延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)

大麻止乃豆乃天神社(稲城市大丸)〈延喜式内社の論社〉

大麻止乃豆乃天神社(おおまとのずのてんじんじゃ/おおまとのつのあまつかみのやしろ)は 『延喜式神名帳』に所載 武蔵國 多磨郡 大麻止乃豆乃天神社(おほまとのつの あまつかみのやしろ)の論社です 江戸時代には 丸宮明神(まるみやみょうじん)と称されたので 式内社の「麻止乃宮(まとのみや)」と訛り生じた説が有力です

不動寺(寄居町富田)〈小被神社 旧鎮座地〉

不動寺(ふどうじ)は 第27代安閑天皇の朝〈531~536年〉郡家郷(ぐうけきょう)富田鹿(とみたろく)が 富田村字塚越(現在の大聖山真言院不動寺境内)に祠を建て゛小被神゛を祀った〈式内社 小被神社の旧鎮座地〉とされ 平安時代末期には この地を領有した 武蔵七党のひとつ猪俣党一族の武将 不動寺太郎の居館跡であったとも 男衾氏・横瀬氏の館跡とも云われています

小被神社(寄居町富田)〈『延喜式』小被神社〉

小被神社(おぶすまじんじゃ)は 第27代安閑天皇の朝〈531~536〉郡家郷(ぐうけきょう)富田鹿(とみたろく)が郡内鎮護のため創祀と伝承され 当初の鎮座地は 現在の不動寺(寄居町富田)の境内地辺りで 天正年間(1573~1591)この地に遷座 延喜式内社 武蔵國 男衾郡 小被神社(をふすまの かみのやしろ)の論社です

妻沼聖天山 歓喜院(熊谷市妻沼)

妻沼聖天山 歓喜院(めぬましょうでんざん かんぎいん)は 治承3年 (1179) 斎藤別当実盛公が 守護神としていた歓喜天を『延喜式神名帳』所載 武蔵國 幡羅郡 白髪神社が祀られていた鎮守の杜゛大我井の森゛に祀り創建されました  その後 白髪神社は 聖天社に合祀され 明治維新後 独立分離し 大我井神社として再興しています

大我井神社(熊谷市妻沼)

大我井神社(おおがいじんじゃ)は 明治維新の神仏分離令により 聖天様より新たに分離独立した伊弊諾命・伊弉冉命を祀る二柱神社を 太古に白髪神社を祀ったとされる゛大我井の杜゛と呼ばれる現在地に再興したものです 古くは聖天宮(妻沼聖天山)に合祀されていたと伝わる 二つの延喜式内社〈・白髪神社(しらかみの かみのやしろ)・楡山神社(にれやまの かみのやしろ)〉の論社となっています

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