麻續神社(明和町中海)

麻續神社(おおみじんじゃ)は 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 麻續神社をみの かみのやしろの論社であった豊城入彦命を祀る中麻續神社明治451912村内の佐賀茂神社田中神社粟須美神社美里神社宇気比神社須賀神社の6社が合祀され その際に麻續神社と改称されたものです

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

麻續神社(Ohomi shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県多気郡明和町大字中海 87

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
〈第10代崇神天皇の皇子〉

《配》豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)〈第10代崇神天皇の皇女〉
   須佐之男命(すさのをのみこと)
   応神天皇(おうじんてんのう)
   大己貴命(おほなむちのみこと)
   宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと)
   豊受比(とようけひめのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

麻續神社   – おおみじんじゃ –

 当神社は国史跡『斎宮跡』の北に広がる田園地帯に鎮座する。近くを歴代斎王の禊の場、祓川が静かに流れており、斎宮歴史博物館やいつきの宮体験館等もほど近く、毎年6月の斎王まつりには内外から多くの人が訪れている。

由緒

創始は不詳であるが、上代まで遡るものと思われる。明治45年に豊城入彦命を祀る式内社の中麻續神社に村内の佐賀茂神社、田中神社、粟須美神社、美里神社、宇気比神社須賀神社の六社が合祀され、その際に麻續神社と改称した。昭和43年11月に坂本神社は分祀し現在に至っている。

三重県神社庁教化委員会HPより
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e9%ba%bb%e7%ba%8c%e7%a5%9e%e7%a4%be/

【由  (History)】

『大神宮叢書』第3 後篇「伊勢式内神社檢錄」に記される内容

式内社 麻續(おうみ)神社は 麻績(乎宇美)の郷あり 今は中麻績(ナカヲウミ)約して中海(ナウミ)となり 又轉してナクミと唱ふ とあり
麻續神社(明和町中海)を論社としています

【抜粋意訳】

伊勢式内神社檢錄 多氣郡式内神社四十五處 五十二座並小 檢錄

麻續(ヲウミノ)神社

 此社の麻績は地名なり。倭名鈔に、多氣郡麻績(乎宇美)の郷あり、伊勢國風土記に、號くるに麻績の郷と者、郡の北に在に神地、奉るに大神宮の荒妙の衣を、神麻績の氏人等別しに居る此村に、因て以て爲す名と也、と云ひ、金鼓山光明寺所藏、元亨元年の文書に、五條に麻績ノ里。又宇治藤波氏所藏の文書に、多氣ノ郡麻績ノ郷内中麻績の住人追捕の事云々。又神服部内戸納帳に、中麻績藤次郞ともあり。中麻績は神鳳鈔にも、中麻績御蘭あり、今は中麻績(ナカヲウミ)約まりて中海(ナウミ)となり、又轉してナクミと唱ふ。其村の北にある堰を麻績堰(ヲウミヰ)と呼へり。其邊麻績郷たる事明らけし。

 三代實錄云、貞観五年八月十九日己卯、伊勢國多氣郡百姓外少初位下麻績部愚麻呂、麻績部ノ廣永等十六、復本姓中麻績公、愚麻呂等自疑云、豊城入彦命之後也、と見ゆ。姓氏錄を按るに豊城入彦命十ー世孫に佐太ノ公あり、今中海の北に佐田村あり。又同祖に上毛野の坂本朝臣あれば、中海の南に坂本村あり。其裔蕃息する事如此くなれば、此中麻績氏の祖神を祭る社ならむ。今の中海村の西に在る産神社是れに配すへし。社地随分の古色あり。但其社北に不動山眞福寺ありて域を編少ならしむ。併本社は麻績郷に在て、中麻績氏の奉祀せる社なるへければ、此中海に在るへき事必せり。

 然るに本社を考證以下の諸書には、飯野ノ郡漕代ノ郷井口村に在る神麻績機殿ノ鎭守神殿に配すれとも、類聚大補任に、文永六年九月、神麻績機殿鎭守神殿の幌御鏡一面紛失、攝社四ノ宮、土ノ宮、三狐神社の御鏡幌紛失す、といひ、又嘉元二年内宮假殿遷宮記前の大宮司長藤ノ目安にも、神麻続ノ鎭守神殿、幷屏門、同ク八尋殿、爲大風顚倒ス、など載て、麻績神社と云ふ事ある事なし。
 抑機殿は皇大神飯野高宮に令坐し時より横輿して、天武天皇ノ朝に大成し、今日まで連綿奉仕し來り、往昔造替修理は宮司これを営み、大少神部等は神宮ノ職官たれば自餘の式社とは其制大きに異なり、其機殿鎭守を以て本社とする事從かたし。
猶按るに機殿儀式帳に、太神ヲ齋ヒ奉ル飯野之高宮ニ、于時ニ機殿ヲ立ツニ長田ノ郷ニ、是ノ處ニ立テ社ヲ號スニ麻績社ト、亦ハ名ツクニ河崎社ト、とあり、河崎社の舊址は保津村の高崎(カウサキノ)宮是なるへければ、麻績社といへる一名を以て これにこそ配すへけれ。然れども其社は麻績機殿遷移の古蹟なれば式社に列すべきにあらざるか。

