高天彦神社(御所市)

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は 古代豪族の葛城氏が祖神を祀ります 鎮座地の地名は高天(たかま)で 日本神話に登場する高天原(たかまがはら)であったとの伝説が残ります 大和朝廷に敬われ延喜の制では最高の名神大社となった古社がここに坐ます

目次

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ご紹介(Introduction)

【神社名】(shrine name) 

高天彦神社(takama hiko shrine)
 (たかまひこじんじゃ)  

【通称名】(Common name)

【鎮座地】(location) 

奈良県御所市北窪158

【地 図】(Google Map)

【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho

(927年12月完成) The shrine record was completed in December 927 AD.
「旧国名 郡 ・ 神社名」 「old region name・shrine name」

大和國     葛上郡    高天彦神社  名神大  月次相嘗新嘗
yamato no kuni katsujo gun  takama hiko no kaminoyashiro myojin tai tsukinami no ainame niiname

【御祭神】(God's name to pray)

《主》 高皇産霊神(takami musuhi no kami)
 (別名 高天彦神(takama hiko no kami)※本来は主祭神であったとも伝

《配》 市杵島姫命(ichikishima hime no mikoto)
《配》 菅原道真公(sugawara no michizane ko)

【御神格】(God's great power)

・諸願成就 Realization of various wishes
・受験合格 Pass the exam
・学業成就 Want to acquire knowledge and skills
・財運向上 Improve property luck

【格式】(Rules of dignity)

清和天皇の貞観元年(859年)に神位 従二位に叙せられる
延喜式内社 名神大社 (engishikinaisha myojintaisha)

【創建】(Beginning of history)

創建は不詳

金剛山の東麓に鎮座
元々は社殿の後背 白雲岳(白雲峰 標高694m)を神体山として祀った

【由緒】(history)

高天彦神社   御所市高天

天照大神の子の天忍穂耳尊(あめの おしほみみ のみこと)に 本社の御祭神の娘、栲幡千々姫命(たくはた ちじひめ)が嫁ぎ、御子の瓊々杵尊(ににぎ のみこと)が高天原から降臨される。
その神話に言う高天原がこの台地である。

御祭神を氏神とした葛城族は、大和朝廷に先行する葛城王朝を築き、亡びた後も平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた。
延喜の制では、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗には、官幣に預かってきた神社である

平成二年十二月 吉日 寄贈 御所ライオンズクラブ

「境内の案内板(平成2年12月)」から参照

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【境内社】(Other deities within the precincts)

・八幡神社 《主》神功皇后・応神天皇・仲哀天皇・武内宿禰
・春日神社 《主》天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売神
・菅原神社 《主》菅原道真公
・三十八社 《主》葛城三十八皇神
・祖霊社  《主》氏子の祖霊
・御霊神社 《主》早良親王・百川親王・他戸親王
・市杵島姫 《主》市杵島姫命
・稲荷神社 《主》倉稲魂命

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【この神社の予備知識】(Preliminary knowledge of this shrine)

本殿を持たない 古い神社の祭祀形体です

とても古い神社の祭祀形体ですので 本殿を持ちません 背後の円錐状の白雲岳(標高694m)を御神体としています(大神(oo miwa)神社(桜井市)と同様)

高天(taka ma)の台地は 記紀に登場する天孫降臨 神話の舞台との言い伝えもあります

高天彦神社

御祭神 高皇産霊神(たかみむすひのかみ)

太古から神々の住み給うところと伝えられる「高天原」も、この高天(たかま)の台地である。
本社の背後には美しい円錐状の御神体山(白雲峯)がそびえているが、社殿が出来る以前は、この御神体山の聖林に御祭神を鎮め祀っていた。

御祭神 高皇産霊神は造化三神の一神であり、最初に出現した神で万物の生成・育成の神とされる。神名の「ムス」は「苔が生(む)す」などの「むす」で「生成する」の意である。

金剛山の東麓に鎮座し、式内 高天彦神社に比定されている。延喜の制では最高の名神大社に列せられ、月次・相嘗・新嘗の祭りには案上官幣に預かってきた古社である。

平成二十九年六月 吉日 寄贈 御所ライオンズクラブ

「境内の案内板(平成29年6月)」から参照

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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)

地名の「高天(takama)・髙間」について

8世紀頃には万葉の歌に詠まれていて 当地一帯は 髙間・高天(takama)と呼ばれていたようです

万葉集 第7巻 1337番歌  原文
「葛城乃 高間草野 早知而 標指益乎 今悔拭」
かな 
「かづらきの たかまのかやの はやしりて しめささましを いまぞくやしき」

