優婆夷宝明神社(八丈島 八丈町大賀郷)

優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)は 八丈島・八丈小島・青ヶ島の総鎮守として 御島神(みしまのかみ)の后「いなはゑ后=(優婆夷命)」と その子「五郎の王子(許志伎命=宝明神)」が祀られています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の2つの式内社〈・優波夷命神社(うはいのみことの かみのやしろ)・許志伎命神社(こしきのみことの かみのやしろ)〉に該当する格式の高い由緒ある神社です

1.ご紹介(Introduction)

この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

優婆夷宝明神社Ubaihomei Shrine)
うばいほうめいじんじゃ

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

東京都八丈島 八丈町大賀郷660-1

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》八十八重姫=優婆夷大神(ubai no okami)優波夷命神社
     丸=宝明神(homei no kami)    許志伎命神社

【御神格 (God's great power)】

・家内安全 Pray to God that the home is peaceful
・等 etc

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

優波夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)

この神社には、事代主命(ことしろぬしのみこと)の八丈島の后(きさき) 優婆夷姫(うばいひめ)と、その子 古宝丸(こほうまる)が祀(まつ)られている。
事代主命は、出雲(いずも)(島根県)の大国主命(おおくにぬしのみこと)の子で、父に国を瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)(天照大神の孫)に譲ることを勧め、自らは国を出て三宅島(みやけじま)で亡くなったという。
この神社は、千年以上前に編纂された延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)に記(しる)されている大変古いもの(式内社という)で、八丈島の総鎮守(そうちんじゅ)(郷社)とされる。社地には、稲荷神社など5神が祀られており、社殿内にはキリシタン灯篭(別名、織部灯篭。町文化財)などがある。

社頭案内板より

【由  (history)】

伊豆諸島は造物主 事代主命の一族と、命の八人の妃によって領有された。事代主命は三宅島に宮居を定められたが、その地で崩じた。妃の一人、八十八重姫(優婆夷大神)は八丈島に渡り古宝丸(宝明神)を生み、この二方が八丈島を繁栄させたという。

東京都神社庁HPより

【境内社 (Other deities within the precincts)】

戸隠神社Togakushi Shrine)
《主》天手力雄命(ameno tajikarao no mikoto)
三島神社Mishima Shrine)
《主》三島大神(mishima no okami)
稲荷神社Inari Shrine)
《主》倉稲魂命(ukano mitama no mikoto)

磯神社Iso Shrine)
《主》大国主命(okuninushi no mikoto)
松尾神社Matsunoo Shrine)
《主》月読命(tsukuyomi no mikoto)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています

延喜式神名帳】(engishiki jimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

①優波夷命神社➁許志伎命神社
2つの『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社を合殿に祀ります


[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 優波夷命神社
[ふ り が な  ](うはいのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Uhai no mikoto no kamino yashiro) 


[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 ] 許志伎命神社
[ふ り が な  ](こしきのみことの かみのやしろ)
[How to read ]Koshiki no mikoto no kamino yashiro) 

国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

キリシタン灯籠について

本殿向かって左側の下 御垣の中にあります

キリシタン灯籠

嘉永7年(1854)に奉納されたこの灯籠は 別名織部灯篭と呼ばれるが、キリスト教や茶道とは関係なく、島の願主達が名工の誉れ高い石工仙次郎(1834流罪、1856没)に、好きなように腕前を揮わせた作品と思われる。
八丈島ではキリシタン灯籠はこの一対しか発見されていない。
町郷土資料(金石文)
昭・55・8・8指定
八丈島大賀郷優婆夷宝明神社境内

社頭の案内板より

優婆夷宝明神社のソテツの木」について

境内で 丸石に囲まれて ソテツ(蘇鉄)の木があります
樹齢は700年~1000年とされていて 町の天然記念物に指定されています

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神社にお詣り(Pray at the shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

八丈島空港から 都道216号経由 約3.1km 車6分ほど
八丈一周道路に社号標「郷社 優婆夷宝明神社」があります

参道の脇には 玉石が整然と置かれています その先には白い鳥居が見えます

優婆夷宝明神社Ubaihomei Shrine)に参着

玉石垣に囲まれた境内は東南に向いて 鳥居が建っています

一礼して鳥居をくぐり抜けます

正面には拝殿 右手には社務所 左手には手水舎があります

手水舎の先は 広い境内となっています

清めの水が下から湧いています 清めます

拝殿にすすみます 

賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の脇には 古い手水盤が置いてあります

本殿は石積の造りとなっています

木造の拝殿とは屋根で繋がります

境内の端から 社殿と社務所を眺めます

社殿に一礼して 境内を後にします

別の日の朝 お詣りに来ましたら 社務所が開いていて ご朱印を頂きました

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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『三宅記(miyakeki)』に記される伝承

島の名付けの段で 八丈島と御祭神について記されています

意訳

7番目の島は はるかな沖にある島なので 沖の島(八丈島)と名付け
沖の島(八丈島)に置かれた后のお名前を「いなはゑ=(優婆夷)」と申されました

その御腹に王子が5人いらっしゃいました
その后が亡くなられてしまうと
長男・次男の王子も2人で手を取り合って思い死なれました 石となって「おとあにの御子」として立っておられます
次の 2人は まだ幼少の頃に亡くなりました
五郎の王子(許志伎命宝明神だけが 沖の島にいらっしゃいます

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『三宅記』鎌倉時代末期 [書誌事項]写本 ,明治04年[旧蔵者]教部省

優婆夷宝明神社Ubaihomei Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)
 許志伎命神社(Koshiki no mikoto no kamino yashiro)の参考論社とされている
富戸三島神社(伊東市)の記事をご覧ください

論社
富戸三島神社(伊東市富戸)

富戸三島神社(ふとみしまじんじゃ)は 源頼朝公の御子「千鶴丸(ちずるまる/せんつるまる)」を若宮として相殿に祀る伝承を持ちます 本殿に祀るご祭神は 異名を伝える「御島神(みしまのかみ)」とされ すなわち御祭神のご巡行の地に鎮座する古社と伝わり 創建は定かではありませんが 奈良時代の最盛期にあたる天平年間(729年-749年)の棟札が現存します 

続きを見る

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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