【原文参照】

神宮司庁 編『大神宮叢書』第3 後篇,西濃印刷岐阜支店,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239755

神宮司庁 編『大神宮叢書』第3 後篇,西濃印刷岐阜支店,昭和10至15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1239755

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(小52座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 麻續神社
[ふ り が な ]をみの かみのやしろ
[Old Shrine name]Womi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢 多氣 麻續神社(をみの かみのやしろ)の論社

・麻續神社(明和町中海)

 

・神麻続機殿神社(松阪市井口中町)

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄山田線 斎宮駅から北上 約3.6km 車10分程度

歴代斎王の禊の場 祓川(はらいがわ)が近くを静かに流れる中海(なこみ)に鎮座します

社号標には゛延喜式内 麻續神社゛と刻字

麻續神社(明和町中海)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

割拝殿の奥に 瑞垣に囲まれて殿が鎮座します

拝殿にすすみ お祈りをしま
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 續神について 所在は井手郷井口村に在す、今飯野郡に属す、〈現 神麻績機殿神社(松阪市井口中町)〉と記しています

【抜粋意訳】

續神

は乎宇美と訓べし、和名鈔、郷名部 、仮字上の如し

○祭神 大神御霊麻屋姫命歟

○井手郷井口村に在す、今飯野郡に属す、儀式解

〇倭姫世記云、垂仁天皇二十五月、伊勢百船 度會國、玉伊蘇國入坐、即建神服織社、令織太神之御服、麻機殿神服社是也、』
又云、神服織殿、倭姫命入座飯野高丘宮、作之機屋、命織太神之御服、從高宮而入坐礒宮、因立社於其地、曰名服織社、號郷者、郡北在神、此奉大宮神荒衣々、神麻氏人等別居此村、因以為名也、』
機殿儀式帳云、纏向珠城朝廷、垂仁 倭姫皇女仕に奉太神斎奉飯野高宮、于時機殿立長田郷、是処立社號社、亦名河崎社、是太神宮御霊也、稱に屋姫命、

 連胤按るに、事紀 天神本紀に、天八坂彦命、伊勢神麻連等祖、」
古語拾遺に、長白羽神、伊勢國麻祖とあるは、即ち神麻連麻等の祖神たるのみにて、当社に祭る所にはあらざるべし、』
儀式解に、麻神社は麻機殿の鎭守にて、即ち機殿の傍にありと云り、

氏人
日本紀、崇神天皇7年8月、伊勢麻君、続日本紀、庚子年9月麻積豊足、神護景雲3年2月に、正六位上神麻連足麻呂、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 續神について 所在は續郷中海村にあり、〈現 麻續神社(明和町中海)〉と記しています

【抜粋意訳】

續(ヲミノ)神

今 續郷中海村にあり、式内社検録
〇按 中海は中續の約言なり

蓋 中續公の祖 豊城入彦命を祀る、三代実録、延喜式
凡 四月九日八日祭を行ふ、明細帳

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 續神について 所在は續郷中海村にあり、〈現 麻續神社(明和町中海)〉と記し
井口村の機殿〈現 神麻績機殿神社(松阪市井口中町)〉とする説には従えないとも記しています

【抜粋意訳】

續神

祭神
今按 三代實錄 貞観五年八月 多気郡百姓外少初位下續部愚麿呂等十六人復に本姓中公の氏神 豊城入彦命之後也とあるによる時は中公の氏神 豊城入彦命を祭れるなるへし

祭日 四月九月並八日至十四日
社格 村社

所在 三重縣續郷中海(ナカミ)村(多気郡上御絲村大字佐田)

今按 検錄に中海は中の約言なり藤波氏文書に麻績郷内中とありと云ひ 此地の内にあるも本社の本村にある證とすべし然るを井口村の機殿に配するは従いがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

麻續神社(明和町中海) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

お伊勢さん125社について

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.