愛宕神社(あたごじんじゃ)は 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 火電神社(いなひかりの かみのやしろ)の古社跡地です 愛宕大権現〈式内社 火電神社〉のご神体は 明治41年(1908)明治政府の「神社令」により 陶荒田神社に合祀されました 現在の社殿は 戦後新たに福田の人々の信仰によって 元の境内地の一隅に愛宕神が奉斎されたものです
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
愛宕神社(Atago shrine)〈火雷神社古社跡地〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
大阪府堺市中区福田484-9
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》愛宕神(あたごのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社〈古社跡地〉
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
江戸時代は ・愛宕地藏権現・愛宕大権現 と称していた
明治41年 陶荒田神社に合祀
戦後 愛宕神を勧請して愛宕神社が祀られている
〈陶荒田神社からの分祀ではない爲 式内社の復帰再建ではない〉
【由 緒 (History)】
愛宕神社 の 由緒
当社は、平安時代中期(西暦927年)に勅令で編纂された「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記された
「式内社(しきないしゃ)」で、古社名は「火雷(ほのいかづち)神社」(写本の中には「大電(いなびかり)神社」と記すものもある)という。日本神話によると「火雷神(ほのいかづちおおかみ)」は、国産みの神である伊邪那美命(いざなみのみこと)が死んだ後に生じた8神の一つと伝えられ、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みへの感謝の信仰から生まれた農耕の神である。
近年まで当地では、日照りが長く続いた時には人々が毎夜、松明をもって当社を詣で「とんど」を焚いて恵みの雨を求めて祈りを続けた。
現在の社名「愛宕神社」は、「大野」や「大野ヶ芝」と呼ばれた起伏の大きい松林の点在する芝原であった福田の地が、陶器藩第二代藩主・小出有棟の命を受け氏家(屋号は福島屋)次郎兵衛武俊が正保元年(1644年)から3年をかけて開墾された江戸時代の初めに改まったものと思われる。
愛宕権現は仏教の「勝軍(しょうぐん)地蔵」を本地仏とし、火難除けや盗難除けの神である。
「福田」は開墾当初「大野新田」と呼ばれたが、開墾の成功を喜んだ小出有棟が
「一霞(ひとかすみ) ひらきやえたり 福田村」
を詠んで、開墾を請け負った福島屋にちなんで付けられた地名である。当社は明治41年に、「一村一社」による国家神道の育成と神仏習合の廃止を決めた「神社令」が発せられたことにより廃止され、ご神体は上之の陶荒田神社に合祀され、3000坪を超える広い境内地は近隣の人たちに払い下げられたが、この後も福田の人々の信仰によって元の境内地の一隅に設けられたのが現在の社殿である。
当社務所南側にある屋根型は、明治の廃社によって萩原神社に移築されていた旧本殿の一部で、参道脇の2基の灯篭は平成21年に陶荒田神社より返還されたものである。
現地案内板より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・当地に鎮座していた゛愛宕大権現〈式内社 火電神社〉゛は 明治四十一年(1908)陶荒田神社に合祀された
〈現在の愛宕大神とは別〉
・陶荒田神社(堺市中区上之)
〈火電神社 現在の合祀先〉
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
愛宕神社(堺市中区福田)は 式内社 火雷神社の古社跡地です
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉國 62座(大1座・小61座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 火電神社
[ふ り が な ](いなひかりの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Inahikari no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
火雷大神(ほのいかづちのおほかみ)について
神名の示す通り゛雷神゛
別名を・火雷神(ほのいかづちのかみ)・雷神(いかづちのかみ)・八雷神(やくさいかづちのかみ)とされ
農耕民族であった古代日本人の信仰から生まれた神で 雷に対する畏れ 稲妻と共にもたらされる雨の恵みをもたらす神と考えら 水神とも結びついています
