越知神社 里宮(おちじんじゃ さとみや)は 第44代 元正天皇 養老二年(718)泰澄は仏像を作り 越知山頂(612m)に社堂を建て「越知山三所大権現」と称して祀ったのが始まり 当地はその遥拝所にあたります 一説には延喜式内社 越前國丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社とされます

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
越知神社 里宮(Ochi shrine satomiya)
【通称名(Common name)】
・越智神社遥拝所
【鎮座地 (Location) 】
福井県丹生郡越前町大谷寺42-4-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)
伊邪那美大神(いざなみのおほかみ)
火産霊神(ほむすびのかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)
大山衹神(おほやまつみのかみ)
八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)
少名彦名神(すくなひこなのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
越知山・越知神社
当社旧称 秀峰、越知山越知神の大講堂と称す。由緒をみるに持統天皇九年 沙門越の泰澄、越知山の天嶺に登り、心を神道に帰し、大願を発し神変不可思議の感得ありてより、諸国の靈所を開基し而して神護景雲元年この地大谷寺に環来して入寂したとある。社殿は第二代神官大谷義鷹の造営による。
御祭神
天照皇大神・大師像・美沙門天・観世音菩薩霊峰越知山頂(六一二米)御祭神
本殿・伊邪那岐大神 伊邪那美大神
大山祗大神 火産靈大神別山・天忍穂耳尊
奥之院・大己貴神
日宮神社・神饒速日尊・不動明王
神宝庫・観世音菩薩
千体地蔵堂・地蔵尊
大師堂・泰澄大師像
別山碑・天照皇大神宮・白山・日野山大権現・日吉大明神・文殊師利菩薩・八意思兼大神・大峯・竹生嶋大神現地案内板より

