大幡神社(おおはたじんじゃ)は 『佐渡神社誌』に由緒として『元緑寺社帳』に貞觀三年(861)の創設とあり 一説には延喜元年(901)の創祀とも伝えています 『三代實録』に大庭神『延喜式』に佐渡國 賀茂郡 大幡神社(をほはたの かみのやしろ)です 往時は佐渡北部24ケ村の總鎭守で 明治には縣社に列しています

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大幡神社(Ohata shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
新潟県佐渡市大倉12
〈旧住所〉佐渡郡相川町大字大倉12番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大股主命(おおまたぬしのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・ 国史に記載される神社
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇實録』『日本三代實録』)に記載されている神社〉
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
島民が選んだ、島の宝 53 大幡神社(Ohata shrine)
醍醐天皇の命により編集され、927年に完成した延喜式神名帳に記載された式内社。
当時、地方の名社として崇拝されていたと思われる式内社が佐渡島内には9つも存在する。大幡神社は式内九社の第八にして、往時は佐渡北部二十四ケ村の總鎭守となっていた。
佐渡百選実行委員会
現地案内板より

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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
新潟縣 佐渡郡 縣社
〇新渴縣 佐渡國 佐渡郡外海府(ソトカイフ)村大字大倉
縣社 大幡(オホハタノ)神社
祭神 大股主(オホマタヌシノ)命
大股主命は大幡主命なり、蓋し國音マとハとは相通ず、大幡主命はもと大若子命といふ、天御中主尊の裔 彦久良伊命の子なり、垂仁天皇の朝北狄を平げたる功によりて、大幡主命と改め稱せしめられきといふ、
此神、人に憑りて詠みたまへるものと傳ふる歌あり。
「天てらす神の教をます人のなはき心にうけやたもたん」
「あめつちのやしなひ立てしかひもなく外の教を守る世の人(佐渡志)」社の創建は清和天皇 貞観三年にかかる(社記) 一説 醍醐天皇の延喜元年の創祀なりともいふ、延喜の制小社に列せられ、當村の産土神たり、明治六年四月縣社 兼 郷社に列す、境内三百四十二坪(官有地第一種)、社殿は本殿、拝殿を備へ、東には檀特山の餘脈蜿蜒として聯亘し、山上老樹々殊に槻の木多し。
例祭日 陰曆九月十一日
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション HTTP://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション HTTP://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
【由 緒 (History)】
『式内社調査報告第十七巻』昭和59年に記される内容
【抜粋】
佐渡國 賀茂郡 大幡神社
【由緒】
『佐渡神社誌』には由緒として『元緑寺社帳』に貞觀三年(八六一)の創設とあり、一説には、延喜元年(九○一)の創祀なりとも云へり。式内九社の第八にして、往時は佐渡北部二十四ケ村の總鎭守たりし也。
祭神に就ては異説少なからず。『寶暦寺社帳』には大股主命とあり。こは開化天皇の第三皇子 比古座王、即ち後の四道将軍の内なる丹波道主命の長子なり。狹穗彦の變に方り、其家長たるの責を負ひ、豫て叔父 大彦命に従ひ此地に至りし縁由もて、再ぴ佐渡に渡り朝廷に對し謹愼の意を表し、地方開發に努めたりと云ふ。又の説に、大股主命は大幡主命にて、大若子命とも稱し、天御中主尊の裔 彦久良爲命の子なり。垂仁の朝北狄を平げたる功に依、大幡主命と改稱せられしと云ふ。明細帳の大股主命とあるは後考を要す(大股主の股は服の誤寫ならん)とする。
今村人の語るところでは、「昔 祭神がこの村へきて賊を退治した。その場所は村はずれのワセリという場所で、その時矢を射たところがウツボガヒラ、隣村のヤガラ(失柄)はその時の矢がらがとんだところ」と説明する。また、次のやうな傳承がある。「神社の下方に住んでいる木戸豊左エ門は平家の落人で、昔この沖を船で通った折、海岸に白旗が立っていたので、こゝにあがった。大幡神社は木戸豐左エ門がおまもりをすることになっており、神社の掃除・流鏑馬(やぶさめ)の射手さんの食事給與など、今に木戸豐左エ門家が面倒をみる。」と云ひ傳へてゐる。この傳承は大幡神社が海人によってもたらされたことを主張するものであらうか。
神階については三代實録 元慶七年(八八三)二月二日己亥條に「授二佐渡國正六位上大幡神従五位下」とある。明治三十九年懸社に列した。
尚 大幡社は吉井の青龍寺村(現在の兩津市旭〉から移轉したといふ傅承が國仲地方にある。
【原文】