国立公文書館デジタルアーカイブ 万葉集 第7巻
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619515188799&TYPE=&NO=画像利用

御神体山(白雲峯)を擁する「金剛山(kongo san)」に 式内社「高天三座」は 山麓に東から南に並ぶように鎮座

御神体山として仰ぎますが 現在の主祭神は 葛城氏(katsuragi uji)が 祖神とする最高神・高皇産霊神(takami musuhi no kami)を祀っています
もとは金剛山(kongo san)の御神霊「高天彦神(takama hiko no kami)」一座を祀った(葛城の地主神)ともされています

金剛山(kongo san)は かつては 高間山・高天山(takama yama)や葛城嶺(kazuraki no mine)と云われていました

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式内社「高天三座」は金剛山(kongo san)山麓に東から南に並ぶように鎮座

・金剛山の東麓 「高天彦神社(takama hiko no kaminoyashiro)」(当社)
        《主》高天彦神(takama hiko no kami)

・金剛山の東南麓「高天岸野神社(takama kishi no kaminoyashiro)」
        《主》高天岸野神(takama kishi no kami)

・金剛山の南麓「高天山佐太雄神社(takamano yamasataono kaminoyashiro)」
        《主》高天山佐太雄神(takama no yamasatao no kami)

「式内社「高天三座」地 図」(Google Map)

https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?hl=ja&hl=ja&mid=1d3HQ4RWnCEzbh45n_y-dx74MLKDiwlKW&ll=34.415540119704104%2C135.67331408579685&z=14

延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)の所載について

「大和國    葛上郡     高天彦神社  名神大  月次相嘗新嘗
yamato no kuni katsujo gun  takama hiko no kaminoyashiro myojin tai tsukinami no ainame niiname

延喜式内社 名神大社(engishikinaisha myojintaisha)で「月次相嘗新嘗(tsukinami no ainame niiname)」の由緒格式があります 
論社は他にはなく 当社が比定社となっています

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)

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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)

京奈和自動車道 五條北ICから 6km程度

国道24号に入り北上 東佐味(交差点) を左折して 県道30号 に入る 
高鴨神社入口を右折 高鴨神社入口の鳥居に到着

・高鴨神社(御所市鴨神)

高鴨神社前を西に進む 左折 県道30号線に入り北上すると「高天山(takama )」と「天孫降臨神話の里」の看板があり左折(西側)する
そのまま山道を上ると 古木に囲まれて鬱蒼とした参道の入口が見えてきます

徒歩の場合はこちらから10分ほど登ると到着 神社の手前の丘には「蜘蛛窟(kumo kutsu)」があります
車の場合は さらに上に駐車場があります

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「高天彦神社(takama hiko no kaminoyashiro)」に到着

霊山「金剛山」への登山口があり 登山者というかハイカーも多く 駐車場から 参道を通らず直接 一般道を神社の前に向かって歩いていきますので お詣りの際は お百度石が立っている 参道からお進みください

そこは 長さは50mほどですが 神秘な氣を発している参道です 樹齢数百年の杉が立ち並び 古社独特の神錆びる雰囲気が味わえます
心が動かされるのと インスタ映えもする様で 何人かが スマホで写真を撮りまくっていました

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参道の杉木立を抜けると 「神霊」と「高天彦神社」刻まれた石碑が右手にあります

中央に鳥居 その後ろは 境内・社殿・御神体山(白雲峯)が迎えます ご神威を感じながら 一礼の後 鳥居をくぐります
鳥居のすぐ左脇にと「手水鉢」があります
「手水鉢」には山(白雲峯)からの湧水が 相当の水量で注がれています なんとなくウキウキとする冷たさで 清々しく 清めです

境内は 朱色の低い板塀で囲われていて 鳥居との境には 山(白雲峯)からの湧水が流れていて 下界との結界を創っているかのようです

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境内の敷地は 広くはないのですが 只者ではないと感じるような氣が漂い 身がしまります
石畳の参道が社殿迄 真っ直ぐ伸びていて その左には休憩所(おそらく昔の社務所跡) 直ぐ先に「阿吽の狛犬」 7段ばかりの階段の上に「二の鳥居」そこから5段ほどの階段の上に社殿があります

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社殿は「朱色の瓦葺」で 明治10年(1877年)建造の「三間社流造り」

