみのやしろ)が鎮座しています

熊野神社(朝来市山東町塩田)〈『延喜式』朝來石部神社〉

熊野神社(くまのじんじゃ)は 創建年代は不祥 幕末~明治時代の神職 宮本池臣(みやもと いけおみ)の説によれば゛瀧田村に山王社と稱するあり 礒部庄に塩田明神と稱するあり 礒部の方よき社地なり何れか式社なりとも分きかたし゛ 延喜式内社 但馬國 朝来郡 朝來石部神社(あさこのいそへの かみのやしろ)の論社と伝えています

菅生石部神社(加賀市大聖寺敷地)〈加賀國二之宮〉

菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)は 宮中でお祀りしていた神様を用明天皇ご即位元年(五八六)この地にお遷ししたことが創始 六国史『日本三代実録』に菅生神・『延喜式』には菅生石部神社(すかふのいそへの かみのやしろ)と所載される由緒ある古社で 加賀國二之宮とされています

宮村岩部神社(加賀市宮町)〈『延喜式』宮村いそ部神社〉

宮村岩部神社(みやむらいそべじんじゃ)は 創建年代 祭神ともに不祥 祭神は 天神 或いは櫛日方命とも云う 現在も本殿はなく 瑞垣(土塀)にて囲む内に磐座が祀られる謎多き古社で 古へに社地の南方2km程に遙拜所があった所に 今は鳥居のみが残っています 延喜式内社 加賀國 能美郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)です

箭代神社(氷見市北八代)〈『延喜式』箭代神社〉

箭代神社(やしろじんじゃ)は 元は現在地の後方 中山丘陵にあったとされる 延喜式内社 越中國 射水郡 箭代神社(やしろ かみのやしろ)で 祭神は武内宿禰の第八子 葛城襲津彦命とされますが 武内宿禰の子 波多八代宿禰とする別説もあります いずれにしても氏子にも武内宿禰の後裔が多く「氏祖の神社」と里人に呼ばれています

神明宮(氷見市磯辺 上宮)〈『延喜式』礒部神社の元鎮座地〉

神明宮(しんめいぐう)は 磯部神社(氷見市磯辺)の旧社地とも云われ 延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)の論社となっています 磯部集落の中でも山間部の上宮(かみや)集落に鎮座したが 集落過疎化の為 神社の維持管理ができなくなり 礒部神社に合祀の神事〈2022年11月26日〉が執り行われました

磯部神社(氷見市磯辺)〈『延喜式』礒部神社〉

磯部神社(いそべじんじゃ)は 氷見のヤマフジの名所として知られ見頃には多くの人々が参拝します 古代に八代谷(旧 氷見郡八代村一帯)の土地開拓をした礒部氏が 祖神 天日方奇日方命を御祭神として祀ったと云う 延喜式内社 越中國 射水郡 礒部神社(いそへ かみのやしろ)とされます

柏木神社(甲賀市水口町北脇)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉

柏木神社(かしわぎじんじゃ)は 白鳳元年(673)創建 山王社〈祭神 大己貴命〉でした 建久元年(1190)源頼朝が上洛の折 鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を合祀し社名を若宮八幡宮とした 明治4年(1871)柏木神社と改称しました 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)の論社です

上葦穂神社(湖南市柑子袋)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉

上葦穂神社(かしほじんじゃ)は 孝徳天皇 白雉元年(650)阿星嶽より五色の御旗が降り祀られたのが創祀 この御幡の降った地を御幡塚として現在も聖地と伝える その後社殿を設け 旧社号を白雉神社(博智・博打・薄知)と云う 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)論社の一つです

吉御子神社(湖南市石部西)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉

吉御子神社(よしみこじんじゃ)は 社伝に 崇神天皇六十八年に神降があり 垂仁天皇二年に宇加之彦の子 吉比古・吉比女の神を谷黒の御前に祀り創祀と云う 弘仁二年(811)災害により石部宿の東西に分社され 西側に鎮座しました 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)の後身とされます

鹿鹽上社 吉比女宮跡〈御旅所〉(湖南市石部東)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉

鹿鹽上社 吉比女宮跡(かしほのかみしゃ きちひめのみやあと)は 式内社 石部鹿鹽上神社の論社「吉姫神社」の旧鎮座地で 現在は御旅所となっています 元々は柏木と称す所から当地へ遷座 明応年度(1492~1501)兵火により焼失し 社記には「寛保3年(1743)12月14日の夜 今の地に遷り給へる」と伝えています

吉姫神社(湖南市石部東)〈『延喜式』石部鹿鹽上神社〉

吉姫神社(よしひめじんじゃ)は 創祀年代は不詳です 御旅所のある上田の地に斎き祀られていたが 明應年度(1492~1501)兵火によりこれを焼失し 社記には「寛保3年(1743)12月14日の夜 今の地に遷り給へる」とあります 延喜式内社 近江國 甲賀郡 石部鹿鹽上神社(いそへのかしほのかみの かみのやしろ)の論社です

石部神社(鯖江市磯部町)〈『延喜式』石部神社〉

石部神社(いそべじんじゃ)は 周囲には磯部(いそべ)古墳群もあり もとは鳥立山の山頂部に旧鎮座地があって 貴船明神と称されていたと伝わります  明治九年(1876)「参拝の便が悪く」との事で 現在地〈集落の奥 山の中腹〉に遷座した 延喜式内社 越前國 今立郡 石部神社(いそへの かみのやしろ)とされます

石部神社 上社跡〈石部神社の御旅所〉(愛知郡愛荘町石橋)〈『延喜式』石部神社二座〉

石部神社 上社跡(いそべじんじゃ かみしゃあと)は 石部神社は 元々は二座で 上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれていたが 応仁・文明の乱(1467~1477年)で上社は罹災(りさい)し 下社(現在地)境内に移されたと伝わる 上社の跡地は磯部の小字善法寺方といわれ 現在は石部神社 下社の御旅所となっています

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