引手力男神社(ひきたぢからおじんじゃ)は 社伝には 往昔 第42代文武天皇の御代(697~707年)役小角が大島に遠流の折 手力山に来て通法を修業した由が記され 手力山の中に石造りの小祠が建立されていたと伝わる 延喜式内社 伊豆國 田方郡 引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)の論社です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
引手力男神社(Hikitejikarao shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
静岡県伊東市十足(とうたり)250
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》手力男神(たぢからをのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
引手力男(ひきてじからお)神社
鎮座地 伊東市十足一五〇番地
御祭神 手力男神(たじからおのかみ)
例祭日 十月十五日
由 緒
創建の時代は詳かでないが、慶安五年に修造された棟札や、伊豆誌によると、当神社は本村 手力山より現在地に遷祀されたことが記され、その記録の中に、当時の手力山の地形が詳らかに綴られ、樹林の中に建立する石造りの小祠は、 今尚 千古の社跡を回顧させている 往昔 文武天皇の御代、役小角が大島に遠流の折、此の山に来て、通法を修業した由が記されている。
明治二年 現社号に改称された。現地立札より

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【由 緒 (History)】
『伊東市史だより』第10号 平成21年3月31日より
【抜粋意訳】
写真 9〈下の写真〉に示したのは 十足地区の氏神の引手力男(ひきたぢからお)神社の戦前の姿です。
現在、この社は建て替えられて昔の趣はありませんが、本殿には 22枚もの棟札が所蔵されています。この棟札の記述をたどると他の地区の氏神と同様の古さがありますが、半数程は火災にあって炭化しています。これは明治 25年の火災のすさまじさを示す資料であると同時に、火災で失われたものの大きさを痛感させられます。『伊東市史だより』編集発行 伊東市教員委員会 生涯学習課市史編さん担当

『伊東市史だより』編集発行 伊東市教員委員会 生涯学習課市史編さん担当より
『平田篤胤全集』第2巻に記される内容
【抜粋意訳】
田方郡に、引手力命神社、〔伊豆志に、賀茂郡十足(トヲタリ)村に、手力雄山ありて社なし、をどり場と云處あり、今は はなし坂といふ、をどりを為て祭りし處か、と云り。引手力命とは、石戸を引開たる由の御名なるべし。
【原文参照】

上田万年 等編『平田篤胤全集』第2巻 (古史 2),内外書籍,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1051873
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・引手力男神社 社殿

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・引手力男神社 拝殿

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・二の鳥居・手水舎

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・一の鳥居・神橋

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 引手力命神社
[ふ り が な ](ひきたちからのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hikitachikara no mikoto no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊豆國 田方郡 引手力命神社(ひきたちからのみことの かみのやしろ)の論社
・引手力男神社(伊東市十足)
・大瀬神社(沼津市西浦江梨)
・肥田神社(函南町肥田)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR伊東線 伊東駅から南方向へ約8.1km 車で20分程度
社頭は きれいに刈りこまれた生垣が続く参道の先にあります
引手力男神社(伊東市十足)に参着

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一の鳥居の先には 御神橋が架かり その先に二の鳥居が建ちます
一礼をして鳥居をくぐります

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御神橋はコンクリート造ですが 太鼓橋となっています
二の鳥居は青銅製の両部鳥居で扁額には゛引手力男神社゛とあります
一礼をして 二の鳥居をくぐり 生垣で囲まれている境内へと進みます

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拝殿にすすみます

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拝殿の扁額には゛引手力男神社゛とあります

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明治 25年の火災の後 再建され社殿はコンクリート造です
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の前には 途中から三俣に分かれている木があります

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その三俣に分かれている木の後方で 社殿の向かって右横に 覆屋の中に 小さな石祠が祀られています
社伝には 元々は手力山の樹林の中に建立する石造りの小祠として祀られていた とのことで もしかするとその祠なのかもしれません