『式内社調査報告第十七巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
大庭神として 神位の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷四十三 元慶七年(八八三)二月二日己亥
○二月戊戌朔 二日己亥
授に 佐渡ノ國 正六以上 大庭神に從五位下を
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)佐渡國 9座(並小)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 大幡神社
[ふ り が な ](をほはたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wohohata no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神「大股主命(おおまたぬしのみこと)」について
『佐渡神社誌』大正15年(1926)に記される伝承について
大股主命(おおまたぬしのみこと)は 開化天皇の第三皇子 比古座王(丹波道主命)の長子
又は 大幡主命(おおはたぬしのみこと)の別名 大若子命とも称し 天御中主尊の裔 彦久良爲命の子 とも記されています
【抜粋意訳】
外海府村 縣社 大幡神社
祭神 大幡主命
由緒
元祿寺社帳に貞観三年の創設とあり一説には延喜元年の創紀なりとも云へり式内九社の第八にしで 往時は佐渡北郎二十四ヶ村の總鎮守たりし也
祭神に就ては異説少なからず
寶暦寺社帳には大股主命とあり こは開化天皇の第三皇子 比古座王 即ち後の四道將軍の内なる丹波道主命の長子なり 狭穂彦の變に方り其家長なるの責を負ひ豫て叔父 大彦命に從ひ此地に至りし縁由もて再び佐波に渡り朝廷に對し謹愼の意を表し地方開發に努めたりと云ふ
又の説に大股主命は大幡主命にて大若子命とも稱し 天御中主尊の裔 彦久良爲命の子なり 垂仁の朝北狄を平げたる功に依 大幡主命と改稱せられしと云ふ 朋細帳の大殿主命とあるは後攻を要す(大股主の股は服の誤寫ならん)
【原文参照】

新潟県神職会佐渡支部 編『佐渡神社誌』,新潟県神職会佐渡支部,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971197
【抜粋意訳】
佐渡國神社 祭神列傳
○大幡主命
本ノ御名を大若子命と申す、天御中主神の裔 彦位命の第一子にして 垂仁天皇の卸時 北狄〔越後〕を平けれる功に因りて大幡主命と云ふ御名を賜はられ 伊勢大神宮 御鎮座の御伴にも仕へ奉りて 太神主となり 又 雄略天皇の御代 外宮御鎮座にも仕奉りしと云ふ、倭姫命世記に大若子命の社を定む大閻社(オホハシノヤシロ)と云ふと有り、伊勢太神主の祖也、縣社 大幡神社に祀らる、此神の神詠と稱するもの倭論語に見ゆる中に『天照神の教を益人の直き心に受けや保たん』といへるがあり、太神主たりし大幡主の詠としてはふさはしきにても大幡神社 祭神の大幡主なること思ひ見るべし
【原文参照】

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
佐渡汽船 両津港から県道45号経由で海岸線を北回りして 約52.8km 車での所要時間は65~75分程度
両津港を出て 佐渡一周道路を北上します

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佐渡島の北端には「亀」の名を持つ景勝地が 二つあります
一つは 地殻変動(変形)を受けた泥の岩石(泥岩)の「二ツ亀(ふたつがめ)」

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一つは 日本三大巨岩の一つ 標高167メートルの一枚岩が海に突き出す「大野亀(おおのかめ)」

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そのまま佐渡一周道路(県道45号)で 佐渡島の西海岸を南下して 大倉の集落の南端に流れる沢に沿って山側へ歩きます

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すると朱色の橋があります

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橋の欄干には「大幡神社 御神橋」と記されています
大幡神社(佐渡市大倉)に参着

