荒祭宮(あらまつりのみや)は 『皇太神宮儀式帳〈延暦23年(804)〉』に「荒祭宮一院 大神宮の北にあり 相去ること二十四丈 大神宮の荒御魂宮と称す」とあり『延喜太神宮式〈延長5年(927)〉』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見える古社です 天照大御神の荒御魂を祀り 内宮に所属する十所の別宮のうち 第一に位しています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
荒祭宮(Aramatsuri no miya)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市宇治館町〈皇大神宮域内〉
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照大御神荒御魂(あまてらすおほみかみのあらみたま)
〈天照大神の荒魂(あらみたま)〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
ご祭神は 天照大御神の荒御
神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂(にぎみたま)」と申し上げ
神様の御魂の荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂(あらみたま)」とたたえます
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 皇大神宮(内宮)別宮
【創 建 (Beginning of history)】
荒祭宮の由緒と沿革
延暦23年(804)撰進の『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』に、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 大神宮の荒御魂宮と称す」とあり、延長5年(927)成立の『延喜太神宮式(えんぎだいじんぐうしき)』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見えます。
お祭りについては、正宮に準じる第一別宮として特別丁重に行われます。
祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮につづき勅使(ちょくし)が参向して幣帛(へいはく)が奉られます。又、神饌(しんせん)の種類や数量も正宮とほとんど同じものがお供えされます。
大祭中の大祭、式年遷宮も、古くから正宮に準じて執り行われています。応仁の乱のころ、長く中絶の止むなきに至った時代もありましたが、寛永8年(1631)には再び式年御造替の制が復興され現在に至っています。また、古くからの大祭、神御衣祭が行われるのは、皇大神宮と荒祭宮のみであることからも、この宮の特別な神位がうかがわれます。
皇大神宮公式HPよりhttps://www.isejingu.or.jp/about/naiku/betsugu.html
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝 下』荒祭宮(あらまつりのみや)
板垣北御門を退下して、御門の前の石階を北へ下ると、荒祭宮の御社殿を拜することが出來る。
皇大神宮に相次ぐ第一の別宮で、天照坐皇大御神荒神魂(あまてらしますすめおほみかみのあらみたま)を御祭り申上げてゐる。
荒御魂(あらみたま)といふのは、神の御魂が力強く顯現活動する御力を指したもので、平利な狀態にある御魂を和御魂(にきみたま)と稱するのに対してふ言言葉である。主として戰爭とか、何か大事変の場合に ,天照大神が ,この國家を守護し給ふために、特別の御神威を現はし給ふ御神德に對して、名付け奉つたものである。
昔 神功皇后の三韓征伐のとき、皇軍を守り給ふて ,撞賢木厳之御魂天疎向律媛命(つきさかはいつのみたま あまさかる むかつひめのみこと)と、その御名を現はしたるが如き、又源平合戰のとき、内裏に神劍を奉納したるが如きは、何れも當宮の神慮に由るものであった。
昔から、天照大神の御神徳を仰がんとする特別の祈願のものは、ここ荒祭宮に参って祈るものが多かつたといふのは、偏へにこの宮が力強い御魂を祭ってゐることに由るものである。
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
