九頭神廃寺史跡公園(枚方市牧野本町)〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地〉

九頭神廃寺史跡公園くずみがみはいじ しせきこうえんは 大阪府枚方市牧野本町にあります 九頭神廃寺は飛鳥時代後期から奈良時代にかけて建立された古代寺院で 平安時代に廃絶したものと考えられています 寺院地の南西角部に『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地が 隣接して造営されていたことも判明しています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

九頭神廃寺史跡公園Kuzumigamihaiji shisekikoen
〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

大阪府枚方市牧野本町1丁目32−18

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の旧鎮座地

【創  (Beginning of history)】

『河内名所図会(Kawachi Meisho Zue)』〈享和元年(1801年)刊〉に記される伝承

【抜粋意訳】

久須々須美神社(くすすみのじんじゃ

延喜式に出る

坂村の属邑(ぞくむら)葛上村(かつうえのむら)にあり

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『河内名所図会』選者:秋里籬島/画家:丹羽桃渓[数量]6冊[書誌事項]刊本 ,享和01年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003102&ID=M2018050217115928156&TYPE=&NO=

『河内』大正14年(1925)に記される内容

【抜粋意訳】

第四章 第一節 式內社

須々美神社

祭神 (三)詳ならず、

祭日 九月七日
社格 村社

所在 (志)在ニ 葛上邑 邑属二 坂村、(名)(三)坂村之内九頭神村、(四)(六)(八)坂村属邑葛上、(五)坂村、葛上村界・ (七)今 枚野村大字阪の葛上 (北河内耶收野村大字坂 )

【原文参照】

太田亮 著『河内』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/98213

太田亮 著『河内』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/98213

【由  (History)】

大阪府埋蔵文化財調査報告2009-4
 九頭神遺跡府営枚方牧野東住宅建替第5期工事に伴う調査

【抜粋意訳】

第2章  九頭神遺跡の立地と環境

第3節  九頭神遺跡の既往の調査

・・・
・・・〈中略〉
・・・

『河内志』の「久須々美神社」所在を述べた記事に従えば葛上廃寺となり、字名の明治初年の九頭神をあてれば九頭神廃寺となる。この神社は村社として近代まで字九頭神にあったといわれている延喜式内社である。明治42年3月11日に大字阪字一ノ宮の延喜式内社「片埜神社」に合祀され、その後は荒地になったといわれている。石田茂作、大脇正一、藤澤一夫などによって出土瓦の研究は進められたが、寺院跡の探求は進展せず、伽藍配置などは全く不明のまま付近は宅地化されていく。

【原文参照】

大阪府埋蔵文化財調査報告2009-4 九頭神遺跡 府営枚方牧野東住宅建替第5期工事に伴う調査 大阪府教育委員会 発行
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/4552

九頭神廃寺史跡公園(くずみがみはいじ しせきこうえん

 九頭神廃寺は飛鳥時代後期から奈良時代にかけて建立された古代寺院で、平安時代に廃絶したものと考えられています。字「ドンドン山」付近では、明治20年代銅造(ドウヅクリ)誕生釈迦仏立像(タンジョウシャカブツリュウゾウ)(市指定文化財)が発見されたほか、昭和8年には焼けた土壇(ダン)とともに鉄釘や青銅製品などが出土し、確かな古代寺院存在の証が得られました。しかしその後、付近一帯は宅地化され、時には幻の古代寺院などと呼ばれることもありました。

 昭和58年以降、発掘調査を精力的に実施し、塔跡(瓦積基壇(カワラヅミキダン))が発見されたほか、周辺部でも建立氏族の居館と目される、大型掘立柱建物群(第168次調査)が検出されるなどの発見が相次いでいます。
延喜式内社 久須々美(エンキシキナイシャ クススミ)神社(氏神)が 寺院地の南西角部に隣接して造営されていたことも判明しており、付近一帯は寺院(氏寺)を取り巻く古代の景観を具体的に復元できる、重要な地域として注目されます(図1)。