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社殿に一礼をして 境内の参道を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 引手力命神社について 所在は゛十足村手力雄山に在す、゛〈現 引手力男神社(伊東市十足)〉と記しています
【抜粋意訳】
引手力命神社
引手力は 比岐多知加良と訓べし
○祭神 手力雄命歟
〇十足村 手力雄山に在す、〔志〕 例祭
伊豆志に、社ナシ、ヲドリ場ト云フ處アリ、今ハ ハナシ坂ト云フ、ヲトリヲ為テ祭リシ處カ、と云り、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 引手力命神社について 所在は゛賀茂郡十足村 手力雄山に在り、社 今絶えたり、゛〈現 引手力男神社(伊東市十足)〉と記しています
【抜粋意訳】
引手力命(ヒキテチカラノミコトノ)神社
舊 賀茂郡十足村 手力雄山に在り、社 今絶えたり、〔豆州志、神名帳打聞〕
盖 天手力雄神を祭る、〔日本書紀、古語拾遺、延喜式〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 引手力命神社について 所在は゛江梨村〔今属 君澤郡〕゛〈現 大瀬神社(沼津市西浦江梨)〉と記しています
他の説として
豆志に引手力命神社〔十足村〕手力雄は山名也 祠宇無しと云ひ゛〈現 引手力男神社(伊東市十足)〉とするが 手力雄山の名から来ているもので確証はない
゛一説に塚本村 萬後明神ならん 豆志に昔 肥田塚本一村なり 神名記の肥田王子は塚木萬後明神王子社に坐せし時の稱也 云々゛〈現 肥田神社(函南町肥田)〉の説は゛肥田村名によりて引手の約とせる説なれば信難し゛と記しています
【抜粋意訳】
引手力命(ヒキタチカラノミコトノ)神社
祭神 引手力命
祭日
社格 郷社所在 江梨村〔今属 君澤郡〕
今按 豆志に引手力命神社〔十足村〕手力雄は山名也 祠宇無しと云ひて 此村と定めたるは手力雄山の名によりたるにて 他に證あるに非す
一説に塚本村 萬後明神ならん 豆志に昔 肥田塚本一村なり 神名記の肥田王子は塚木萬後明神王子社に坐せし時の稱也 云々とあり
引手力命は手力雄神には非ず 三島大社の御子神にして塚本の社 本社なるべし云々と云り こは肥田村名によりて引手の約とせる説なれば信難し
又 一説に江梨村大瀬明神なるべし 神階帳に正四位上 潮の明神とみゆ 三津村 氣多明神の舊記に 七浦の總鎭守の神 御潮大明神云々と記せろ等を以て所囚ある神なることを知べし 斯て引手力命なるべしと云 故は天武天皇紀十三年十月壬辰逮ニ于人定 大地震云々時 伊豫ノ溫泉没シテ 而不出 土佐ノ國 田苑五十餘頃没シテ海ト 古老ノ曰 若是地動未ニ會テ有ヲ也 是ノ夕有ニ雷馨如 鼓聞ユニ于束ニ 有人曰 伊豆ノ島ノ西北二面ニ自然增益 三百餘丈 更ニ爲ニー島 則如キニ鼓音ノ者 神造ル 是ノ島ヲ響ナリ也と 有事迹を孜るに此 大瀬崎 則 全國の西北隅に當りて 疑ひ無く此ノ時 神造に成し所と聞え 增益三百餘丈更ニ為ニ一島と有るに 能くも適當せる所なるに既く先輩も云る如く 土佐の國地を引來て縫ひ付給へる事と聞ゆれば 其御事實に因りて 引手力と云 御稱を負せ奉れる事と思はるれば也 然れば古くより弓引業をはじめ手力を用ふる事に幸給ふ 神驗の著明なるも 神名に協へる事也と云るによりて 縣の註進にも此地と定めたれば 姑く之に從ふ されど天武紀の地震の事を引きて 此神の引來て縫付玉へるならんと云ひ 引手力命と云に 弓引業手力を祈るに驗ありと云を證としたるは附會に近し 猶よく考べき也
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
引手力男神社(伊東市十足)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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