國司神社(くにしじんじゃ)は 慶長年間(1596~1615)に旧社地 本国司より 現今の社地へ奉遷しました 垂水社〈国司神社に合祀〉については 明治41~42年(1908~1909)に往時 垂水社(式内社)を合祀してある西長江の新宮 東長江の姫二所 日御碕 天森の四社がこれに合祀された
目次
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
①まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
➁次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
➂最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
①【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
垂水社〈国司神社に合祀〉
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori)
神祇官社(jingikan no yashiro )
【社名】垂水社
【読み】(たるみ)のやしろ
【How to read】(tarumi no) yashiro
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
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➁【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
垂水社〈国司神社に合祀〉
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 秋鹿郡(aika no kori)
【社名】垂水神社
【読み】(たるみのかみのやしろ)
【How to read】Tarumi no kami no yashiro
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1442211/160画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 : 校訂. 上巻(昭和4至7)
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➂【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
國司神社(くにしじんじゃ)
【通称名】(Common name)
【鎮座地】(location)
島根県松江市西長江町512
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》国常立尊(くにのとこたちのみこと)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
《合》事解男命〈合祀の西長江鎮座 新宮神社〉
罔象女命〈合祀の式内 垂水神社〉
秋鹿姫命〈合祀の東長江鎮座 天森神社〉
誉田別命〈合祀の八幡宮〉
天之御中主命〈合祀の東長江鎮座 天森神社〉
天照大神〈合祀の東長江鎮座 日御埼神社〉
【御神格】(God’s great power)
【格式】(Rules of dignity)
・『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )』所載社
【創建】(Beginning of history)
國司神社とその周辺
昔、いつの頃か近くの者が杵築大社の分霊を受け、字國司に小祠を建てて祀っていた。
後に現在地へそれを移したが、その年代は詳らかでない。最古の棟札によれば、天正七年 (一五七九年)十月十日、鰐尾城主 長江村地頭 大廻三郎右衛門清長が本願になり、国主大明神を再興したとある。祭神は国常立尊、大国主命、稲田姫命 の三柱である。明治四一~四二年に往時、垂水社(式内社)を合祀してある西長江の新宮、東長江の姫二所、日御碕、天森の四社がこれに合祀された。
三大祭は四月三日の祈年祭、十月九日の例祭、十一月二十八日の新嘗祭である。
神社の北方約一〇〇米に神宮寺があり、室町後期といわれる奈良佛師、康秀法眼作の薬師如来の像等が安置してあるが、起源は不明である。
この後の山を「要害山」と称し、その頂上は鰐尾城に属する古塁跡と伝えられ、七畝ばかり 平地で、第二段に馬乗馬場という場所がある。
また黄金岩という金鶏伝説の大岩もある。
社頭の案内板より
【由緒】(history)
由緒
当社勧請年暦不詳。
慶長年間に旧社地 本国司より 現今の社地へ奉遷し、天正7年秋 鹿鰐尾城主 大廻三郎右衛門清長大に社殿を興し奉る。
以来 御社頭顕著なる変革なく、慶長3年 永禄2年 天保2年の梁簡を存す。明治5年村社に列せられ同41年神饌幣帛料供進の指定を受け、明治42年4月23日西長江鎮座 新宮神社 東長江鎮座 姫二所神社を始めて 天森神社 日御埼神社を合祀した。中にも新宮神社は 既に古昔 垂水神社を合祀す。右は式内垂水神社にして出雲風土記に在神祇官と挙げられ、神階正六位上に坐し延喜の官社に列せられ足日山の南麓なる河畔に鎮座ありしを 河水漲溢して 社地を冒し依て 新宮神社に合祀し奉る。其の旧地は猶祭壇を存し例規の祭典を怠らず。
※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
【境内社】(Other deities within the precincts)
本殿向かって
右側には 二社合殿の木造社
左側には 狛犬の構える社日二基と石祠が祀られています
しかし 祠には案内がなく社名や御祭神は不詳
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社の「垂水社(たるみ)のやしろ」の論社は 二ヶ所あります
・垂水社〈佐太神社の境内社〉
・〈國司神社に合祀〉垂水社
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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
宍道湖の北岸を走る 一畑電車「長江駅」から北方へ約2.6km 車5分程度
宍道湖北部から川に沿って水田が続く中を上っていきます
山手に近づくと鳥居が建ち鎮座します
山の麓に高く組まれた石檀の上に狛犬が座し 鳥居と社殿への階段が続きます
垂水社〈国司神社に合祀〉&國司神社(松江市西長江町)に参着
階段を上り 一礼をして鳥居をくぐり抜けます 鳥居の扁額には「國司神社」
200段程かと思える杉木立の石段の上には 隋神門が見えています
隋神門をくぐると すぐに境内地で 拝殿 本殿が鎮座します
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
出雲大社の分霊を受けたと由緒にあり 拝殿奥の本殿は見事な大社造です
本殿に向かって
右側には 二社合殿の木造社
左側には 狛犬の構える社日二基と石祠が祀られています
しかし 祠には案内がなく社名や御祭神は不詳ですが お詣りをします
社殿に一礼をして 隋神門から石段を下ります
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
それぞれの文献では 次のように伝承しています
『雲陽志(unyo shi)』秋鹿郡 長江 東西 にある伝承
『雲陽志(unyo shi)』では
国司神社が「国司大明神」と記され
明治期に合祀された
西長江鎮座 新宮神社が「新宮権現」
式内 垂水神社が「垂水明神」
東長江鎮座 姫二所神社が「姫二所明神」
東長江鎮座 天森神社が 「大森大明神」
東長江鎮座 日御埼神社が「日御埼大明神」
各々の御祭神が記されています
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835]
国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『原文』参照
『出雲国式社考(izumo no kuni shiki no yashiro ko)』秋鹿郡 にある伝承
『出雲國風土記』の垂水社(Tarumi no yashiro)について 佐太神社の境内社の垂水社としています
国司神社に合祀されている垂水社のことなのか足日山(経塚山)〈国司神社から1Km程北方〉の事が記されています
「垂水社は 足日山(経塚山)にあった タルミ タルヒは同言である 水は氷の誤りで「垂氷」タルヒが本当である 風土記に足日山(経塚山)にあったので この名前」とあります
※『出雲国式社考((izumo no kuni shiki no yashiro ko))』[選者:千家梅舎/校訂者:岩政信比古]写本 ,明治02年(1906)
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国式社考』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000040615&ID=&TYPE=&NO=画像利用
『原文』参照
垂水社〈国司神社に合祀〉&國司神社(松江市西長江町)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)