諏訪社(すわしゃ)は 下鴨神社の本殿左隣に鎮座する境内摂社 三井神社の三つ並んで祀られている本殿の向かって左手〈西側〉に 三つの境内社〈・諏訪社・小杜社・白鬚社〉が 並んで鎮座しています その内 一番奥〈北側〉のしゃが諏訪社です 延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社となっています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
諏訪社(Suwa sha)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府京都市左京区下鴨泉川町59(下鴨神社の本殿左側 三井神社の境内社)
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》建御方神(たけみなかたのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
重要文化財
摂社 三井神社(みついじんじゃ)
合祀(ごうし)摂社(せっしゃ)日吉社(ひよししゃ)(中社)
例祭 三月七日
御祭神
東社 伊賀古夜日賣命(いかこやひめのみこと)
中社 建角身命(たけつぬみのみこと)
西社 玉依媛命(たまよりひめのみこと)延喜式内の大社で、『風土記(ふどき)』山城國 賀茂社の条に「蓼倉里(たてくらのさと)三身社(みつみのやしろ)」とあるのは この社のことです。
三社とも重要文化財。末社
諏訪社(すわしゃ)
小杜社(こもりしゃ) 末社合祀 沢田社(さわだしゃ)(中社)
白鬚社(しらひげしゃ) 河崎社(こうさきしゃ) 賀茂斎院神霊社(かもさいいんしんれいしゃ)(南社)現地立札より
【由 緒 (History)】
重要文化財
三井神社(みついじんじゃ)
江戸時代 寛永六年造替
東社 伊賀古夜日売命(いかこやひめのみこと)
中社 建角身命(たけつぬみのみこと)
西社 玉依媛命(たまよりひめのみこと)『風土記(ふどき)』山城國 賀茂社の条に「蓼倉里(たてくらのさと)三身社(みつみのやしろ)」、『延喜式(えんぎしき)』に「三井ノ神社」とある神社です。
奈良時代から平安時代にかけて、このあたり一帯は蓼倉郷と呼ばれていました。三身社とは、ご本宮の賀茂建角身命とその妻、伊可古夜日売、その子玉依媛命のことであり、三神がまつられています。「西側の末社」
重要文化財 諏訪社 建御方神
重要文化財 小杜社 水分神
重要文化財 白鬚社 大伊乃伎命 別名 猿田彦神平安時代の当神社 社頭絵図「鴨社古図(かもしゃこず)」に描かれている神社です。各社の位置などは現在なおかわりません。
これらの神社は 糺の森(ただすのもり)を禁足地とし、ご社殿前の斎庭(ゆにわ)が葵草(あおいそう)と苔庭など自然の中にまつられる、古代神社の姿を伝える貴重な神社です。
また、拝殿をはじめ棟門などすべてが重要文化財です現地立札より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・諏訪社は 三井神社の三つの本殿の向って左(西側)にある 三つの末社・諏訪社・小杜社・白鬚社〉の一つです
三井神社については別記事を参照してください
・三井社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社 境内〉
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
三井神社(京都市左京区下鴨泉川町)の境内は 下鴨神社の本殿の向かって左手となります
下鴨神社について 別記事を参照してください
・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛宕郡 21座(大8座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 須波神社
[ふ り が な ](すはの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Suha no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社について
・須波神社(京都市北区上賀茂本山)
〈上賀茂神社の境内に鎮座〉
・六社〈由木社・印社・竈神・稲荷社・衢社・諏訪社〉の諏訪社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座する 河合神社の境内社 六社〉
・諏訪社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座する 三井神社の境内社 諏訪社〉
・静原神社(京都市左京区静市静原町)
・河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座〉
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
三井神社は 賀茂御祖神社〈下鴨神社〉の本殿に向かって左(西側)に鎮座してます
下鴨神社については 別記事を参照してください
・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)
賀茂御祖神社〈下鴨神社〉の西鳥居をくぐり抜けると すぐに三井神社の拝所となります
三井神社(京都市左京区下鴨泉川町)〈下鴨神社の境内攝社〉に参着
三井神社については別記事を参照してください
・三井社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社 境内〉
三井神社の本殿は 三つ並んで祀られています
その本殿の向かって左手〈西側〉には 境内社が三つ並んで鎮座します
諏訪社(京都市左京区下鴨松ノ木町)〈下鴨神社 本殿左側 〉に参着
諏訪社は その三つの境内社の内 一番奥〈北側〉です
〈本殿の向って左(西側)の三つの末社・諏訪社・小杜社・白鬚社〉
末社の拝所にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 須波神社について 所在は゛今別雷社楼門外に在す、諏訪社是歟゛〈現 須波神社〈上賀茂神社の摂社〉〉と記しています
その他の説として゛在ニ静原村平松山、稱ニ静原大明神゛〈現 静原神社(京都市左京区静市静原町)〉紹介していますが この説の根拠を知らないとしています
【抜粋意訳】
須波神社
須波は假字也
○祭神 健御名方命〔比保古○考証に、阿須波神と云り、今從はず、〕
○今別雷社楼門外に在す、〔考証」名跡志〕諏訪社是歟
○別雷社末社也山城志云、在ニ静原村平松山、稱ニ静原大明神、云々、其據を志らず、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 須波神社について 社号のみが記されています
【抜粋意訳】
須波(スハノ)神社
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 須波神社について 所在には諸説がある
゛別雷神楼門外に在す諏訪社゛〈現 須波神社〈上賀茂神社の摂社〉〉
゛御祖社 攝社河合社゛〈現 河合神社(下鴨神社の境内に鎮座)〉
゛三井の末社に各諏訪社゛〈現 下鴨神社の境内 三井神社の境内社 諏訪社〉
゛静原明神゛〈現 静原神社(京都市左京区静市静原町)〉
しかし 何れも確証がないが 諏訪社と云うものがあるので 廃絶したとは言い難いので 尚考証をしてもらいたいと記しています
【抜粋意訳】
須波(スハノ)神社
祭神
祭日
社格所在
今按 京都府式内考證に 當社考證 及 名跡志等に別雷神楼門外に在す諏訪社也と云ひ 今別雷神の説も又 稱すれども 頗る小祠にして 證するに足るものなし 御祖社 攝社河合社 及 三井の末社に各諏訪社あれども 亦徴すべからず 志云 静原明神なるもの是尤舊社にして 平庸の村社に非ず 今只據を知らざるを確信すべからずと云れど 諏訪社と稱するものあれば 廃社とは云難し 猶よく考べし
【原文参照】