⑩大国主神(おおくにぬしのかみ)系譜〈迦毛大御神(かものおほみかみ)〉

大国主神は 偉大な神々「迦毛大御神・事代主神など」の御祖神(みおやのかみ)として 描かれる

大国主神(おほくにぬしのかみ)の子孫は やがて 大和国の創成期の皇室に 絶大な影響をあたえていきます

『延喜式』〈延長5年(927
『出雲国造神賀詞いずものくにのみやつこのかんよごと』に現れる 皇御孫命〈天皇〉の守護神

その時 大穴持命
御自分の和魂を 倭の大物主なる櫛厳玉命と御名を唱え 大御和の社〈大神神社〉に坐(ましま)す
御自分の御子 阿遅須伎高孫根命(あぢしきたかひこねのみこと)の御魂を 葛木の鴨の社高鴨神社に坐(ましま)す
御自分の御子 事代主命(ことしろぬしのみこと)の御魂を 宇奈提河俣神社に坐(ましま)す
御自分の御子 賀夜奈流美命の御魂を 飛鳥の社飛鳥坐神社に坐(ましま)す

御自分の和魂と三柱の御子神を〉皇御孫命天皇の守護神として置かれた
御自分は杵築宮〈出雲大社〉に坐(ましま)す」と記されます

『古事記』にある数々の神々の中で 神名に「大御神(おほみかみ)」と称する神は 二柱のみ
皇祖 天照大御神(あまてらす おほみかみ)と 迦毛大御神(かもの おほみかみ)

大国主神(おおくにぬしのかみ)の子孫は なだたる神々が記されますが
中でも 阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみは 迦毛大御神(かものおほみかみ)とされ 『古事記』では 皇祖 天照大御神同様の大御神(おほみかみ)の神名を称号されます

初期の朝廷〈第9代開化天皇(かいかてんのう)まで葛城王朝とも〉を支えたのは 古代豪族 葛城(かつらぎ)の鴨氏(かもうじ)とされ 葛城山麓の高天原(たかまのはら)に居て の御祖(みおや)迦毛大御神〉であり 彼らは 弥生中期頃に平坦地に降り 水稲農耕を営み 田の神として 事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀っていました

・高鴨神社(御所市鴨神)《主》味耜高彦根命迦毛之大御神

『古事記』神話には
大国主神(おおくにぬしのかみ)が 胸形(むなかた)〈宗像の奥津宮(おきつみや)に坐(ましま)す 多紀理毘売命(たきりびめのみこと)を娶産んだ子は
阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ
次に妹の高比売命(たかひめのみこと 亦名(またのな)は 下光比売命(したてるひめのみこと 
阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)は 今は 迦毛大御神(かものおほみかみと申す神なり」と記されます

 

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『古事記(Kojiki)〈和銅5年(712)編纂〉』 に記される伝承

【抜粋意訳】

大国主神(おおくにぬしのかみ)
胸形(むなかた)〈宗像の奥津宮(おきつみや)に坐(ましま)す 多紀理毘売命(たきりびめのみこと)を娶り 産んだ子は 阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ
次に妹の高比売命(たかひめのみこと 亦名(またのな)は 下光比売命(したてるひめのみこと

阿遅鋤高日子根神(あぢしきたかひこねのかみ)は 今は 迦毛大御神(かものおほみかみと申す神なり

大国主神(おおくにぬしのかみ)
神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)をり 産んだ子は 事代主神(ことしろぬしのかみ)

大国主神(おおくにぬしのかみ)
八島牟遅能神(やしまむちのかみ)の娘 鳥取神(ととりのかみ)をり 産んだ子は 鳥鳴海神(とりなるみのかみ)

この神〈鳥鳴海神〉が
日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてりぬかだびちをいこちにのかみ)をり 産んだ子は 国忍富神(くにおしとみのかみ)

この神〈国忍富神〉が
葦那陀迦神(あしなだかのかみ) 亦名(またのな)は 八河江比売(やがはえひめ)をり 産んだ子は 速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやぢぬみのかみ)

この神〈速甕之多気佐波夜遅奴美神〉が
天之甕主神(あめのみかぬしのかみ)の娘 前玉比売(さきたまひめ)をり 産んだ子は 甕主日子神(みかぬしひこのかみ)

この神〈甕主日子神〉が
淤迦美神(おかみのかみ)の娘 比那良志毘売(ひならしびめ)をり 産んだ子は 多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)

この神〈多比理岐志麻流美神〉が
比々羅木之其花麻豆美神(ひひらぎのそのはなまづみのかみ)の娘 活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめのかみ)をり 産んだ子は 美呂浪神(みろなみのかみ)

この神〈美呂浪神〉が
敷山主神(しきやまぬしのかみ)の娘 青沼馬沼押比売(あをぬまぬおしひめ)をり 産んだ子は 布忍富鳥鳴海神(ぬのしとみとりなるみのかみ)

この神〈布忍富鳥鳴海神〉が
若尽女神(わかひるめのかみ)をり 産んだ子は 天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)

この神〈天日腹大科度美神〉が
天狭霧神(あめのさきりのかみ)の娘 遠津待根神(とほつまちねのかみ)をり 産んだ子は 遠津山岬多良斯神(とほつやまざきたらしのかみ)

右件(みぎのくだり)
八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)以下(よりしも)
遠津山岬帯神(とほつやまざきたらしのかみ)以前(まで)
十七世神(とをまりななよのかみ)と称す

【原文参照】

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

『古事記』選者:太安万侶/刊本 明治03年 校訂者:長瀬真幸 国立公文書館デジタルアーカイブhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047416&ID=&TYPE=&NO=画像利用

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”時の架け橋” 大国主神(おほくにぬしのかみ)
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