津之宮神社(つのみやじんじゃ)は かつて神坂津宮大明神と称され 国府に近く 壱岐国の津〈現 印通寺港〉であったこの鎮座地は 地名も津宮と呼ばれる程の大社であったとされます 故に二つの式内社・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)の論社とされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
津之宮神社(Tsunomiya shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県壱岐市石田町石田西触19
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》彦波激武草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
「神坂津宮大明神、古来にて勧 請年数不知、石保古良あり、定祭九月九日、寛文 元、辛丑年再建云々」『壱岐神社帳』より
【由 緒 (History)】
「正恒按るに 此説よくもかるへりは 此所 当国筑前大宰府の管下たりし頃より 当所は其の津泊なりし事明らか 近来年貢運送の津も此津 最初(はじめ)なりといふ 中葉まで社の前まで入江にして 船泊まりなりしが 漸ふように うづまりて今は水田となれり 今又地理を見るに 大社にても建べき所にて 既にむかしより津の宮と里の名にすといい伝えければ 式の津神社なりし事うたがふべからず」『壱岐名勝図誌』より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)は 二つの式内社の論社
①國津神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 國津神社
[ふ り が な ](くにつかみのやしろ)
[Old Shrine name](Kunitsukamino yashiro)
②津神社
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 津神社
[ふ り が な ](つの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tsu no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)は 二つの式内社の論社です
石田郡(いしたの こおり)國津神社(くにつかみのやしろ)
・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
・津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)
・志々岐神社(壱岐市石田町南触)〈参考〉
石田郡(いしたの こおり)津神社(つの かみのやしろ)
・津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)
・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
・津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
古くは 本土からの海路 壱岐の表玄関であった印通寺港から 1.2kmにあります
かつては この辺りまで 津〈港〉が入り込んでいたとの事
R382号の北側沿いの少し奥まった場所 道路から鳥居が見えます
津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)に参着
鳥居の扁額には「津の宮」と刻まれています
一礼をして 鳥居をくぐり
社殿にすすみます
社殿は 廂からの柱が鳥居になったデザイン その中には 石祠が二宇
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 國津神社は 渡良村〈現 國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〉
式内社 津神社は 渡良村〈現 國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〉
と記しています
【抜粋意訳】
國津神(クニツカミノ)社
略志 渡良村にあり
津(ツノ)神社
姓氏 津宿祢菅野朝臣同祖百済国都基王之後塩君男番侶君之後也
書紀 津臣
略志 渡良村にあり
【原文参照】
国立公文書館『壱岐名勝図誌』〈文久元年(1861)に完成〉に記される伝承
第九巻 石田村 併 印通寺浦之部 石田村〈現 津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)〉は 式内社 津神社であると記されています
【抜粋意訳】
第九巻 石田村 併 印通寺浦之部
津宮大明神 在 津宮里
祭神 葺不合命 玉依姫命
石祠 南向
境内 東西二十間 南北十間 周囲四十七間
神畠 二畝十五歩当社は 神社帳に神坂津宮大明神 古来にて勧請年数不知 石保古良なり
定祭九月九日とある所なり〇神社考云 古来より津宮と称しては 式内の津神社ならんと
〇正恒按るに 此説よくもかるへりは 此所 当国筑前大宰府の管下たりし頃より 当所は其の津泊なりし事明らか 近来年貢運送の津も此津 最初(はじめ)なりといふ 中葉まで社の前まで入江にして 船泊まりなりしが 漸ふように うづまりて今は水田となれり 今又地理を見るに 大社にても建べき所にて 既にむかしより津の宮と里の名にすといい伝えければ 式の津神社なりし事うたがふべからず
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 國津神社は 渡良村〈現 國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〉
式内社 津神社は 半城村〈現 津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)〉石田村〈現 津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)〉
と記しています
【抜粋意訳】
國津神社
國津は久爾都と訓べし
〇祭神詳ならず
〇渡良村に在す 土俗 青波賀明神と称す 式社考類社 伊勢国 飯高郡 久爾都神社
津神社
津は假字なり
〇津宿禰祖神歟
〇半城村に在す 土俗 津明神と称す
〇姓氏録 津宿祢 菅野朝臣同祖 塩君男番侶君之後也
又 菅野朝臣同祖 百済国都基王十世後 貴首王之後也重足云 津上明神は壱岐郡角上神社なるべし 当郡石田村 宇津宮に津宮明神といふ社あり この津神社なりといへり されど今は略誌に従う 事 角上神社に同じ 尚考ふべし
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社の國津神社について 渡良村〈現 國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〉とされるが 石田邑の印通寺浦〈現 志々岐神社(壱岐市石田町南触)〉と云う説もある
式内社の津神社について 半城村〈現 津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)〉とされているが 石田邑の境に昔より津宮大明神と称する小社〈現 津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)〉との説もある
【抜粋意訳】
國津神社
祭神
祭日 九月十日
社格 村社所在
今按〈今考えるに〉
明細帳 長崎縣式内社記に渡良村とす されど神社考に波浦村の蓮宮を国津神社とせしは甚非なり こは物部布都神社にして国津神社にあらずとみえ 式社沿革考に石田邑の印通寺浦は往昔 筑前大宰府の管内なりしときは 当浦 宮津にて年貢運送公用の津と伝えるは 国津神社はその邑なる志自岐大明神なるべし 当社 延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前は式社と称し 右の浦にも近くませりと云る 據あるに似たれど国津を官津とせるは疑わしければとらず津神社
祭神
祭日 九月十日
社格 村社所在 半城村 字津上岳(石田郡柳田村大字半城)
今按〈今考えるに〉
明細帳 長崎縣式内社記ともに半城村 津上岳とす 然るに神社考に半城村角上大明神を延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉に津神社と定めしは津岳とあるを以て 津神社と見たるよりの誤なるべし
石田邑の境に昔より津宮大明神と称する小社 神坂にあり 是 式社ならんとみえ 式社沿革考に壱岐廿四座記承慶記 神社考等にも石田村とあれば その村の神坂津宮大明神は津神社の旧地にして石田池田両村の宗社天満宮に遷座奉れる歟 延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前 当社を式内と称し 又 宮津と云傳ふる印通寺浦も甚近ければ由ありと云えり 姑附て後考を俟つ
【原文参照】
『壱岐国神社誌』(Ikinokuni jinjashi)〈昭和16年(1941)〉』に記される伝承
創立年月其ノ他不詳であると記しています
【抜粋意訳】
石田村ノ部
無格社 津宮神社
鎮座地 石川村字津宮
祭 神 彦波瀲鵜鵜草葺不尊、玉依姫命
社 殿 石祠
境内地 四十八坪〔由緒沿革〕創立年月其ノ他不詳
【原文参照】
津之宮神社(壱岐市石田町池田西触)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)