鷲頭神社(沼津市大平)〈『延喜式』大朝神社の論社〉

鷲頭神社(わしづじんじゃ)は 社伝には 文明元年(1469)伊予国より御祭神 高龗神を神主 磯部伊代守と共に勧請 戸ケ谷 堂返し横に奉安 文明一三年(1481)鷲頭山頂を造成し遷宮 明治七年(1874天満山(現在地)遷座と云う 一説には延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)と云われます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

鷲頭神社(Washizu shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県沼津市大平(おおひら)1824

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》高龗神(たかおかみのかみ)

《合》日本武尊(やまとたけるのみこと)
   誉田別命(ほむだわけのみこと)
   天穂日命(あめのほひのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

一四六九(文明 元年) 伊予国より御祭神 高龗神を 神主 磯部伊代守と 共に勧請 戸ケ谷 堂返し横に奉安したと伝えられている
一四八一(文明一三年) 鷲頭山頂を造成し遷宮
一八七四(明治 七年) 天満(現在地)山頂を造成し遷座

【由  (History)】

鷲頭神社 由来記

この社 鷲頭神社の御祭神は 高龗神(タカオカミノカミ)

 配祀 三神は、
 天穂日命 アメノホヒノミコト(天神社)

 誉田別命 ホンダワケノミコト(八幡社)
 日本武尊 ヤマトタケルノミコト(御嶽社)

由来

 御祭神 高龗神は 竜身の水神であると伝えられる

 古の時代から大平住民は稲作に生活の糧を求め 鷲頭山、大平山の湧き水に頼りながら 狩野川の氾濫に悩まされてきた
 そこで 旱魃と水難を治め 五穀の豊穣を願い 霊験あらたかな高龗神を 伊予国(金刀比羅神社)から勧請 清浄な地として鷲頭山頂に祀った

 旱魃と水難の防除の神徳尊く 遠く 清水港のあたりにも 豊漁 海上安全守護の信仰厚く 参拝や鷲頭神社の神札を拝受に訪ね来る者がある

 鷲頭山西 獅子浜側に百間下りという「茅場」があり 山焼き等による社殿への延焼が度重なり 現在地遷座され 今に至る

 

一四六九(文明 元年) 伊予国より御祭神 高龗神を 神主 磯部伊代守と 共に勧請 戸ケ谷 堂返し横に奉安したと伝えられている
一四八一(文明一三年) 鷲頭山頂を造成し遷宮
一五八一(天正 九年) 北条氏康の命により 社殿改築 神主家敷を普請 山火事に備え番人を配置
一七七九(安永 八年) 獅子浜から出火で 社殿焼失 翌年修復
一八六〇(万延 元年) 大平八神社 外八百万の神を合祀
一八七四(明治 七年) 天満(現在地)山頂を造成し遷座 この際以前から この地に祀られていた天神社 及び村中全ての神社を合祀 翌年関係者官庁に出願し承認を受ける
一八七五(明治 八年) 村社となり 各地域に世話係り配置 小祭を二月十一日 五月五日 大祭を十月十五日 と定めた
一九二三(大正一二年) 関東大震災 拝殿屋根瓦落下 修復
一九三〇(昭和 五年) 伊豆震災 拝殿屋根大修理 本殿石積補修
一九四九(昭和二四年) 宗教法人登録
一九五五(昭和三〇年) 駿東郡大平村 沼津市に合併 大平財産区を設立し 境外地を財産区名義とする
一九五七(昭和三二年) 鷲頭山山頂 奥宮神地周辺に桜苗 百本植樹
一九六八(昭和四三年) 本殿屋根葺替え修理
一九九四(平成 六年) 本殿屋根及び廻廊改修 拝殿一部増改築 屋根~拝殿間 屋根増築

奉納 平成十一年十月 鷲頭神社 氏子
建立 平成十一年 鷲頭神社 祭典当番 大平第四区祭典委員会

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

鷲頭神社 本殿

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・鷲頭神社 拝殿

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・御神木

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・境内

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・参道石段

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・鳥居

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・社頭

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・鎮座地〈天満山〉

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「複数本務境内社」゛村中全ての神社を合祀゛とあるので 本社に合祀なのか 境内社なのか 境外社なのかは不明 

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

御嶽神社《主》日本武尊
住吉神社《主》表筒男命,中筒男命,底筒男命
八幡神社《主》神功皇后
浅間神社《主》木花咲耶姫命
湯屋権現・白山権現・山王権現《主》武内宿禰《合》大山祇命,白山比咩命,菊理媛命,大穴牟遅神,大山咋命
白髭明神
縁結神社(諏訪大明神,結大明神,左口神,稲荷大明神)《主》建御名方命《合》八坂刀売命,伊弉諾尊,伊弉冊尊,左口神,倉稲魂神,佐田比古,
木曾大明神《主》木ノ宮大神
八幡宮《主》応神天皇,《配》金比羅宮大神,菅原天神
子ノ神宮(甲子様)《主》甲子大国主大神
金山大権現《主》金山太神
山ノ神社《主》大山祇命
天形星大牛頭天王《主》素盞嗚尊
月夜木大明神《主》北条右衛門太夫父子
阿波嶋大明神《主》初花姫命
牛頭天王《主》素盞嗚命
左口神・正一位稲荷大明神《合》素盞嗚尊,佐口神,佐田彦神
山神社《主》大山祇命
子安神社《主》子持地蔵尊
牛頭天王《主》素盞嗚命
山神社《主》大山祇命
熊野神社《主》熊野権現,《配》櫛御気野命
山神社《主》大山祇命
稲荷社《主》正一位稲荷大明神,《配》佐田彦神
中将宮《主》平重衡
八幡社《主》応神天皇
山神社《主》面足尊,惶根尊
八幡社《主》誉田別命
山神社《主》大山祇命
山神社《主》大山祇命
金刀比羅神社《主》大物主命
天神宮《主》芭蕉天神
山神社《主》大山祇命
水神様《主》竜神,弁財天
山神社《主》大山祇命
山神社《主》大山祇命
山神社《主》大山祇命
稲荷神社《主》倉稲魂神
久須八幡宮《主》応神天皇

