姉埼神社(市原市姉崎)〈『三代實録』姉前ノ神『延喜式』姉﨑神社〉

姉埼神社(あねさきじんじゃ)は 社伝には 日本武尊が御東征の際 走水の海で暴風雨に遭い お妃の弟橘姫の犠牲によって無事上総の地に着かれ この地 宮山台でお妃を偲び 風神 志那斗弁命を祀ったのが創建と云う その後 景行天皇が日本武尊を祀った 延喜式内社 上緫国 海上郡 姉埼神社(あねさきの かみのやしろ)です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

姉埼神社(Anesaki shrine

通称名(Common name)

・明神様(みょうじんさま)

【鎮座地 (Location) 

千葉県市原市姉崎2278

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神
 支那斗(しなとべのみこと)

御同殿
 日本武尊(やまとたけるのみこと)
 屋根命(あめのこやねのみこと)
 塞三柱命(さへのかみみはらしのみこと)
 八衢比古神(やちまたひこのかみ)
 八衢比売神(やちまたひめのかみ)
 久那斗神(くなどのかみ)
 大雀命(おほさざきのみこと)〈仁徳天皇

《配祀神》
 大日孁尊(おほひるめのみこと)
 高皇産靈尊(たかみむすびのみこと)
 神皇産靈尊(かみむすびのみこと)
 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

家内安全、交通安全、厄除、初宮、安産、七五三
工事安全、商売繁盛、良縁、病気平癒

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

【創  (Beginning of history)】

<略記>

景行天皇40年(110)日本武尊(やまとたけるのみこと)御東征の時、走水(はしりみず)の海(浦賀水道)で嵐に遭い、お妃の弟橘姫(おとたちばなひめ)の犠牲によって無事上総の地に着かれた。
この宮山台において、お妃を偲び、かつ舟軍の航行安全を祈願し、風神志那斗弁命(しなとべのみこと)を祀ったのが創始と伝えられる。

その後父である景行天皇がこの地を訪れられて日本武尊命の霊を祀られ、さらにこの地を支配していた上海上の国造(かみつうなかみくにのみやっこ)が天児屋根命、塞三柱神(さえのみはしらのかみ)、大雀命(おおさざきのみこと)(16代仁徳天皇)を合祀されたといわれる。

御祭神のご神徳は姉埼神社への尊崇を高め、元慶(がんぎょう)元年(877)五月神階は正五位下勲五等、同年八七月正五位上を授けられる。延長5年(927)に纏(まと)められた延喜式神名帳にも上総国五社の一社として記載せられいわゆる式内社として有名になった。

天慶(てんぎょう)3年(940)朱雀(すざく)天皇の勅使から平将門追討の祈願により刀剣一振りが奉納され、現在も神宝として保管されている。
治承4年(1180)源頼朝が房総の地から鎌倉への途次、社前で馬ぞろえをし、戦勝の祈願をしたことから爾来の秋の例祭には流鏑馬(やぶさめ)の神事が行われるようになった。
慶長2年(1597)、および同6年に社殿を造営し、元和4年(1618)松平直政がこの地に封せられ神領三十五石を寄進した。明治6年(1873)木更津県が誕生するに及んで県社に列せられた。

姉埼神社公式HPより
https://anejin.org/about/

由緒

 景行天皇四十年(一一〇年、今より八八五年前)

日本武尊が御東征の、舟軍の航行安全を祈願し、風神 志那斗弁命をここ宮山に祀ったのが創祀と伝えられる。

 「延喜式神名帳」に上五社の一つと記され所謂 式内社として崇を高める。

 三年(九四〇年)平将門追討の祈願の勅使より 刀剣一振が奉納される。

 源頼朝が房総の地から鎌倉への途次、社前で馬ぞろえをして、武運長久を祈願をした事から爾来 十月二十日 秋の例祭には流鏑馬(やぶさめ)の神事が奉仕されていたが現在はおこなわれていない。

 境内には松の木が一本もなく、氏子の家では正月に門松を立てない。
これは御祭神 志那斗弁命が「待つ身はつらい」と云われたとから「待つ」に通ずる「松」を忌むようになった。

御祭神 志那斗
御同殿 日本武尊,天屋根命塞三神・大(仁徳天皇)