 平成17~19年にかけて実施した第206次調査では、寺院地の北西域の外郭施設や内部施設が良好な状態で見つかりました(図2)。外角施設としては、西面大垣(SF2・3)によって区画された二つの付属院地(倉垣院(ソウエンイン)と北西院)と寺院地内道路などがあります。付属院地は、塔などの中心伽藍周辺部に造営された寺院経営にかかわる施設で、さまざまな役割に分かれていたと考えられています。これら付属院地の検出は地方寺院では初の検出例となるもので、その意義には計り知れないものがあります。

 ここに大阪府などの関係機関の御協力を得、倉垣院を中心とする範囲と外郭施設の一部の永久的な保存を図り、「市指定史跡 九頭神廃寺」として整備することとなりました。生きた歴史教育の場として、かつ地元の皆さまの憩いの場として広く活用されますことを切望致します。

 平成22年3月 枚方市教育委員会

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地

九頭神廃寺史跡公園の案内に延喜式内社 久須々美(エンキシキナイシャ クススミ)神社(氏神)が 寺院地の南西角部に隣接して造営されていたことも判明しておりとあり その(図1)には図示されています

(図1)

その推定地とする場所を「Google Map」で示します

この場所には 参拝時〈2021/7/29〉には 空き地となっていて 片隅に祠が祀られていました

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

〈『延喜式』久須々美神社の現在の合祀先

・片埜神社(枚方市)に合祀

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内國 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)交野郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 久須々美神社
[ふ り が な ](くすすみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kususumi no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の「久須(くす)」の名の付く式内社について

大和國 城下郡 久須々美神社(くすすみの かみのやしろ)

・久須須美神社(田原本町蔵堂)〈村屋坐彌冨都比賣神社 境内〉

河内國 交野郡 久須々美神社 鍬(くすすみの かみのやしろ)

・片埜神社(枚方市)に合祀

〈久須々美神社の旧鎮座地〉九頭神廃寺跡(枚方市牧野本町)

延喜式内社 若狭國 遠敷郡 久湏夜神社(くすやの かみのやしろ)

・久須夜神社(小浜市堅海)

・大神岩(小浜市堅海)〈久須夜神社旧地〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京阪本線 牧野駅から東南方向へ約1.4km 徒歩での所要時間は20~25分程度

『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地に参着

推定地の場所は 参拝時〈2021/7/29〉には 空き地となっていました

その片隅に祠が祀られていました

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祠の内部を見ると 稲荷の祠のようです

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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ここから北に200m程の所に

九頭神廃寺史跡公園枚方市牧野本町〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地に参着

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現在は公園となっていて 北側の入口に銘石板があります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 久々須美神社について 所在は゛坂村之内 九頭神村に在す、゛〈現 九頭神廃寺史跡公園枚方市牧野本町〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地〉と記しています

【抜粋意訳】

久々須美神

久々須美は假字也

○祭神詳ならず

○坂村之内 九頭神村に在す、河内志、同名所圖會〕

河内志、々誤、と云り、こは村名よりしての臆説なるべし、然るは總國風土記に、久須々美神社と書き、大和にも同名あれば、く改めがたし、故に本のままに記す、井土氏も異諭なし、

類社
 大和國城下郡 久須々美神社

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 久々須美神社について 所在は゛ 坂村属邑 上にあり、゛〈現 九頭神廃寺史跡公園枚方市牧野本町〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地〉と記しています

【抜粋意訳】

久須々美神社、

 坂村属邑 上にあり、〔河内

醍醐天皇 延喜の制、祈年祭幣の外に鍬一口を加奉る〔延喜式〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 久々須美神社について 所在は゛村 葛上村の界(北河内郡牧野杜大字坂)゛〈現 九頭神廃寺史跡公園枚方市牧野本町〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地〉と記しています

【抜粋意訳】

久須々美(クススミノ)神社

祭神

祭日 九月七日

社格 村社

所在 村 葛上村の界(北河内郡牧野杜大字坂)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

九頭神廃寺史跡公園枚方市牧野本町〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地 (hai)」(90度のお辞儀)

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河内国 式内社 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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