延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

矢田神社(京丹後市峰山町矢田)〈『延喜式』矢田神社〉

矢田神社(やたじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に「元は屋退(やた)〈養父 和奈佐翁の家を退去された比治山の天女 豊宇賀能賣命を祀った意〉」と記され 元明天皇 和銅六年(713)地名は好字を用いるとの勅により 「屋退」は不吉 好字の「矢田」とした とも云う 延喜式内社 丹後國 丹波郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です

矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)(『延喜式』矢田神社)

矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が勅命により丹波国に至り 山陰の平定祈願のため矢田神社〈矢田部の祖神〉を創祀 奈良朝に至り蘇我氏との争いに物部氏亡び 恐れた矢田部氏は宇佐八幡宮を勤請し矢田八幡と改称 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社です

矢田神社(京丹後市久美浜町海士)〈『延喜式』矢田神社〉

矢田神社(やたじんじゃ)は 口碑によれば 元の鎭座地は 御祭神 建田背命〈丹後国造 但馬国造等の祖〉別名 神服連海部直(かんはとりのむらじあまべのあたえ)の館跡 六宮廻(ろくのみやまわり)辺り 矢須田(久美浜町橋爪)と云い 廃絶後 中世に現在地に遷座した 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です

伊豆志彌神社(京丹後市久美浜町出角宮ノ谷)〈『延喜式』伊豆志彌神社〉

伊豆志彌神社(いずしやじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に第11代 垂仁天皇の時代〈皇紀632年~皇紀730年〉川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)によって勧請と記されています 延喜式内社 丹後國 熊野郡 伊豆志彌神社(いつしみの かみのやしろ)です 江戸時代の旧称は 筈森大明神(箱森大明神)と呼ばれていました

圓田神社(上越市名立区丸田)〈『延喜式』圓田神社〉

圓田神社(まるたじんじゃ)は 『神社明細帳』によると 天應元年(781)四月の創立 社殿は大同二年(807)飛騨の内匠の作と伝える 丸田を中心に名立谷に勢力をもつた有力氏族が奉斎したのであろうとされます 延喜式内社 越後國 頸城郡 圓田神社(まろた〈えんた〉の かみのやしろ)です

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