荒祭宮は 皇大神宮(内宮)の域内にある別宮です
・皇大神宮(内宮)
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
伊勢大神宮の別宮〈荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮〉の神宮内人五人に初めて把笏(はしゃく)が預ったこと が記されています
※参考として 『太神宮諸雑事記』によれば 天平神護二年(766)に伊勢大神宮の禰宜(ねぎ)が把笏を許されています〈禰宜より身分の上位者は それ以前〉
【抜粋意訳】
卷九 天安元年(八五七)九月壬寅〈八日〉
○壬寅
在
加賀國 正六位上 治田 若御子神 授從五位下
伊勢國 荒祭 月讀 瀧原 伊雜 高宮等 神宮内人五人 始預把笏
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻1 四時祭上 六月祭十二月准 月次祭
月次祭(つきなみのまつり)『広辞苑』(1983)
「古代から毎年陰暦六月・十二月の十一日に神祇官で行われた年中行事。伊勢神宮を初め三〇四座の祭神に幣帛を奉り、天皇の福祉と国家の静謐とを祈請した」
大社の神304座に幣帛を奉り 場所は198ヶ所と記しています
【抜粋意訳】
月次祭(つきなみのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並大社 一百九十八所
座別に絁五尺、五色の薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、倭文纏刀形(まきかたなかた)、絁の纏刀形、布の纏刀形各一口、四座置一束、八座置一束、弓一張、靫(ゆき)一口、楯一枚、槍鋒(ほこのさき)一竿、鹿角一隻、鍬一口、庸布一丈四尺、酒四升、鰒、堅魚各五両、腊二升、海藻、滑海藻、雑の海菜各六両、堅塩一升、酒坩(かめ)一口、裹葉薦五尺、祝詞(のとこと)座料短畳一枚、
前一百六座
座別絁五尺、五色薄絁各一尺、倭文一尺、木綿二両、麻五両、四座置一束、八座置一束、楯一枚、槍鋒一口、裹葉薦五尺、
右所祭之神、並同祈年、其太神宮(かむのみや)、度会宮(わたらひのみや)、高御魂神(たかむすひのかみ)、大宮女神(おほみやめのかみ)には各加ふ馬一疋、〈但太神宮、度会宮各加籠(おもつを)頭料庸布一段、〉
前祭五日、充忌部九人、木工一人を、令造供神調度を、〈其監造并潔衣食料、各准祈年、〉祭畢即中臣の官一人率て宮主及卜部等を、向て宮内省に、卜の定供奉神今食に之小斎人(みのひと)を、
供神今食料
紵一丈二尺、〈御巾料、〉絹二丈二尺、〈篩(ふるい)の料、〉絲四両、〈縫篩等料、〉布三端一丈、〈膳部巾料、〉曝布一丈二尺、〈覆水甕料、〉細布三丈二尺、〈戸座襅(へさたまき)并褠料、〉木綿一斤五両、〈結ふ御食(みけ)料、〉刻柄(きさたるつか)の刀子二枚、長刀子十枚、短刀子十枚、筥六合、麁(あら)筥二合、明櫃三合、御飯、粥料米各二斗、粟二斗、陶瓼(すえのさかけ)[如硯瓶以上作之]瓶【瓦+并】(かめ)各五口、都婆波、匜(はふさ)、酒垂各四口、洗盤、短女杯(さらけ)各六口、高盤廿口、多志良加[似尼瓶]四口、陶鉢八口、叩盆四口、臼二口、土片椀(もひ)廿口、水椀八口、筥代盤(しろのさら)八口、手洗二口、盤八口、土の手湯盆(ほん)[似叩戸采女洗]二口、盆(ほとき)四口、堝十口、火爐二口、案(つくえ)十脚、切机二脚、槌二枚、砧二枚、槲四俵、匏廿柄、蚡鰭(えひのはた)槽[供御手水所]二隻、油三升、橡の帛三丈、〈戸の座服の料、冬絁一疋、綿六屯、履一両、〉
右供御の雑物は、各付内膳主水等の司に、神祇官の官人率神部等を、夕暁(よひあかつき)両般参入内裏に、供奉其の事に、所供雑物、祭訖て即給中臣忌部宮主等に、一同し大甞会の例に、
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻2 四時祭下 新嘗祭
新嘗祭(にいなめのまつり)は
「新」は新穀を「嘗」はお召し上がりいただくを意味する 収穫された新穀を神に奉り その恵みに感謝し 国家安泰 国民の繁栄を祈る祭り
式内大社の神304座で 月次祭(つきなみのまつり)に准じて行われ
春には祈年祭で豊作を祈り 秋には新嘗祭で収穫に感謝する
【抜粋意訳】
新嘗祭(にいなめのまつり)
奉(たてまつる)幣(みてぐら)を案上に 神三百四座 並 大社 一百九十八所
座別に 絹5尺 五色の薄絹 各1尺 倭文1尺 木綿2両 麻5両四座置1束 八座(やくら)置1束 盾(たて)1枚 槍鉾(やりほこ)1竿