『記紀神話』では 火雷大神(ほのいかづちのおほかみ)とは
伊邪那美命の体に生じた8柱の雷神それぞれが 雷が起こす現象を示す神として描かれています
・大雷神は強烈な雷の威力を
・火雷神は雷が起こす炎を
・黒雷神は雷が起こる時に天地が暗くなる事を
・咲雷神は雷が物を引き裂く姿を
・若雷神は雷の後での清々しい地上の姿を
・土雷神は雷が地上に戻る姿を
・鳴雷神は鳴り響く雷鳴を
・伏雷神は雲に潜伏して雷光を走らせる姿を
火雷神(ほのいかづちのかみ)は この8柱の雷神〈火雷大神〉の1柱です
『山城国風土記逸文』によれば 火雷大神のうちの1柱 火雷神(乙訓坐火雷神社の祭神)は のちに丹塗矢となって賀茂建角身命の子 玉依日賣のそばに流れ寄り 賀茂別雷命が生まれたと伝えます
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『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 火雷神社(ほのいかつちのかみのやしろ)と その論社について
律令時代には 宮中大膳式に祀られ 火の神としても信仰され 『延喜式』にも記載されています
宮中神36座
大膳職坐神 3座(並小)(おほかしわでのつかさにますかみ みくら)
・御食津神社(貞)(みけつの かみのやしろ)・火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)・髙倍神社(たかへの かみのやしろ)
山城國 乙訓郡 乙訓坐 大(火)雷神社(名神大 月次 新嘗)(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)
・角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)
・〈向日神社に合祀の火雷神社〉向日神社(向日市向日町北山)
・菱妻神社(京都市南区久世築山町)
大和國 廣瀬郡 穂雷命神社(ほのいかつちの かみのやしろ)
・穂雷神社(広陵町安部)
・〈相殿 穂雷神〉廣瀬大社(河合町川合)
大和國 忍海郡 葛木坐火雷神社二座 並名神(かつらきにます ほのいかつちの かみのやしろ)
・葛木坐火雷神社〈笛吹神社〉(葛城市笛吹)
大和國 宇智郡 火雷神社(ほのいかつちの かみのやしろ)
・火雷神社(五條市御山町)
和泉國 大鳥郡 火電神社(いなひかりの かみのやしろ)
・愛宕神社(堺市中区福田)
〈愛宕大権現〈式内社 火電神社〉の古社跡地〉
・陶荒田神社(堺市中区上之)
〈愛宕大権現〈式内社 火電神社〉 現在の合祀先〉
上野國 那波郡 火雷神社
・火雷神社(玉村町下之宮)〈上野國八之宮〉
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
南海高野線 北野田駅から府道36号を西へ約1.6km 車8分程度
道路 府道36号沿いに南向きの鳥居が建ちます
愛宕神社(堺市中区福田)〈火雷神社古社跡地〉に参着
社号標には゛式内 愛宕神社゛と刻字されています
手水舎があり 清めます
一礼をして鳥居をくぐり境内に進みます
鳥居の手前両脇の灯籠は 明治の合祀により 陶荒田神社に移設されていたものが 平成二十一年(2009年)に返還されたもの
拝殿にすすみます 拝殿の前には 桜の古木
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 火雷神社について 所載について゛陶器庄北村に在す、今愛宕と称す゛〈現 愛宕神社(堺市中区福田)〈火雷神社古社跡地〉〉と記しています
【抜粋意訳】
火雷神社
火雷の假字詳ならず、一本大雷、」以呂波字類抄、火電に作る、
〔此説印本に火雷イナビカリと読り、兼永卿本大雷とあり、されば此帳假宇は、古本のままにて文字を誤れるか、又一本火雷ホノイカツチともあり、是非を弁へず、按るに、今愛宕と称せぱ、火霊にてホノムスヒならんも知れがたし、〕〇祭神分明ならず
○陶器庄北村に在す、今愛宕と称す、〔和泉志、式社考、〕
類社
山城國乙訓郡乙訓坐火雷神社の條見合すべし神位
國内神名帳云、從五位上火雷社
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 火雷神社について 所載について゛今 陶器北村にあり、愛宕と云ふ゛〈現 愛宕神社(堺市中区福田)〈火雷神社古社跡地〉〉と記しています
【抜粋意訳】
火雷(ホノイカツチノ)神社
按 本書異本 大電 或は大雷に作る
今 陶器北村にあり、愛宕と云ふ、〔和泉志〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 火雷神社について 所載について゛陶器庄福田村〔字愛宕山〕 今同村 陶荒田神社に移転す゛〈現 陶荒田神社に合祀〉と記しています
【抜粋意訳】
火雷(ホノイカツチノ)神社
祭神 火雷(ホノイカツチノ)命
祭日 十月十八日
社格 村社所在 陶器庄福田村〔字愛宕山〕
(泉北郡東陶器村大字福田 今同村 陶荒田神社に移転す)
【原文参照】