延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について

壱岐島(いきのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 壹岐嶋 24座(大7座・小17座)の神社です

薩摩国 式内社 2座(並小)について

薩摩国(さつまのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 薩摩国 2座(並小)の神社です

日向国 式内社 4座(並小)について

日向国(ひむかのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 日向国 4座(並小)の神社です

筑後国 式内社 4座(大2座・小2座)について

筑後国(ちくごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 筑後国(ちくごのくに) 4座(大2座・小2座)の神社です

肥前国 式内社 4座(大1座・小3座)について

肥前国(ひぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 肥前国 4座(大1座・小3座)の神社です

豊後国 式内社 6座(大1座・小5座)について

豊後国(ぶんごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊後国 6座(大1座・小5座)の神社です

飛騨國(ひだのくに)の 式内社 8座(並小)について

飛騨国(ひだのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社一覧表です 飛騨国には 8座(並小)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

筑前國 式内社 19座(大16座・小3座)について

筑前国(ちくぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 筑前国(ちくぜんのくに)には 19座(大16座・小3座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

角鹿神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)

角鹿神社(つぬがじんじゃ)は 社伝には 祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)〈任那(みなま)の皇子〉は 崇神天皇の御代 氣比の浦に上陸し 天皇に貢物を奉り 氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられたとあり その政所(まんどころ)の跡に鎮座する門神〈往古は氣比神宮の東門口が表参道〉でした 敦賀(つるが)の地名は 御神名 角鹿(つぬが)が語源とされる

家島神社(姫路市家島町)〈『続日本後紀』家嶋神『延喜式』名神大社 家島神社〉

家島神社(いえしまじんじゃ)は 社伝には 神武天皇が東征途中 当地に御寄港になられ 港内が大変穏やかで「あたかも家の中にいるようで静かだ」と云われ 家島と名付けた 又 神功皇后 三韓御門出の時 天神を祀り給ふに山中ゆりければ ゆるの山と古歌にも詠まれました 国生み神話の伝承地 播磨灘の中央に浮かぶ家島諸島に鎮座します

紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について

紀伊国(きいのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 紀伊国 31座(大13座・小18座)の神社です

高良大社奥宮〈奥の院〉(久留米市御井町)

高良大社 奥宮〈奥の院〉(おくみや)は 白鳳七年(687)高良山に仏教を伝えた隆慶(りゅうけい)上人が 毘沙門天(高良神の本地)を感見して 天竺〈インド〉の無熱池(むねつち)の清涼な水を法力で招き寄せたとする清水に 毘沙門堂を建てた 高良山信仰の原点となる聖地です 江戸時代には 高良大明神の御廟所「高良廟」「御神廟」〈別墅(別所)〉と称されていました 

近江國 式内社 155座(大13座・小142座)について

近江国(おうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 近江国には 式内社 155座(大13座・小142座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

美濃國(みののくに)の 式内社 39座(大1座・小38座)について

美濃国(みののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美濃国には 39座(大1座・小38座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

南宮御旅神社(垂井町府中)

南宮御旅神社(なんぐうおたびじんじゃ)は 往古は 南宮大社が鎮座していたとも伝わり その境内は 美濃国府跡にあり 國府の宮〈美濃国総社〉ともされています 一説には 現在の南宮大社は 遷座の際 古宮の南方に位する「南の宮」の意から 南宮と云われる様になったと伝えます

建部神社(五個荘伊野部町)〈近江一の宮「建部大社」の元宮〉

建部神社(たてべじんじゃ)は 建部大社〈近江国一之宮〉旧社地の伝承地です 景行天皇46年(316)4月 神崎郡建部郷 千草嶽に 日本武尊の神霊を祀り建部大明神と崇めたのが起源とされ 天武天皇 白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地に遷座されたと伝わります

神洗神社(一宮町綱田)

神洗神社(かみあらいじんじゃ)は 神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸され その髪〈御体〉を洗われた処とされ 玉前神社(一宮町一宮)の元宮とされます 現在は その末社として奉 ...

濱宮(和歌山市毛見)〈日前神宮・國懸神宮の元宮〉

濱宮(はまのみや)は 神武天皇が御東征のとき 神鏡及び日矛を天道根命に託し 斎祭せしめた日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)の元宮であり 豊鋤入媛命が斎祭った元伊勢 奈久佐浜宮(なくさのはまのみや)でもあります

三生神社〈亥の森:伊太祁曽神社 旧鎮座地〉(和歌山市伊太祈曽)

三生神社(みぶじんじゃ)は 亥の森(いのもり)とよばれる伊太祁曽神社の旧鎮座地の森に鎮座します 御祭神は本社と同じ 五十猛命(いたけるのみこと)大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)都麻津比賣命神(つまつひめのみこと)を祀ります

石船神社(東茨城郡城里町岩船)〈延喜式内社〉

石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります

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