一尾背神社(いちおせじんじゃ)は 創建について年代等は不祥ですが その歴史は古く 延喜式内社 大和國 宇智郡 一尾背神社(ひとをせの かみのやしろ)とされます 江戸時代以前は゛水分社゛と称し 現在も通称゛水分さん゛と呼ばれ 里人から篤い信仰があります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
一尾背神社(Ichiose shrine)
【通称名(Common name)】
・水分さん(すいぶんさん)
【鎮座地 (Location) 】
奈良県五條市北山町249
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》水分神(みくまりのかみ)
一尾背神(ひとおせのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
『大和志料』下巻〈大正3〉に記される内容
【抜粋意訳】
一尾背神社
同村大字北山にあり、式内村社たり、祭神詳かならず、俗に水分と稱す。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『奈良県史』第五巻 神社〈平成元年 奈良県史編集委員会編集〉より抜粋
9五条市
一尾背神社
(北山町字宮二四九)
北山町西谷から千早峠への急坂を約五〇〇メートル登った標高約四〇〇メートルの山腹に鎮座の宮を、式内小社の一尾背神社に比定されている。祭神は、明らかでないが、『大和志』に今、水神と称すとあり、明治の「明細帳」にも、祭神不明、往古より水分の神との口碑を唱え来ているとある。
諸頭講という宮講があり、宵宮の前日、水分さんの掛図を掛け、家庭祭祀を、二〇〇年前から輪番で行ってきているという。
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・高天岸野神社(五條市北山町)
〈里宮とも遥拝所とも 遷座先とも〉
延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天岸野神社(鍬)(たかまの きしの かみのやしろ)
・高天岸野神社(五條市北山町)
・〈境内石垣の上 境内社〉本殿向かって左横の境内社
・〈境内石垣の下 境内社〉・青木神社・桜木神社
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)大和國 286座(第128座(な月次新嘗・就中31座預り相詳細)・小158座(波官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)宇智郡 11座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 一尾背神社
[ふ り が な ](ひとをせの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hitowose no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神 水分神(みくまりのかみ)について
水分神(みくまりのかみ)は 神名の通り 水の分配を司る神とされます
゛くまり゛は「配り(くばり)」の意で 水源地や水路の分水点などに祀られます
水にかかわる神で 祈雨の対象 また 田の神 水源地に祀られる神として山の神とも結びついています
日本神話によれば
『古事記』には
・天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)〈父:速秋津比古神・母:速秋津比賣神〉
その他の文献などの表記
・国水分神(くにのみくまりのかみ)・天水分神(あめのみくまりのかみ)・水分命(みくまりのみこと)・水分神(みくまりのかみ)
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水分神(みくまりのかみ)を社号に持つ 大和國の式内社
一尾背神社(五條市北山町)は ゛水分さん(すいぶんさん)゛と呼ばれていて 御祭神を 水分神(みくまりのかみ)とする説があります
大和國の式内社に社号として水分神(みくまりのかみ)は次の4つの神社があります
大和国 葛上郡 葛木水分神社(名神大 月次 新嘗)(かつらきの みこまりの かみのやしろ)の論社
・葛木水分神社(御所市関屋)
大和国 吉野郡 吉野水分神社(延・大 月次 新嘗)(よしのの みこまりの かみのやしろ)の論社
・吉野水分神社(吉野町吉野山)
大和国 宇陀郡 宇太水分神社(大 月次 新嘗)(うたみこまりの かみのやしろ)の論社
・惣社水分神社(宇陀市菟田野上芳野)
・宇太水分神社(宇陀市菟田野古市場)
・宇太水分神社下社(宇陀市榛原下井足)
大和国 山辺郡 都祁水分神社(大 月次 新嘗)(つけの みこまりの かみのやしろ)の論社
・都祁水分神社(奈良市都祁友田町)
・都祁山口神社(奈良市都祁小山戸町)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
京奈和自動車道 五條インターチェンジから北上 約4.3km 車10分程度
国道310号の金剛トンネルから 五條市方面に下ると 標高400m程に左に分かれる小道があり これを下るとすぐです
道路沿いに゛割拝殿゛が建つのですぐにわかります
一尾背神社(五條市北山町)に参着
一礼をして 割拝殿をくぐり抜けると 正面に朱色の鳥居が二つ
正面が 〈式内社〉一尾背神社
右側が 〈式内社〉高天岸野神社〈里宮とも遥拝所とも 遷座先とも〉
左側に 境内社が一宇
鳥居の先に 御垣に囲まれて本殿があり 神門が拝所となっています
拝所にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
向かって右隣の式内社に お祈りをします
延喜式内社 大和國 宇智郡 髙天岸野神社(鍬)(たかまの きしの かみのやしろ)
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 一尾背神社について 祭神は不明 所在について゛北山村に在す、今水分と称す゛〈現 一尾背神社(五條市北山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
一尾背神社
一尾背は比登乎勢と読り
○祭神詳ならず
○北山村に在す、今水分と称す、〔大和志、同名所図会〕
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 一尾背神社について 祭神は不明 所在について゛北山村にあり、水分といふ゛〈現 一尾背神社(五條市北山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
一尾背(ヒトヲセノ)神社
今 北山村にあり、水分といふ、
凡 毎年九月九日祭を修む、〔大和志、同名所図会、奈良縣神社取調書〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 一尾背神社について 祭神は不明 所在について゛北山村字水分゛〈現 一尾背神社(五條市北山町)〉と記しています
【抜粋意訳】
一尾背(ヒトヲセノ)神社
祭神
祭日 九月九日
社格 村社所在 北山村字水分 (宇智郡牧野村大字北山 )
【原文参照】