夏季例大祭 七月二十日
秋季 例祭 十月二十日

現地由緒書きより

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【由  (History)】

由緒

一、姉埼神社は、社伝によれば、
人皇第十二代景行天皇40年11月、天皇の皇子日本武尊が御東征の時、走水の海で暴風雨に遭い、お妃の弟橘姫の犠牲によって無事上総の地に着かれ、ここ宮山台においてお妃を偲び、風の神志那斗弁命(シナトベノミコト)を祀ったのが始まりという。
従って、御祭神は志那斗弁命であるが、その後 景行天皇がこの地を訪れられて、日本武尊の霊を祀られ、
更に 人皇第十三代成務天皇五年九月、このあたりを支配していた上海上(カミツウナカミ)の国造の忍立化多比命(オシタテケタヒノミコト)が、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と塞三柱神(サエノミハシラノカミ)を合祀し、
又 人皇第十七代履中天皇四年忍立化多比命五世の孫の忍兼命(オシカネノミコト)が、大雀命(オオササギノミコト)(人皇第十六代仁徳天皇)を祀ったといわれるから、風の神を主神として、外に数柱の御祭神が合祀されているわけである。
これら祭神の御神徳は、姉埼神社への尊崇を高め、元慶元年(877)には神階も正五位上にまで進み、天皇の勅願所ともなった。又、「延喜式神名帳」にも、上総国の五社の一つとして載せられ、いわゆる式内社として有名になった。

一、その後、天慶3年(940)には、平将門追討の祈願が寄せられ、神社へ刀劔一振が奉納された。
ついで、源頼朝が房総の地から鎌倉への途次、社前で馬ぞろえをして、武運長久を祈願したという。
さらに関東が徳川氏の勢力下にはいるに及んで、慶長2年(1597)には松平参州侯が、慶長6年(1601)には結城秀康が、共に社殿を造営したり、神馬を奉納したりした。
なお、元和4年(1618)11月には、この地の領主松平直政が社領35石を寄進し、蘆屋原新田5町6反2畝5歩をこれに充てた。
明治維新後、木更津県が誕生するに及んで、姉埼神社は県社となり、千葉県となっても引き継がれた。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

姉埼神社 社殿

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姉埼神社 拝殿

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本殿向かって右横〈境内社〉天神社・厳島神社

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・本殿向かって左奥〈境内社〉浅間神社〈御社三号古墳〉

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・〈境内社〉十五社

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姉埼神社 神門

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

姉前と記され 神階の奉が記されています

【抜粋意訳】

卷卅一 元慶元年(八七七)五月十七日丁巳

○十七日丁巳


上総國

 從四位上勳五等 玉埼正四位上
 從五位上勳五等 姉前 嶋穴 飯 橘樹に 正五位下
 從五位下 神氏神從五位上

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

【抜粋意訳】

卷四十六 元慶八年(八八四)七月十五日癸酉

○十五日癸酉


武藏
 正五位下勳六等 畦切神從四位下
 從五位上 小野正五位上

上総
 正四位下勳五等 玉崎正四位上
 正五位下勳五等 姉前 橘神 飯富に 正五位上
 正六位上 建市 田原に 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)上総國 5座(大1座・小4座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)海上郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 神社
[ふ り が な ]あねさきの かみのやしろ
[Old Shrine name]Anesaki no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

日本武尊と弟橘比賣命の゛走水(はしりみず)゛の伝承に ゆかりの式内社について

房総半島には 日本武尊と弟橘比賣命の伝承が 数多く残っていますが ゆかりある式内社もありますので ご紹介します

姉埼神社(市原市姉崎)島穴神社(市原市島野)は 同じ創建の由緒を持ちます

姉埼神社と島穴神社の共通の創建由緒について

 日本武尊が東征の折 走水の海(浦賀水道)で暴風雨に遭い 走水の海が荒れたのは龍神の怒りであると悟った妃の弟橘姫は 大和国 龍田大社の風鎮めの神に 船の安全航行を祈願し 成就した時には この地に神社を建立することを約束し 海原に身を投じた この犠牲によって 日本武尊は 無事に上総に上陸することができたと『記紀神話』に述べられています
この弟橘姫を慈しみ 日本武尊は 弟橘姫をしのび 風の神を祀ったのが 姉埼神社と島穴神社創建と伝わります

姉埼神社と島穴神社の御祭神について

かつては 神輿が 両社を行き来していたと云われてています この関係の深い両社の御祭神は

島穴神社の祭神は 志那津比古尊(しなつひこのみこと)
姉崎神社の祭神は 支那斗(しなとべのみこと)

