延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について

紀伊国(きいのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 紀伊国 31座(大13座・小18座)の神社です

高良大社奥宮〈奥の院〉(久留米市御井町)

高良大社 奥宮〈奥の院〉(おくみや)は 白鳳七年(687)高良山に仏教を伝えた隆慶(りゅうけい)上人が 毘沙門天(高良神の本地)を感見して 天竺〈インド〉の無熱池(むねつち)の清涼な水を法力で招き寄せたとする清水に 毘沙門堂を建てた 高良山信仰の原点となる聖地です 江戸時代には 高良大明神の御廟所「高良廟」「御神廟」〈別墅(別所)〉と称されていました 

近江國 式内社 155座(大13座・小142座)について

近江国(おうみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 近江国には 式内社 155座(大13座・小142座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

美濃國(みののくに)の 式内社 39座(大1座・小38座)について

美濃国(みののくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 美濃国には 39座(大1座・小38座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

南宮御旅神社(垂井町府中)

南宮御旅神社(なんぐうおたびじんじゃ)は 往古は 南宮大社が鎮座していたとも伝わり その境内は 美濃国府跡にあり 國府の宮〈美濃国総社〉ともされています 一説には 現在の南宮大社は 遷座の際 古宮の南方に位する「南の宮」の意から 南宮と云われる様になったと伝えます

建部神社(五個荘伊野部町)

建部神社(たてべじんじゃ)は 建部大社〈近江国一之宮〉旧社地の伝承地です 景行天皇46年(316)4月 神崎郡建部郷 千草嶽に 日本武尊の神霊を祀り建部大明神と崇めたのが起源とされ 天武天皇 白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地に遷座されたと伝わります

神洗神社(一宮町綱田)

神洗神社(かみあらいじんじゃ)は 神代の昔 御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)が海から上陸され その髪〈御体〉を洗われた処とされ 玉前神社(一宮町一宮)の元宮とされます 現在は その末社として奉 ...

濱宮(和歌山市毛見)〈日前神宮・國懸神宮の元宮〉

濱宮(はまのみや)は 神武天皇が御東征のとき 神鏡及び日矛を天道根命に託し 斎祭せしめた日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)の元宮であり 豊鋤入媛命が斎祭った元伊勢 奈久佐浜宮(なくさのはまのみや)でもあります

三生神社〈亥の森:伊太祁曽神社 旧鎮座地〉(和歌山市伊太祈曽)

三生神社(みぶじんじゃ)は 亥の森(いのもり)とよばれる伊太祁曽神社の旧鎮座地の森に鎮座します 御祭神は本社と同じ 五十猛命(いたけるのみこと)大屋津比賣命(おおやつひめのみこと)都麻津比賣命神(つまつひめのみこと)を祀ります

石船神社(東茨城郡城里町岩船)〈延喜式内社〉

石船神社(いしふねじんじゃ)は 鳥石楠船命(とりいしくすぶねのみこと)〈別名を天鳥船神〉を祀ります 『古事記』では 天照大御神の詔により 葦原中国(あしはらのなかつくに)への使者として 天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を建御雷神(たけみかづちのかみ)に添えて 遣(つかわ)したとあります

宗形神社(米子市宗像)

宗形神社(むなかたじんじゃ)は 太古 宗像氏族が九州からこの地に来着し 祖神 宗像三女神をお祀りしたものと伝わり 伝承では 素戔嗚尊が宗像から船で三女神を連れて上陸し 後に船は〈お船塚〉石と化したされます 又「天稚彦命(あめのわかひこのみこと)が 高胸坂で返り矢を受けた」との古事は この胸形(むなかた)として 天稚彦命を祭神とする説があります

大野見宿禰命神社(鳥取市徳尾)

大野見宿禰命神社(おおのみすくねのみことじんじゃ)は 御祭神に出雲国造の血筋にあたる角力(すもう)の祖 野見宿禰命(のみのすくねのみこと)を祀ります 『延喜式神名帳927 AD.』所載 因幡国 高草郡 大野見宿禰命神社(おほのみのすくねのみことの かみのやしろ)とされます

大和佐美命神社(鳥取市上砂見)

大和佐美命神社(おおわさみのみことじんじゃ)は 式内社 大和佐美命神社(おほやまと さみのみことの かみのやしろ)とされます 御祭神 大和佐美命の御名は〈オワサミノミコトorオホヤマトサミノミコト〉とされ 諸文献には記されない神で 野見宿禰命(のみのすくねのみこと)の父ではないかとの説もあります

阿太賀都健御熊命神社(鳥取市御熊)

阿太賀都健御熊命神社(あだかつ たけみくまのみこと じんじゃ)は 社殿一帯に玄武岩柱状節理がみられ これは「御祭神 健御熊命が 一夜で 隠岐島に石橋を架け造ろうとしたが にわかに夜が明けたと思い 事成らず捨置き給ふ趾」と伝説があります 式内社の阿太賀都健御熊命神社(あたかつ たけみくまのみことの かみのやしろ)とされます

天日名鳥命神社(鳥取市大畑)

天日名鳥命神社(あめのひなどりのみことじんじゃ)は 中古に神廟 燹火(へいか)の災に遭(あ)ひ 燔滅(せんめつ)し 後の代に 本社一宇を建て 三神〈天日名鳥命 天穂日命 天日鷺命〉共に祭祀し「天三祇の宮」と称したとの事 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の因幡国 高草郡 天日名鳥命神社(あまひなとりのみことの かみのやしろ)とされます

石見國(いわみのくに)の 式内社 34座(並小)について

石見国(いわみのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 石見国には 34座(並小)の神々が坐します 現在の論社についても掲載しています

因幡國 式内社 50座(大1座・小49座)について

因幡国(いなばのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 因幡国には 50座(大1座・小49座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています

出雲國造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)について

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

日吉神社(鳥取市布勢)&天穂日命社〈境内摂社〉

日吉神社(ひえじんじゃ)は 国の史跡「布勢古墳」と同じ丘陵地にあり 俗に「布勢の山王さん」と呼ばれ親しまれています 境内摂社の天穂日命社〈あめのほひのみことのやしろ〉は 山王社地宝筐印塔(さんのうしゃじほうきょういんとう)を御神体とする式内社 因幡國 高草郡 天穗日命神社の論社です

天穂日命神社(鳥取市福井)

天穂日命神社(あめのほひのみことじんじゃ)は 古代 稲葉国造(いなばのくにのみやつこ)の氏神として天穂日命が祀られたものであったと伝わります 『延喜式神名帳(927年編纂)』所載の因幡國 高草郡 天穗日命神社の論社です

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