三間の本殿に祀られるのは 3柱

《主》 高皇産霊神(takami musuhi no kami)
《配》 市杵島姫命(ichikishima hime no mikoto)
《配》 菅原道真公(sugawara no michizane ko)

後背の白雲岳(白雲峰 標高694m)を神体山に 高天彦神(takama hiko no kami)が祀られています

拝殿に進み 賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

社殿に向かって 左側に摂末社が3社あり お詣りします

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手前から 

・春日神社 《主》天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売神
・菅原神社 《主》菅原道真公
・三十八社 《主》葛城三十八皇神

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社殿の前に戻り左角度から見ると 境内社「春日神社」の後ろ 社殿の左脇に神籬石(himorogi ishi)があり これは「蜘蛛(kumo)塚」(朝廷に恭順しなかった土豪の御霊を祀った)と呼ばれているらしい

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社殿に向かって 右側には摂末社が4社あり お詣りします
社殿の右隣に 八幡神社 《主》神功皇后・応神天皇・仲哀天皇・武内宿禰

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社殿の右前に並ぶように3社

・御霊神社 《主》早良親王・百川親王・他戸親王
・市杵島姫 《主》市杵島姫命
・稲荷神社 《主》倉稲魂命

一段低い境内に 祖霊社  《主》氏子の祖霊

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階段を下がり 鳥居をくぐり 参道右側に休憩所(おそらく昔の社務所跡)の中に案内書きがありました 全てがわかるのでご紹介します

休憩所の案内書きには

高天彦神社 たかまひこじんじゃ

当神社は 金剛山中腹の脱塵幽谷の この勝地に鎮座し、社殿が出来る以前より背後の背後の円錐状の峰(白雲岳)を御神体とされて、高天彦大神、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)始め 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、菅原道真公を祀って御祭神と成っています。

本殿の高皇産霊神は、高御産巣日神とか高木神などと記され古事記の冒頭に登場しています。

「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神高御産巣日神、この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき」(岩波文庫)と記されていて、高い位の神様とされています。

天孫降臨や神武神話の重要な場面で高天原の指令者として大活躍をする(日本書紀)神様とされています。

高皇産霊神 たかみむすびのかみ
むすび・・天地万物を産(む)し成す 霊妙な神霊、万物の生成、育成、発展
むす・・・(うむす)の約、生す、産す、発生する、生まれる、蒸す、苔むす、むすこ、むすめ、契りをむすぶ等

人間初めて、全ての生物は蒸(むす)されているから体温が有り、生命がやどり維持されていると言われます。
この様に万物の誕生、育成、発展を司る神様として、古代より崇拝されている高天彦大神です。

尚、ご祈祷、及び神社に関する御問合せは 
連絡先 高天彦神社宮司 鈴鹿義胤 (高鴨神社 社務所内)

休憩所の案内文

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※ご案内の通り ご祈祷・お守り・ご朱印・御祈祷の申し込みなどは「高鴨神社」の社務所で受付してくださいます
境内から出て 一の鳥居をくぐり 振り返り一礼 杉の巨木の並木を戻ります

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【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)

「蜘蛛(kumo)」(朝廷に恭順しなかった土豪)の伝承

社殿の左横の神籬石(himorogi ishi)は 大和朝廷に従わず争った「蜘蛛(kumo)」の塚らしいと思しき事柄が『日本書紀』(nihon shoki)に記載されています 

神日本磐余彦天皇(神武天皇)『日本書紀(nihon shoki)』の記載によれば

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047508&ID=M2018062010260948481&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルアーカイブス 「日本書紀 第三巻

『日本書紀(nihon shoki)』「神武天皇即位前紀 九月甲子朔戊辰」

原文
又高尾張邑(或本云、葛城邑也)、有赤銅八十梟帥。此類皆欲與天皇距戰、臣竊爲天皇憂之

「意訳」
「 また 高尾張邑(takaowahari no mura)(ある本には葛城村と云う)には 赤銅八十梟帥(akagane no yaso takeru)有り
これらの者たちは 皆 天皇(sumera mikoto)に抗い戦おうと思っています
密かに天皇が 憂慮していることを知り 臣下(shin ka)もおなじであった 」

『日本書紀(nihon shoki)』「神武天皇即位前紀 己末年二月」

原文
又高尾張邑、有土蜘蛛、其爲人也、身短而手足長、與侏儒相類、皇軍結葛網而掩襲殺之、因改號其邑曰葛城。

「意訳」
「また 高尾張邑(takaowahari no mura)には 土蜘蛛(tsuchi gumo)有り
その人となりは 身(take)短くして 手足は長し 侏儒(hiki hito)(背丈が並み外れて低い人)と相似ている
皇軍(mi ikusa)は 葛(kazura)の網(ami)を結(yu)いて 襲い殺す
よって その村を 葛城(kazura gi)という」

