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賣布神社(宝塚市売布山手町)〈『延喜式』賣布神社〉
賣布神社(めふじんじゃ)は 社傳には 推古天皇十八年の勧請とある 神仏習合時に「貴船大明神」と称されましたが 徳川八代将軍吉宗公が元文元年(1736)寺社奉行大岡越前守忠相に命じ大阪の佛者並河五市郎が調査し「賣布社」であると判明 延喜式内社 攝津國 河邊郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の比定社です
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賣布神社跡(豊岡市日高町国分寺字山ノ脇)〈『延喜式』賣布神社〉
賣布神社跡(めふじんじゃ あと)は 延喜式内社 但馬國 氣多郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)の跡地です 往古は禰布ヶ森に鎭座し 洪水で社殿が流され 中世に天神山中腹に遷宮 萬延元年(1860)本殿再建 文久二年(1862)この地に遷座 令和元年(2019)中世の鎮座地〈現 荒神神社に合祀遷座〉へと戻りました
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賣布神社(京丹後市網野町木津女布谷)〈『延喜式』賣布神社〉
賣布神社(めふじんじゃ)は 垂仁天皇90年 但馬国造 田道間守は 勅を奉じて常世國に渡航し 不老不死の香菓たる橘を得て 景行天皇元年に帰国しました この時 報賽の爲めに この地〈田神山〉に神籬を設けて奉祀したのが 当社の創始と伝わります 延喜式内社 丹後國 竹野郡 賣布神社(ひめふの かみのやしろ)です
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矢田神社(京丹後市峰山町矢田)〈『延喜式』矢田神社〉
矢田神社(やたじんじゃ)は 『丹後舊事紀』に「元は屋退(やた)〈養父 和奈佐翁の家を退去された比治山の天女 豊宇賀能賣命を祀った意〉」と記され 元明天皇 和銅六年(713)地名は好字を用いるとの勅により 「屋退」は不吉 好字の「矢田」とした とも云う 延喜式内社 丹後國 丹波郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)です
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矢田八幡神社(京丹後市久美浜町佐野)(『延喜式』矢田神社)
矢田八幡神社(やたはちまんじんじゃ)は 崇神天皇の御代 四道将軍 丹波道主命が勅命により丹波国に至り 山陰の平定祈願のため矢田神社〈矢田部の祖神〉を創祀 奈良朝に至り蘇我氏との争いに物部氏亡び 恐れた矢田部氏は宇佐八幡宮を勤請し矢田八幡と改称 延喜式内社 丹後國 熊野郡 矢田神社(やたの かみのやしろ)の論社です