社別に庸布1丈4尺 裏葉薦(つつむはこも)5尺前一百六座
座別に 幣物准社の法に伹 除く 庸布を
右中 卯の日に於いて この官(つかさ)の斎院に官人 行事を諸司不に供奉る
伹 頒幣 及 造 供神物を料度 中臣祝詞(なかとみののりと)は 准に月次祭(つきなみのまつり)に
【原文参照】
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座。
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社
度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社
山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社 右諸社,並預祈年、神嘗祭。以下略
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式(Engishiki)』巻八 神祇八 祝詞(ノトコト)
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
二月祈年、六月・十二月月次祭
天皇が我御命以て氐,度會の乃宇治の乃五十鈴川上の乃下津石根に爾,稱辭竟奉る流皇太神宮の能太前に爾申く久。常も毛進る流二月祈年,【月次祭唯以六月月次之辭相換。】大幣帛を乎,某官位姓名を乎為使て天,令捧持て氐進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
豐受宮
天皇が我御命以て氐,度會の乃山田原の乃下津石根に爾稱辭竟奉る流豐受皇神前に爾申く久。常も毛進る流二月祈年,【月次祭唯以六月月次之辭相換。】大幣帛を乎,某官位姓名を乎為使て天,令捧持て氐進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
四月神衣祭【九月准此。】
度會の乃宇治五十鈴川上に爾大宮柱太敷立て天,高天原に爾千木高知て天,稱辭竟奉る留天照坐皇太神の乃太前に爾申く久。服織、麻續の乃人等の乃,常も毛奉仕る留和妙、荒妙の乃織の乃御衣を乎進事を乎申給と止申。荒祭宮にも爾毛如是申て天進と止宣。【禰宜、內人,稱:「唯。」】
六月月次祭【十二月准此。】
度會の乃宇治五十鈴の乃川上に爾,大宮柱太敷立て天,高天原に爾千木高知て天稱辭竟奉る留,天照坐皇太神の乃太前に爾申進る留。天津祝詞の乃太祝詞を乎神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等,共稱:「唯。」】
天皇が我御命に爾坐,御壽を乎手長の乃御壽と止,湯津如磐村常磐堅磐に爾,伊賀志御世に爾幸倍給ひ比,阿禮坐皇子等をも乎毛惠給ひ比。百官人等、天下四方國の能百姓に爾至まで萬天,長平く久作食る留五穀をも乎毛豐に爾令榮給ひ比,護惠ひ比幸給と止,三郡國國處處に爾,御調絲,由貴の能御酒、御贄を乎,如海山置足成て天。大中臣、太玉串に爾隱侍て天。今年六月十七日の乃朝日の乃豐榮登に爾稱申事を乎。神主部、物忌等諸聞食と止宣。【神主部共稱:「唯。」】荒祭宮、月讀宮にも爾毛,如是く久申進と止宣。【神主部亦稱:「唯。」】
九月神嘗祭
皇御孫命御命以,伊勢の能度會五十鈴河上に爾,稱辭竟奉る流天照坐皇太神の能太前に爾申給く久。常も毛進る流九月之神嘗の乃大幣帛を乎,某官某位某王、中臣某官某位某姓名を乎為使て氐。忌部弱肩に爾太襁取懸,持齋はり波理令捧持て氐。進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
豐受宮同祭
天皇が我御命以て氐,度會の能山田原に爾,稱辭竟奉る流皇神前に爾申給く久,常も毛進る留九月之神嘗の能大幣帛を乎,某官某位某王、中臣某官某位某姓名を乎為使て氐。忌部弱肩に爾太襁取懸,持齋はり波理令捧持て氐,進給ふ布御命を乎申給くと久止申。
同神嘗祭
度會の乃宇治の能五十鈴の乃川上に爾大宮柱太敷立て氐,高天原に爾千木高知て天,稱辭竟奉る留天照坐皇太神の乃太前に爾,申進る留天津祝詞の乃太祝詞を乎,神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等,共稱:「唯。」】