両神は 夫婦神(姉弟神とも)とされています

姉埼神社には 夫婦神としての伝承があります

この事にまつわる伝承の一つとして 姉埼神社(市原市姉崎)の境内には 松(マツ)が一本も植えられていません
これは祭神 志那斗弁命が 夫神である島穴神社(市原市島野)の祭神 志那都彦命に大変待たされ「待(マツ)つ身はつらい」と言ったと伝わり この゛待(マツ)゛の音が通じている゛松(マツ)゛を避けたためと云われます
姉埼神社(市原市姉崎)の氏子は 正月に門松を立てず 竹と榊を用いた飾りを立てる風習があり 又 かつては 松(マツ)を(まき)しなかった これらは 神の忌給よると伝わっています

姉埼神社と島穴神社は 両社ともに 上緫国 海上郡延喜式内社です

延喜式内社 上緫国 海上郡 姉埼神社(あねさきの かみのやしろ)

・姉埼神社(市原市姉崎)

延喜式内社 上緫国 海上郡 嶋穴神社(しまあなの かみのやしろ)

・島穴神社の旧鎮座地〈島穴社原地碑〉
島穴神社が 現在地に遷座する天長3年(826)までの旧鎮座地

・島穴神社(市原市島野)

延喜式内社 下緫国 千葉郡 蘇賀比咩神社(そかひめの かみのやしろ)

荒れた走水の海弟橘姫共に入水した゛5人の姫達を祀る 式内社 蘇我比咩神社゛について

 日本武尊が東征の折 走水の海(浦賀水道)で暴風雨に遭い 走水の海が荒れたのは龍神の怒りであると悟った妃の弟橘姫は 大和国 龍田大社の風鎮めの神に 船の安全航行を祈願し 成就した時には この地に神社を建立することを約束し 同道して来た五人の姫達と共に身を海中に投じました

 身を投じた五人の姫の中に蘇我大臣の娘たる比咩がおり この方がこの地(現在の千葉市中央区蘇我)の海岸に打ち上げられました  里人等の手厚い看護で蘇生することが出来 無事に都に帰りました

 この里人等の行為に深く感激した第十五代応神天皇は 特別の命により蘇我一族をこの周辺の国造として派遣し政治をおこなわせました 蘇我一族は 代々「春日神社」「比咩神社」を守護神として 両神社の御分霊をいただき「蘇賀比咩神社」を建立したと伝わります

・蘇我比咩神社(千葉市中央区蘇我)

延喜式内社 上総國 長柄郡 橘神社(たちはなの かみのやしろ)

弟橘比賣命の櫛が 流れ着き 弟橘媛の櫛を納めて御陵が作られた橘樹神社(茂原市本納)

橘樹神社(茂原市本納)社伝では 日本武尊が弟橘媛の御陵を作り 弟橘媛の櫛を納めて 橘の木を植えて祀ったことを創始と伝えます

・橘樹神社(茂原市本納)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR内房線 姉ヶ崎駅から東南方向へ約1.3km 車で5分程度

姉埼神社の社殿と境内は西方向を向いていますので 一の鳥居・社頭も西側にあります

車で向かった為 第一駐車場が 社殿の東側にありますので そちらからの参拝となりました

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大きな駐車場に車を止めて 進むと 立派な神門と鳥居が建てられています

姉埼神社(市原市姉崎)に参着

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一礼をして 鳥居・神門をくぐり抜けると 境内の東側〈社殿の向かって右側〉に出ます
境内の清掃を終えて 境内には 何一つ落ちてはいません
掃き清め 集められた落葉が焼かれて 煙が立ち上っていました

社殿の右手奥に鳥居が建ち〈境内社〉天神社・厳島神社が祀られています

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裏参道から入ったような感じがして 落ち着かないので 一旦 境内にある表参道の鳥居まで戻ります

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こちらが本来の表参道の石段の様です

日本武尊が上陸された当時は 海にせり出した小高い地であったであろうと想像を掻き立てます

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改めて 表参道からの鳥居に一礼をして 境内へと進みます

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狛犬が構える石畳の参道を進むと左手に手水舎 正面に拝殿があり

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 東側の神門へと戻ります
この神門は 裏側にも扁額が掛けられていて 表裏ともに見事です

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神門の扁額には゛萬世太平゛とあります
一礼をしてから 境内をでます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 姉埼神社について 所在は゛姉ケ崎村に在す、゛〈現 姉埼神社(市原市姉崎)〉と記しています