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越知神社
当社旧称秀峰、越知山越知神の大講堂と称す。由緒をみるに持統天皇9年沙門越の泰澄、越知山の天嶺に登り、心を神道に帰し、大願を発し神変不可思議の感得ありてより、諸国の霊所を開基し而して神護景雲元年この地大谷寺に環来して入寂したとある。社殿は第二代神官大谷義鷹の造営による。
御祭神 天照皇大神・大師像・美沙門天・観世音菩薩
霊峰越知山頂(612m)
御祭神
本殿・伊邪那岐大神 伊邪那美大神 大山祗大神 火産霊大神別山・天忍穂耳尊
奥之院・大己貴神
日宮神社・神饒速日尊・不動明王
神宝庫・観世音菩薩
千体地蔵堂・地蔵尊
大師堂・泰澄大師像
別山碑・天照皇大神宮 白山 日野山大権現 日吉大明神 文殊師利菩薩 八意思兼大神 大峯 竹生嶋大神
越知神社 由 緒
創立の年月不詳。
縄文・弥生の出土品等歴史は古く、越知大神を祀っていた。
泰澄和尚伝には、白鳳22年(682)三神家に生れた泰澄は14才より越知山に登り修業したという。
大宝2年(702)文武天皇より「越の大徳」鎮護国家の法師とされ、元正天皇の養老2年(718)泰澄は仏像を作り、越知山頂(612m)の社堂を建て「越知山三所大権現」と称して祀った。同6年元正天皇は当社に祈願し病が平癒した事から、神融禅師の号を授けた。
白山信仰の泰澄は僧行基と神亀2年(725)白山で会い、天平8年(736)唐に渡り沙門玄坊経論5,000巻を持ち帰った。
痘瘡流行を治めた功で天皇より泰澄の号を賜わった。文武・元正・聖武・称徳天皇の勅願所であったので、皇室の崇敬は厚かった。
正応4年(1291)鎌倉幕府より神領域が定められ、社領数百町歩、社家、神人職数百戸社頭隆昌し神事は盛大であった。
越知山古図に示されている通り社殿は広壮優美であったが天正年間(1573~)兵火に罹り全山の社殿は焼失した。
慶長年中(1596~)初代藩主結城秀康以来国主の祈願所として復興し神威は高まった。
氏子区域として丹生郡の糸生・殿下・萩野・越廼・国見・上岬・下岬・志津の8ケ村2,500余戸で坂井郡一円他の崇敬者数万人であった。
明治初期越知大権現の号を廃し、越知神社となる。
同18年郷社・同43年同村二ツ屋宮谷神社祭神天照皇大神・八意思兼神・少名彦名神を合祀。
本殿は伊勢湾台風で倒壊したので昭和52年再建。
数多くの古文書類(鎌倉13室町39安土桃山10江戸31)の多くは県立図書館に寄託され県歴史の重要な資料となり、境内の冷水独鈷水や千体地蔵尊、石仏群は史跡となっている。
福井県神社庁HPより
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20160915_123938
【由 緒 (History)】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
〇福井縣 越前國 丹生郡糸生(イトフ)村大字大谷寺
郷社 越知神社
祭神
伊邪那美(イザナミノ)神
大山祇(オホヤマヅミノ)神
火産靈(ホムスビノ)神當社の創始は 元正帝 養老二年 沙門泰澄、越知山の神靈を信仰して社堂を造立し、佛を作りて越知山三所大權現と稱せしより、神道佛事兼行して世に著はれたり、就中日々神饌の際、析を撃てば靈鳥來りて先食す、其後 神前へ献供す、俗に熊野鳥と謂ふ、每年生育して行く所を知らすと云ふ、一説に、延喜式丹生郡大山御板神社是ならんといふ、文武天皇の勅願をはじめ、稱德天皇の御代には 僕射吉備公、伴の安麿等勅を奉じて参向ありし事 社記に見ゆ、山麓の遥拝所は是亦 泰澄和尚の創立なり、和尚諸國の靈所を開基し、天平寶字二年 此處に閑居し、神護景雲元年十月 八十六歳にして大谷の仙窟に入定すと元亨釋書に見えたり、總神記に越知神社 三座と有り、亦 總神分には正一位越知三所大権現と記載せり、かく當社は國家鎭護の靈驗あるに依りて國主領主の信仰浅からず 寄附奉納等多く、今に所藏する處の承元弘安以來の舊記を見るに、西は海を限り、東は日野川を境すと、斯く神領多くありしが、朝倉家時代に至りてはー百町餘の社領となり、社家社僧も從って減少せり、其後 慶長年中 遙拜所分にても東西十七町南北三十町餘を領せしが 維新の際 現境内を除く外悉く上地となれり、今氏子は四十七ヶ村に涉り戸数二千四百餘戸を有せりと云ふ、名勝志に曰く「或記云 大實二年 泰澄自ら草結して峰頂に三所を創む、第一殿は越知娘日天子、本地上面観世音、第二殿は大己貴月天子、本地 阿彌陀如來、第三殿は別山大行事明星天子、誠に是補陀落の淨土也云々」と、かくて明治の初年郷社に列せらる。
社殿は本殿、拜殿、神供所にして、境内七千八百七十二坪 (官有地第一種 )を有し、高く越知山に在るを以て眺望顧る絶佳にして、遠く丹後崎若狭の海岸をながめ、洋々たる日本海足下に集まる、
先づ山麓に越知神社、遙拜所とて七間四面の建物及び泰澄入定所の舊跡あり、山上迄百町餘あるを以て、往古より國主領主此所迄参向遙拜あり、舊松平越前守時代 山上へは一代一度の定めなりしと云ふ、登山街道としては、東は遙拜所表道登口 糸生村小川、西は蒲生街道登り口 殿下村尼ヶ谷枝に武周大池道あり、南は武生町街道登り口 萩野笈松、北は福井市街道登り口 殿下村別畑ありて、この四方道共峯より十五丁に休所あり、本道には獨鉆水とて二ヶ所流水の湧出するものありと。
境内神社
別山神社
大汝貴(オホナムチノ)神社
別宮に対して奥社と稱す、大那牟遅命を祭り、天平寶字二年 能登國何某姓名不祥勧請す、女人結界の地なり日宮(ヒノミヤノ)神社
神饒速日命を祭る、大寶二年勅に依りて泰澄勧請し、越知山の地主の神是也、
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・越知神社 里宮 本殿

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・大師堂

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・泰澄太師御廟

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・〈墓碑〉九重塔

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国指定重要文化財
石造九重塔 泰澄太師御廟所
元享三年(一三二三)太師の供養塔として建立された。 (石工平末光作 )蓋石の厚い軒先の形は鎌倉時代の特色をあらわしており、焚字をかこむ月輪の二重円相は、この地方独特のものである。
平成三年三月 朝日町教育委員会現地立札より