天皇が我御命に爾坐,御壽を乎手長の乃御壽と止,湯津如磐村常磐堅磐に爾,伊賀志御世に爾幸倍給ひ比,阿禮坐皇子等をも乎毛惠給ひ比,百官人等、天下四方國の乃百姓に爾至まで萬天,長平く久護惠美幸ひ比給と止。三郡國國處處寄奉れる禮留神戶人等の能,常も毛進る留由紀の能御酒、御贄,懸稅千稅餘五百稅を乎,如橫山く久置足成て天,大中臣,太玉串に爾隱侍て天,今年九月十七日朝日豐榮登に爾,天津祝詞の乃太祝詞辭を乎稱申事を乎,神主部、物忌等諸聞食と止宣。【禰宜、內人等稱:「唯。」】荒祭宮、月讀宮にも爾毛,如此く久申進と止宣。【神主部共稱:「唯。」】
齋內親王奉入時
進神嘗幣詞申畢,次即申云。辭別て氐申給く久。今進る流齋內親王は波,依恒例て氐,三年齋ひ比清まはりて麻波理氐,御杖代と止定て氐進給事は波,皇御孫之尊を乎天地日月と止共に爾,常磐、堅磐に爾平けく氣久安く久御座坐しめむと志米武止,御杖代と止進給ふ布御命を乎。大中臣茂桙中取持て氐。恐美恐美も毛申給くと久止申。
遷奉太神宮祝詞【豐受宮准此。】
皇御孫の能御命を乎以て氐,皇太御神の能太前に爾申給く久。常の乃例に爾依て氐,廿年に爾一遍ひ比,大宮新仕奉て氐。雜御裝束物五十四種,神寶廿一種を乎儲備て天,祓清め賣持忌はりて波理氐,預供奉辨官某位某姓名を乎差使て氐,進給狀を乎申給くと久止申。
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273537/1/17
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小44座)
[名神大 大 小] 式内大社
[旧 神社 名称 ] 荒祭宮(大月次新嘗)
[ふ り が な ](あらまつりのみや)
[Old Shrine name](Aramatsuri no miya)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・内宮・外宮の摂社 末社 所管社について
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内宮 別宮(べつぐう)10宮
別宮とは ゛正宮のわけみや゛の意味
神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされます
①荒祭宮(あらまつりのみや)〈内宮域内の別宮〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 荒祭宮(大 月次 新嘗)(あらまつりのみや)
・荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》天照大御神荒御魂
②月讀宮(つきよみのみや)(伊勢市中村町)〈内宮域外の別宮〉
③月讀荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 月讀宮二座(荒御魂命一座・並 大 月次 新嘗)(つきよみのみや ふたくら)
・⽉讀宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》⽉読尊
・⽉讀荒御魂宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》⽉読尊荒御魂
④伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
⑤伊佐奈彌宮(いざなみのみや)〈内宮域外の別宮(月讀宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 伊佐奈岐宮二座(伊佐奈弥命一座・並 大 月次 新嘗)(いさなきのみや ふたくら)
・伊佐奈岐宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》伊弉諾尊
・伊佐奈弥宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》伊弉冉尊
⑥瀧原宮(たきはらのみや)(度会郡大紀町)〈内宮域外の別宮〉
⑦瀧原竝宮(たきはらならびのみや)〈内宮域外の別宮(瀧原宮境内)〉
延喜式内社 伊勢國 度會郡 瀧原宮(大 月次 新嘗)(たきはらのみや)
・瀧原宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》天照大御神御魂
⑧伊雑宮(いざわのみや)(志摩市磯部町上之郷)〈内宮域外の別宮〉
延喜式内社 伊勢國 答志郡 粟嶋坐伊射波神社二座(貞・並大)(あはしまのます いさはの かみのやしろ ふたくら)
・伊雜宮(志摩市磯部町)志摩国一之宮
《主》天照大御神御魂
⑨風日祈宮(かざひのみのみや)〈内宮域内の別宮〉
