平館天神社(へだて てんじんしゃ)は 平舘地区 名戸川原(なづがっぱら)と呼ばれる水田〈湿地帯〉の中にある磐座の中に社が祀られています 古代には゛火雷天神゛゛田の神天神゛と称されていて 口碑では 延喜式内社 安房国 朝夷郡 天神社(あまつ かみのやしろ)と伝わります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天神社(tenjinsha shrine)
【通称名(Common name)】
平館天神社(Hedate tenjinsha shrine)
【鎮座地 (Location) 】
千葉県南房総市千倉町平館292番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
〈古代には 火雷天神 田の神天神〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
祈心願成就
〈地域の人々は お宮参り 七五三は こちらでご参拝されます〉
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
平館天神社
祈心願成就
学問の神 菅原道真公祀る
古代
火雷天神
田の神天神 と信仰される平館区
現地立札より
【由 緒 (History)】
安房6社の式内社と口碑にある
地域の人々は お宮参り 七五三は こちらでご参拝されます
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿〈磐座の内に鎮座〉
・磐座
・石祠
・馬の背
〈゛雷神に首を切られた馬の首が 雷神の尾に食いついた゛との云い伝え 馬が鞍を付けた形なので 馬の背と呼ばる石〉
・古い手水鉢
・東側の参道
・南側 表参道
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・カエル岩
〈かえるの顔に見えるので゛かえる岩゛〉
後ろに見える杜は 平館天神社
・神楽石・礫石
神楽石
〈能を演じていた獅子(しし)と蝦蟇(がま)が 雷神に石にされてしまったとの云い伝え〉
礫石
〈鎌倉時代 安房國朝夷(あわのくにあさひな)の住人が 朝夷山(あせーなやま)から投げ飛ばした石との云い伝え〉
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)安房国 6座(大2座・小4座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)朝夷郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天神社
[ふ り が な ](あまつかみのやしろ)
[Old Shrine name](Amatsukami no yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 安房国 朝夷郡 天神社(あまつ かみのやしろ)の論社について
・天神社(南房総市白浜町)
〈下立松原神社に合祀〉
・平館天神社(南房総市千倉町)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR内房線 千倉駅から県道187号 と 房総フラワーライン/R410号 を南下して千倉町平舘地区まで 約2.8km 車6分程度
平舘地区 名戸川原(なづがっぱら)と呼ばれる水田〈湿地帯〉に鎮座します
東側の参道から
平館天神社(南房総市千倉町)に参着
南側にも参道が伸びていて こちらが表参道のようです
東からの参道が 一の鳥居と二の鳥居の間で 表参道に交わっています
一礼をして 一の鳥居をくぐります
二の鳥居の先には 磐座の中に本殿が祀られています
本殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
境内は すべてが磐座のようなイメージで 西側には〈゛雷神に首を切られた馬の首が 雷神の尾に食いついた゛との云い伝え 馬が鞍を付けた形なので゛馬の背と呼ばる石゛ 〉があります
〈古代には 火雷天神 田の神天神〉と呼ばれていたらしく そんな感じの境内です
社殿に一礼をして 南参道を戻り カエル石に向かいます
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 天神社について 所在の特定はなし 大伴氏との関わりについて 記しています
【意訳】
天神(アマツカミ)社
〇天押日命
国造 阿波国造 天穂日命 穂日當押日 孫 大伴直 大滝定賜
〇按 景行天皇 狩此国 六鳫命賜氏 膳大伴部以大伴押日命裔為 国造乃其為大伴部乎
続後記 承和3年12月 辛丑 安房国安房郡人伴直家云々万葉 朝夷郡 上丁九子連大歳云々 按 九子与伴同祖
〇信友云う 姓氏録 大伴宿祢条 可考
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
式内社 天神社について 所在は 下立松原神社に合祀される以前のことですが 瀧口村の小鷹大明神〈現 下立松原神社(南房総市白浜町滝口)〉だと記しています
【意訳】
天神社
天は 阿女と訓ずべし
〇祭神 大己貴命 少彦名命 地名記
瀧之口村に在す 今 小鷹大明神と称す 今安房郡に属す類社 山城國綴喜郡 天神社 の条見合うべし
社領 当代 御朱印高14石
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
式内社 天神社について 所在は 瀧口村と記しています
【意訳】
天神社
祭神
祭日 3月15日
社格 村社
所在 瀧口村(安房郡長尾村大字瀧口)
【原文参照】
平館天神社(南房総市千倉町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)