【抜粋意訳】

姉埼神社

姉埼は阿禰佐岐と訓べし

〇祭神 級長津彦命、級長戸邊命、(地名記)
〇姉ケ崎村に在す、(同上)今市原郡に属す、例祭  日、

神位
 三代實錄、元慶元年五月十七日丁巳、授に上總國從五位上勲五等 姉前神正五位下、同八年七月十五日癸酉、授に上總國正五位下勲五等 姉前神正五位上、

社領
當代御朱印高卅六石

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

姉埼神社について 所在は゛ 市原郡姉崎村にあり、゛〈現 姉埼神社(市原市姉崎)〉と記しています

【抜粋意訳】

姉崎(アネサキノ)神社、

 市原郡姉崎村にあり、〔房総志料、巡拝舊祠記、〕陽成天皇 元慶元年五月丁已 從五位上動五等 姉崎神に正五位下を授け、八年七月癸酉、正五位上を加ふ、凡六月五日を以て祭を行ふ、〔房総志料、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

姉埼神社について 所在は゛市原郡姉崎〔字宮山〕(市原都姉崎町大字姉ヶ崎)゛〈現 姉埼神社(市原市姉崎)〉と記しています

【抜粋意訳】

姉崎神社

祭神 志那斗

 今 祭神のこと社趣 島穴神社のに云ると異なることなし 此亦 日本武尊の暴風の祈り依て祭らせ玉ひし神とみえたり

神位
 陽成天皇 元慶元年五月十七日丁已  上總國從五位上五等 姉前神正五位上

祭日
社格 縣

所在 市原郡姉崎〔字宮山〕(市原都姉崎町大字姉ヶ崎)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○千葉縣 上總國 市原郡姉崎町大字姉崎

縣社 姉崎(アネサキノ)神社

祭神 志那斗辮命 天児屋根命 日本武尊 大雀命 塞神三柱命 大日孁尊 高皇産靈尊 神皇産靈尊 豊玉姫命

 創立年代竝に由緒 島穴神社に同じ、(同神社の項を参照すべし)亦一傅あり、曰く、「景行天皇四十年十一月、日本武尊寅夷御征討の時、当岳に登り給ひしに、山景秀絶、海面清皓、白浪を遠見し給ひ、是れ景趣佳好の美岳なりとて、風神 志那斗辮命を祭祀し給ふ」と、
景行天皇 五十三年九月、天皇親しく東國を歴覧し給ひ此の地に来りて御登拝の時、皇子 日本武尊の勲労を追懐あらせられ、皇子を合祀し宮殿を建立せられしと、
陽成天皇 元慶元年五月十七日丁巳、授上総國從五位上勲五等 姉崎神正五位下、と三代實録に見え、次いて同八年 更に正五位上に進み給ふ、延喜の制式内の小社に列せられ、國五座の一に坐ます、
先是社傅に云く、元慶元年大旱あり、勅して祈雨を社に修せられ 爾來 勅願所たりと、
 天慶三年九月、平將門謀逆の際、御劔を納給ひしと、後ち治承四年八月 源頼朝捷を祈り鳥居前に於て軍馬を調練す、是より流鏑馬の神事起れり、
後陽成天皇 慶長二年五月 松平三河守 當社造営の事あり引馬一頭を奉納す、
次いて後水尾天皇元和元年、松平忠政 此の地に封せらるゝや、社領三十六石を寄進す、明治六年九月、縣社に列す。

社殿は本殿、幣殿、拝殿、其他御供所、額殿等十棟より成り、娩然として竝ひ峙ち宏社を極む、本殿は慶長六年五月 松平三河守の再建なり、境内は六千六百八十二年(官有地第一種)を去る東方十町、石階を登る事数百級、老杉鬱蒼として天に聾ゆ、但、一株の松樹を交へす、

國志云、父老相伝ふ、此神は島穴(シマナノ)神社に奉祀せる志那都比古命の妃なり、陽神将に北征の途に就かれ給はんとせらるゝや、妃神に謂て曰く、遠からして帰るべしと、妃神待つこと久して終に帰り給は、是より松樹を忌む、蓋、松、待間音相通ずるに依りてなり、故に境地松を忌むなりと、

 村俗 歳首門松を飾らず、又 薪とせ、皆神の忌給ふに因るとす、西北海を望み、筑波を右に、富士を左に、朝靄暮煙。幾幅の画圖を巻舒するが如し。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

姉埼神社(市原市姉崎) (hai)」(90度のお辞儀)

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上緫国 式内社 5座(大1座・小4座)について に戻る

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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