・風日祈宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》級長津彦命 級長戸辺命
⑩倭姫宮(やまとひめのみや)(伊勢市楠部町)〈内宮域外の別宮〉
・倭姫宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉
《主》倭姫命
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
皇大神宮別宮・荒祭宮は、内宮の域内にあります
・皇大神宮(内宮)
参拝の順番は 御正宮を参拝した後に 荒祭宮に参拝します
順路は 御正宮から来た道を戻ると 右側に荒祭宮に向かう参道があります
荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉に参着
ご祭神は 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)〈積極的・活発的な神霊の働き〉とされ 内宮に所属する十の別宮のうち 第一に位しています
神宮で執り行われる各祭典は 正宮に続いて奉仕されます
やや小高い所に鎮座します
拝所にすすみます
荒祭宮(天照大御神荒魂)・多賀宮(豊受大神荒魂)ともに 鳥居が存在しませんが その理由は不明とされています
石段を上がります
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の隣の敷地は 古殿地(こでんち)〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所が 次の式年遷宮を待ちます〉
古殿地の奥には 心御柱(しんのみはしら)が立つ処に 覆屋の小さな社
石段は 古殿地と社殿の前に二つあって どちらの敷地にもお参りできるようになっています
これは 第62回の遷宮祭〈平成17年の山口祭から始まり 諸々のお祭りと行事を重ねられ 平成25年10月に無事遷御の儀を終えた〉以前には 現在の古殿地と社殿とは それぞれ左右が逆転していました
遷宮祭ごとに入れ替わります
゛天照大神荒魂゛が差し込んだのでしょうか
御敷地には 強烈な木漏れ日が差し込んでいました
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 荒祭宮 大月次新嘗について 太神宮の北廿四丈に在す〈現 荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉と記されますが 祭神について゛瀬織津姫命゛と記しています
【抜粋意訳】
荒祭宮 大月次新嘗
荒祭は阿良末都里と訓べし
〇祭神 瀬織津姫命
○太神宮 北廿四丈に在す、神名略記
○御鎮座次第云、天照大神荒魂、亦名瀬織津比咩神也、』
倭姫世記云、皇太神宮荒魂、名八十柱津日神也、一名瀬織津比咩神是也、』
儀式帳云、御形鏡坐、世記同じ 又云、内人物忌定供奉、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 荒祭宮について 皇太神の荒魂を祭る荒御魂宮と云ふ〈現 荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉〉と記されます
祭神については 皇太神の荒魂としながらも゛名は八十柱津日神也、一名を瀨織津比咩神と申す゛と倭姫世紀を引用しています
【抜粋意訳】
荒祭宮(アラマツリノミヤ)、
太神宮の北二十四丈にあり、皇太神の荒魂を祭る、延暦儀式帳延喜式
仍て荒御魂宮と云ふ、鏡を以て霊形とす、延暦儀式帳
伊邪那岐大神の生坐る神、名は八十柱津日神也、一名を瀨織津比咩神と申す、倭姫世紀
光仁天皇寶龜三年八月甲寅、荒御玉神官社に預る、續日本紀
醍醐天皇延喜の制、大社に列り、祈年月次、新嘗の案上幣帛を奉る、延喜式
後一條天皇長元四年六月発已、此神齋王に託坐て、甚く神威を著し給ひき、小右記左経記 日本紀畧
後鳥羽天皇文治三年正月王戌、源頼朝神馬一匹を奉る、東鑑
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 荒祭宮 大月次新嘗について 内宮の別宮と記しています
【抜粋意訳】
荒祭宮 大月次新嘗
祭神 天照大神荒魂
祭日 同上
社格 内宮所摂 別宮七所所之一所在 大神宮域内大宮北(宇治山田市五十鈴川上 皇大神宮域内)
【原文参照】
荒祭宮〈皇大神宮(内宮)別宮〉に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)