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047508&ID=M2018062010260948481&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルアーカイブス 「日本書紀 第三巻」

この二つの記述を要約すると

『「高尾張邑(takaowahari no mura)=葛城(kazura gi)の高天(takama)」には 赤銅八十梟帥(akagane no yaso takeru)を大将とした土蜘蛛(tsuchi gumo)達がいて 天皇に抗い戦ったが 皇軍(mi ikusa)に 襲い殺された』

この土蜘蛛(tsuchi gumo)を滅ぼした側の祭祀跡(史蹟が二ヶ所)なのか??
・埋めた跡が「蜘蛛(kumo)塚」社殿の左脇にある神籬石(himorogi ishi)
・住処の跡が「蜘蛛窟(kumo kutsu)」参道の途中の丘にある

「蜘蛛(kumo)塚」らしきものが もうひとつ「葛城一言主神社」の境内に伝えられています 謡曲『土蜘蛛』の題目にもなったとあり「葛城山の土蜘蛛の精魂」だとしています
双方とも 葛城氏ゆかりの神社に置かれていることに注目しています

「古代豪族 葛城氏(katsuragi uji)」のその後

葛城氏(katsuragi uji)は弥生時代の中期頃 御所市柏原の地に移って水稲農耕を始めたらしく 葛城川流域の鴨族と手を結んで 部族国家を形成したと伝わります

土蜘蛛(tsuchi gumo)と呼ばれ 大和へ東征した神武天皇と抗って 大和朝廷から排除された一族は 
もしかすると 葛城氏(katsuragi uji)と同族なのかもしれない 第9代開化天皇(kaika tenno)までとされる葛城王朝を支えた古代豪族と源は同じなのかもしれない
ちょうど 大和へ東征した神武天皇と抗った長髄彦(nagasune hiko)を受け継いだ 物部氏(mononobe uji)のように・・・

むしろ 土蜘蛛(tsuchi gumo)として 扱われ始めたのが 第10代崇神天皇以降であるのかもしれない
少なくとも 第21代雄略天皇(yuryaku tenno)の御代までは 葛城の鴨大神は天皇と同様の力を持っていたことは 史実が語っています

そして 亡びた後もそのDNAは 平群氏(heguri uji)・巨勢氏(kose uji)・蘇我氏(soga uji)の有力豪族に分かれて栄えた史実があります

土蜘蛛(tsuchi gumo)のある「葛城一言主神社」の記事もご覧ください

初代王朝があったこの地は 日本の国号「秋津洲(akitsu shima)」誕生の地 

『日本書紀』(nihon shoki)の 初代 神武天皇(jimmu tenno)が 大和を平定し国を見渡した「国見山」は御所市にあります

『日本書紀(nihon shoki)』「神武天皇 卅有一年夏四月乙酉朔」

原文
卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上嗛間丘而廻望國狀曰「姸哉乎、國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。」由是、始有秋津洲之號也。

「意訳」
「神武天皇(jimmu tenno)が 即位して31年 夏4月1日のこと
天皇は 国内を見て回り 腋上(wakigami)の嗛間丘(hohomanoka)に登りました そして国を見回して言いました
「なんと素晴らしい国を得たことか 狭い国ではあるが 蜻蛉(あきつ=とんぼ)が 臀占(となめ=交尾)して連なっているように山々に囲まれたところだ」
これによって 日本の国号「秋津洲(akitsu shima)」の名が 誕生したと言われています」

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047508&ID=M2018062010260948481&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルアーカイブス 「日本書紀 第三巻」

高天彦神社(takama hiko shrine)この地には 日本神話に登場する高天原(takama gahara)であったとの伝説が残り
ここ高天(takama)からは かつて大和湖や大和三山・飛鳥の都が 眼下にあったでしょう 
大和の地から見上げれば 神様が住む世界のように 雲の中にある高台となっている天上の地に見えた事でしょう まさに「高天(takama)の地」と言える気がします

古代豪族 葛城一族の祖神を祀り 延喜の制では最高の名神大社となった古社
高天彦神社(takama hiko shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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大和国 式内社 286座(大128座(並月次新嘗 就中31座預相嘗祭)・小158座(並官幣)について に戻る

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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