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御神橋を渡ると 参道は山裾へと上がって行きます

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大幡神社祭礼行事の案内板が設置されています
大幡神社祭礼行事(おおはたじんじゃさいれいぎょうじ)
相川地区大倉の大幡神社の祭日はかつて9月11日とされていたが、現在は4月11日に変更されている。
大幡神社の祭礼に神事として奉納されるやぶさめは古式豊かなもので、射手には12歳の2人の少年が選ばれ、神官とともに祭りの7日前から宮に籠り、海で禊(みそぎ)をする。太鼓が祭りの始まりを告げると、神事式に続いて、前庭でシキ・棒振り・箱馬・獅子・豆蒔・薙刀が行われる。それが済むと神輿の渡御(とぎょ)となり、薙刀が先頭になって露払いをして進み、神輿は浜に設けられた御旅所へと向かう。神輿が到着すると太鼓と獅子の「ゴマイ」が奉納され、その後やぶさめ神事が行われる。
やぶさめの射手を務める少年は黒紋付・白はちまき・白襷・白足袋を身にまとい、色紙で飾り付けられた笠をかぶる。最初の射手を「カミノマト」、次の射手を「ツギノマト」といい、前者は国家安泰という公の祈願、後者は各家の私的な祈願をし、3つの的に矢を射当てる。なお、このやぶさめが始まる頃には必ず北風が吹くといい、これは神様がアイの風(北風)に乗ってくるためと伝えられている。
現地案内板より

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西へ伸びている参道を 東方向へ上がって行くと 境内入り口に南方向を向いて木製の両部鳥居が建てられています

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参道石段の脇に「秋葉山」と刻字された石

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境内に近づくと石段の両脇には 石垣があり 案内板も設置されています

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南を向いている鳥居の前には 西を向いて狛犬が構えています

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社号標には「縣社 大幡神社」と刻字されています

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社号標の手前には「手水鉢」が置かれています

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社殿は 鳥居と同じく南方向を向いています

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一礼をしてから鳥居をくぐり抜けて 境内へ進みます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には幣殿 本殿が祀られています

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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鳥居を抜けて参道を下ります
眼下に日本海が見えています

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村の伝承によれば 旧鎮座地について
「もとはいまの社地から四、五〇メートルほど離れた村はづれの低地にあったとする傳へをのこしている」その場所は必ずしも確定できない「ハラフト」と云う場所にあったする記録が村に残っているらしい
参道の両側どちらかの下手にあった筈です
参道の右手(北側)です

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参道の左手(南側)です

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 大幡神社について 所在は゛大倉村に在す゛〈現 大幡神社(佐渡市大倉)〉と記しています
【抜粋意訳】
大幡神社
大幡は於保波と訓べし
○祭神詳ならず
○大倉村に在す、〔略風土記〕
例祭 九月十一日
神位
三代実録、元慶七年二月二日己亥、授二 佐渡國 正六位上 大幡神 従五位下
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 大幡神社について 所在は゛大倉村に在り、大幡大明神と云ふ゛〈現 大幡神社(佐渡市大倉)〉と記しています
【抜粋意訳】
大幡(オホハタノ)神社、
今 大倉村に在り、大幡大明神と云ふ、
凡 九月十一日を例祭とす、〔佐渡風土記、神名帳考、神社覈録〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 大幡神社について 所在は゛大倉村(佐渡郡外海府村大字大倉)゛〈現 大幡神社(佐渡市大倉)〉と記しています
【抜粋意訳】
大幡神社
祭神
今按 佐渡志に大幡主命を祀れるにやと疑ひたり明細帳に大股主命を祭ると云るは何に據りたるか疑はしければ従ひがたし 志に云へる説は豐受宮禰宜轉補次第に大若子命 一名 大幡主命云々 彦久良爲命第一子也 越國荒振凶賊 阿彦在 天不從皇化取平仁罷止 詔天 標劔賜遣亥 即 幡主罷行取平 天返事白時天皇歓給天大幡主名加給支とある大幡主命の名と社號と似たる上に越國に下りしこともあればかくよれるなるべし されど大幡神必しも大幡主命とは定めがたくなむ
神位
陽成天皇 元慶七年二月二日已亥 授佐渡國 正六位上大幡神従五位下祭日 九月十一日
社格 縣社所在 大倉村(佐渡郡外海府村大字大倉)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
大幡神社(佐渡市大倉)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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