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈奥宮〉鷲頭神社 本宮

1469(文明 元年) 伊予国より御祭神 高龗神を 神主 磯部伊代守と 共に勧請 戸ケ谷 堂返し横に奉安したと伝えられている

1481(文明一三年) 鷲頭山頂を造成し遷宮

1874(明治 七年) 天満(現在地)山頂を造成し遷座〈現在の鎮座地〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大朝神社
[ふ り が な ]をほあさの かみのやしろ
[Old Shrine name]Wohoasa no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)の論社

・大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)

・大朝神社(沼津市下香貫)

・神益麻志神社(伊豆の国市神島)

・赤王神社(三島市大場)

・鷲頭神社 奥宮(沼津市大平)

・鷲頭神社(沼津市大平)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆箱根鉄道 駿豆線 伊豆仁田駅から県道を西へ約4.8km 車で11分程度

大平山の南麓の先にある小山(天満山)の山上に鎮座します

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鷲頭神社(沼津市大平)に参着

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社頭は北を向いています
石鳥居が建てられていて 長い石段が続いています

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鳥居に一礼をして 石段を上がると途中に踊場があり 振り返ると北方向に道が伸びています

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更に石段を上がります

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石段を上がると広場のような境内があり 境内の奥に 北東方向を向いて拝殿が建てられています

鷲頭神社 奥宮のある鷲頭山〈中将岩の辺り〉を背にしている感じです

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拝殿の背後に見えている山が鷲頭山

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拝殿にすすみます

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拝殿には゛鷲頭神社゛の扁額が奉納されています

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ただし 舞台のようなせり出しがあり 正面はトタンの戸で閉められているので良くわかりませんが 神楽殿を兼ねているのかもしれません

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拝殿には 賽銭箱がありませんでしたので 奥に廻ると石積の上に本殿が祀られていて 賽銭箱が置かれていました

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清掃をされている御婦人がおり 御挨拶をして

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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本殿の脇から 麓へと道があり 鷲頭神社南参道の道標がありました

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拝殿まで戻ると 先程は気づきませんでしたが 御神木でしょうか

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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長い石段を下ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大朝神社について 所在は゛駿河國駿東郡香貫村に在す、今山宮、又 潮留明神と称す、゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています

【抜粋意訳】

大朝神社

大朝は 於保阿左と訓べし

○祭神 大日尊、〔志〕

○駿河國駿東郡香貫村に在す、今山宮、又 潮留明神と称す、〔同上〕

例祭  日、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大朝神社について 所在は゛今、駿河、駿東郡、下香貫村字山宮にあり゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています

【抜粋意訳】

大朝(オホアサノ)神社

今、駿河、駿東郡、下香貫村字山宮にあり、〔豆州志、静岡縣注進状〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大朝神社について 所在は゛下香貫村〔字山宮 〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡揚原村大字香貫)゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています

諸説として
゛一説に賀茂郡上白岩村 大宮明神ならんか゛〈現 大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)〉
゛一説に田方郡神益村 駒形神社なるべし゛〈現 神益麻志神社(伊豆の国市神島)〉
゛一説に駿河國駿東郡大平村 鷲巣神社ならんか゛〈現 鷲頭神社(沼津市大平)〉
゛一説に君澤郡大場村あり゛〈現 赤王神社(三島市大場)〉

【抜粋意訳】

大朝(オホアサノ)神社

祭神
 今按 豆州志に 祀ニ大日靈貴 今は山宮 又 潮留明神と稱すとあれど 大朝と云によりて 大日靈を附會せしものと聞ゆればとらず

祭日 三月十六日
社格 村社

所在 下香貫村〔字山宮 〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡揚原村大字香貫)

 今按 伊豆式社攷證には 香貫村と云は豆志の説なれど考合べき證なしとみえ
一説に賀茂郡上白岩村 大宮明神ならんか 大宮はもと大朝宮と云しを 後に朝字を省きて大宮とせしか 又 大朝をおほみやとも訓しに非じかと云れど 此説信がたし

 又 一説に田方郡神益村 駒形神社なるべし 社後の山を総て神山と稱し 其頂の一方をヲミヨ 一方をオホマ嶽と呼 おほまは大麻なろべしと云れど 大麻(オホマ)の麻を朝とせしならんとの説なれば 是は適はず

 又 一説に駿河國駿東郡大平村 鷲巣神社ならんか 祭神 天日鷲命なるに囚て 鷲巢とも云しにや 大朝は大麻にて村名の大平は大朝平と云し 朝の省かりたるかと云るも牽強なり

 又 一説に君澤郡大場村あり 此大場の稱は大朝の訛轉にやと思はるなど云るも信がたければとらず

 今 豆州志と靜岡縣の註進に從て之を記す

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

鷲頭神社(沼津市大平) (hai)」(90度のお辞儀)

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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