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・秋葉大明神

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・境内社

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・越知神社 里宮 社頭 参道鳥居

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・越知山 大谷寺 本堂

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・越知山 大谷寺 山門 鐘楼

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・越知山 大谷寺

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越知山大谷寺縁起
大谷寺は、泰澄大師の開創、一三二九年の歴史を誇る北陸屈指の古刹である。
奈良佛教の盛期に、我国古来の神を尊崇し佛の信仰を併せて行う、本地垂迹神佛習合の説を流布して、山野を跋渉し、大いに道路を開拓して、民衆の教化に専念された越の大徳・泰澄大師が、本拠の地として苦修練行された処で、ここに越知山三所大権現の御本地佛、地主大聖不動明王を自ら彫んで安置し、威験無双の廟社を創建された。 時に持統天皇六年(六九二)と伝えられ、故に北陸佛法最初の霊場と称される。この寺は、父三神安角氏の財力勢威を以て その歳僅かに十一歳の泰澄大師の熱意を汲み創建されたもので、後に泰澄大師はこれより西の越知山・日野山・文殊山・吉野岳・白山等々に登峰されご修行、諸国を巡錫された。
天平宝宇二年(七五八)七十七才の時ご帰山、神護景雲元年(七六七)御歳八十六才にして大谷寺でご遷化された。 泰澄大師の御廟所を中心に一山の盛時は実に一千坊と言われて、大谷寺の本坊は大長院と呼ばれて来た。 永い歴史とあらたかな霊験を今そのままに伝えている。
本坊東方に位置する大谷寺サンガパークはこの歴史と伝統の名刹に設けられた、宗旨、宗派を問わない全ての人たちの霊地である。
泰澄大師の遺徳に抱かれて、永遠に眠る魂の故郷であり、明るさ一杯の仲良したちが集う広場である。
所蔵の寺宝、文化財は国の重要文化財、県指定文化財、町指定文化財等、その数も多く訪ねる人々の心安らぐ霊場と言われている。現地案内板より

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・〈越知山 山頂〉本宮

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・越知神社
・日之宮神社
・千体地蔵堂
・大師堂
・奥の院
・〈別山 山頂〉
・別山神社
・別山碑〔白山妙理大権現、日吉山王七社権現、竹生嶋辨財天、天照皇太神、日野山大権現など〕
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大山御板神社
[ふ り が な ](おほやまみたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ohoyamamiita no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社〔7社〕について
・舟津神社(鯖江市舟津町)
〈相殿に大山御板神社を祀る〉
・春日神社(鯖江市鳥井町)
・八幡神社〈五社宮〉(福井市片粕町)
・大洗磯崎神社(丹生郡越前町乙坂)
・神明神社(越前市三ツ口町)
〈明治41年 現 神明社(越前市若竹町)に合祀〉
・神明神社〈上総社〉(越前市若竹町)
〈明治41年 神明神社(越前市三ツ口町)を合祀〉
・越知神社(丹生郡越前町大谷寺)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR福井駅から県道6号・県道3号経由で西北方面に約17.1km 車での所要時間は30~35分程度

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越知山 大谷寺に到着

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ここは越知山から北東方向に直線距離5.3㎞の地点 別当の越知山大谷寺があって 裏山は 地元では元越知山(標高200m)と呼ばれています
越知山 大谷寺の北側に元越知山への登山道があり その横に越知神社 里宮が鎮座しています

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越知神社 里宮(丹生郡越前町大谷寺)に参着

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一礼をして鳥居をくぐります

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境内の向かって右には境内社 秋葉大明神

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本殿にすすみます

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本殿の案内板

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の向かって左 境内社

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境内社と本殿の間を上に上がって行くと 大師堂が建ちます

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さらに上へあがると 泰澄太師の廟があります

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お祈りをして 境内を戻ります

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本殿に一礼をして 参道を戻ります

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越知山 大谷寺 本堂に立ち寄り お祈りをします

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大山御板神社について 所在は゛往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大山御板神社
大山は於保夜麻、御板は三太と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕三太
○祭神 猿田彦大神〔官社考〕
○往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、〔同上〕
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大山御板神社について 所在は゛今 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大山御板(オホヤマミタノ)神社、
今 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、〔福井藩神社取調帳、敦賀縣神社調〕
盖 大毘古命、孝元天皇を祀る、〔本社傳説 ○按 傳説云、昔大毘古命 高志の賊を伐時、猿田彦命の神教を得て 之を平く、依て社を建て之を祭る、諸書 皆此説に從ふ、然れども孝元天皇を祭るを以て之を考るに、猿田彦命 大毘古命と其名 相似るを誤るものなる事著し、故今之を訂す、〕
凡 其祭九月九日之を行ふ、〔明細帳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大山御板神社について 所在は゛上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています
【抜粋意訳】
大山御板神社
祭神 猿田毘古命 孝元天皇
今按 本社傳說に祭神右の如し 昔 大毘古命 高志の國を伐つ時 賊ありて要擊せんとす 然るに猿田毘古神の神教に因て其賊を討平げ 終に社を建て之を祭るとみえ 神社覈録にも祭神 猿田毘古命とあり 故今 社傳に因て記せり
祭日 四月二十二日 九月九日至十一日
社格 縣社所在 上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)
今按 本社往古は逢山の嶺に鎭座ありしを 至徳四年以來の戰に兵焚に罹りしを以て 應永二十一年 舟津神社に合せ祭る 此社をもと上宮と稱し 舟津社を下宮と稱し 今に神輿二基ありて秋祭に渡御し奉るとみえ 本社に孝元天皇を祭り 舟津社に大毘古命を祭れるは もとより由緣ありての事なれど舊址に神社を再興あらまほしき事なり
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
越知神社 里宮(丹生郡越前町大谷寺)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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