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宇美神社(出雲市平田町)

宇美神社(うみじんじゃ)は 熊野社に天正十六年(1588)に諸社を合祀し熊野権現社となり 合祀社の一つに式内社の論社〈廻大明神〉があって『雲陽志1835AD.』には 布都御魂命(ふつみたまのみこと)を祀る所の迫大明神(さこだいみょうじん)「風土記に沼田郷 宇美社というは この社なり」と記されます

三社神社(出雲市小伊津町)

三社神社(さんしゃじんじゃ)は 『雲陽志(unyo shi)1835AD.』楯縫郡 古井津(koizu)では「或る人曰く 風土記に載る「水社(みず)のやしろ」これなり」とあり『風土記鈔』には「古井津浦(こいづうら)の三社大明神〈現 三社神社(出雲市小伊津町)〉なり」と記されています

水神社(出雲市本庄町)

水神社(みずじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「水社(みず)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』所載の楯縫郡「水神社(みずのかみのやしろ)」の論社とされ 雨乞の祈祷に霊験著しいと崇敬を集めています

狗賓神社〈御津神社の 古社地〉(出雲市三津町)

狗賓神社(ぐひんじんじゃ)は 三津浦を見下ろす丘陵にあり『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」の阯とされます 岩山の岩窟を祀り「上松権現」と呼ばれていました 御津神社(出雲市三津町)の当所古社地であったとされます

御津神社(出雲市三津町)

御津神社(みつじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」とされています 現在は海岸から離れた内陸に鎮座していますが かつては「御津」に相応しく「三津浦」に鎮座していたとされます

鞆前神社(出雲市坂浦町)& 日御碕神社(出雲市坂浦町)

鞆前神社(ともさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡「佐香浜 さかはま」〈現 坂浦 さかうら〉に鎮座し 楯縫郡の神祇官社「佐加社(さか)のやしろ」と伝わり 不在神祇官社「鞆前社(ともさき)のやしろ」でもあり 由緒深き神社です

佐香神社(出雲市小境町)

佐香神社(さかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「佐加社(さか)のやしろ」の論社です 御祭神は酒造の神「久斯之神(くすのかみ)=少彦名命」です 風土記に「全国から集まった神々が 180日もの宴をした」と記され 日本の「どぶろく」の発祥の地とされています

紫菜島神社〈許豆神社 (稲荷神社)境内へ遷座〉(出雲市十六島町)

紫菜島神社(のりしまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 不在神祇官社「紫菜嶋社(のりしま)のやしろ」とされ 古代より 十六島海苔(うっぷるい のり)の神様として崇敬されています 大正時代に十六島(うっぷるい)の許豆神社(こづじんじゃ)の境内へ遷座して摂社となっています

許豆神社〈稲荷神社〉(出雲市十六島町)

許豆神社(こづしんじゃ)〈稲荷神社〉は 十六島(うっぷるい)浦を見渡す山の斜面に鎮座します 『出雲國風土記( 733 AD.)』所載社の「又許豆社(またこづ)のやしろ」とされていて 境内摂社の紫菜嶋神社も『出雲国風土記』所載の「紫菜島社(のりしま)のやしろ」とされています

『出雲國風土記』神門郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】25社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)   『出雲國風 ...

『出雲國風土記』神門郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】12社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)  『出雲國風土記』神門郡 ...

『出雲國風土記』神門郡(kando no kori)条 所載の神社 37社

神門郡の神社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

 『出雲國風土記』神門郡(kando no kori)条 所載の神社の数は「37社」です 
 「25社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「12社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

許豆神社〈南宮〉(出雲市小津町)

許豆神社〈南宮〉(こづじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』楯縫郡に所載の神祇官社「同社〈許豆社〉(おなじき)やしろ」『延喜式神名帳927 AD.』所載の社「許豆神社 こつのかみのやしろ」とされています

峴神社(出雲市万田町)

峴神社(みねじんじゃ)は 『出雲國風土記(733AD)』に所載の楯縫郡 不在神祇官社「峴之社(みねの)やしろ」とされています 明治43年4月(1910)本殿造営にあたり「人骨・石棺」が出土 出雲市の古墳にも指定されています

許豆神社〈鹿島神社〉(出雲市小津町)

許豆神社〈鹿島神社〉(こづじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD』の楯縫郡  不在神祇官社「許豆乃社(こづの)のやしろ」とされる伝統ある神社です 江戸時代は鹿島大名神と呼ばれ 明治4年(1871)に「許豆神社」に復しました

許豆神社〈恵比寿神社〉(出雲市小津町)

許豆神社(こづじんじゃ)〈恵比寿神社〉は 創建年代不詳ですが 出雲國風土記733 AD.』に所載される 楯縫郡 不在神祇官社「又許豆社(またこづの)のやしろ」とされます 境内には「塩の権現」と呼ばれる6世紀頃に築造の古墳があります

大井神社(松江市大井町)

大井神社(おおいじんじゃ)は 『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の島根郡 不在神祇官社「大井社(おほい)のやしろ」とされています 社頭には 大井の地名となった清らかに澄んだ湧水「大井の池」〈神々が朝の炊事に用いられたとされる伝説の神池〉があります

『出雲國風土記』出雲郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】58社

『出雲國風土記』出雲郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】58社は 写本の順番で並んでいます

『出雲國風土記』出雲郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】64社

『出雲國風土記』出雲郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】64社は 写本の順番で並んでいます

『出雲國風土記』出雲郡(izumo no kori)条 所載の神社 122社

『出雲國風土記』出雲郡(izumo no kori)条 所載の神社の数は「122社」です 
 「58社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「64社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

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