津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〈御同座 新川神社・石井神社〉

津長神社(つながじんじゃ)〉は 皇大神宮(内宮)摂社です 鎮座地の古地名を「津長原止」と云い 倭姫命が上陸したと伝えらる 五十鈴川を遡上した船の留場〈津〉でした 水神の栖長比賣命を祀る津長神社には 皇大神宮(内宮)の末社〈新川神社〉新川比賣命・〈石井神社〉高水上命が御同座しています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

津長神社(Tsunaga shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県伊勢市宇治今在家町字柏崎153-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
《主》栖長比賣命(すながひめのみこと)

御同座 新川神社〈皇大神宮(内宮)社〉
《主》新川比賣命(にいかわひめのみこと)

御同座 石井神社〈皇大神宮(内宮)社〉
《主》高水上命(たかみなかみのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

栖長比賣命・・・水の神
新川比賣命・・・川の神
高水上命・・・石清水の守り神

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社 津長神社
・〈皇大神宮(内宮)摂社〉津長神社
・〈皇大神宮(内宮)末社〉新川神社・石井神社

【創  (Beginning of history)】

『神宮要綱』〈昭和3年1928)〉に記される内容

【抜粋意訳】

攝社末社所管社

津長神社

鎭座地 宇治山田市大字今在家町

殿舎
正  殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉  垣 連子板打・・・壹重
鳥  居 神明造・・・壹其
右神宮司庁造替

津長(ツナガ)神社は 延喜大神宮式に載す。神名式及び皇太神宮儀式帳には、沖長大水神社に作る。
祭神は大水上(オホミナカミ)命の御子 栖長比女(スナガヒメ)命なること儀式帳に見えたり。
太神宮本記に垂仁天皇の二十六年 倭姫命 志摩國より還りまし津長原に御船留め給ひて、津長社を定め給ふことを記せるもの、卽ち本社の起原なりとす。
皇太神宮年中行事二月條によれば、本社はもと東面なりしが如し、今南面なるは、寛文再興以後のことなるべし。

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

【由  (History)】

『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年(1943)〉に記される内容

【抜粋意訳】

津長(つなが)神社

橋姫神社を拜して、その右後ろに十間程のお森を参道に從って登って行くと、律長神社の御社殿を拜することが出來る。皇大神宮の攝社である。地域は同じ く今在家町。

 津長(つなが)といふ御名は ,五十鈴川(いすずがは)の洲長(すなが)になった所の意味である。又、ここら邉は、太古、五十鈴川を遡か上って來るの船着き場になってゐ所であって、そこをうしはきゐます神を祭った のが本社である。
皇大神宮の延曆儀式帳には津長大水(つながおほみづ)神社とあり、御祭神としては、大水上神(おほみなかみのかみ)の兒 ,栖長比賣命(すながひめのみこと)を祭ると傳へてゐる。この津長原の水の神であったことが分る。
垂仁天皇の御代、倭姫命(やまとひめのみこと)によって鎭座された神社で、倭姫命世紀によると倭姫命の御船は、この津長原に着き給ひ、こゝから御上陸遊され、ここに津長社を定められたと見えてゐる。中世戰乱の時代、一時中絶したが、寬文三年再興されて今日に至ってゐる。

【原文参照】

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

御同座 新川神社・石井神社について

『神宮要綱』〈昭和3年1928)〉に記される内容

【抜粋意訳】

新川神社

鎭座地 攝社津長神社御同座

新川(ニヒカハ)神社も亦、倭姫命の祝ひ定め給ふ所にして、大水上神の御子新川比賣(ニヒカハヒメ)命を奉祀せること儀式帳に見えたり。中世社地漠晦して再興に至らす。明治四年神宮御改正後、津長神社に御同座奉祀す。 

石井神社

鎭座地 攝社津長神社御同座

石井(イハヰ)神社も亦、倭姫命の祝ひ定め給ふ所にして、大水上神の御子 高水上(タカミナカミ)命を祀れること儀式帳に見ゆ。今宇治館(タチ)町の南方に巌社あり。館町は古へ岩井田ビ呼ばれし地なるを以て、太神宮儀式解に .其の社を以て本社に擬したれど、元祿勘文には巖社と石井神社とを別社となせり。但し現今は津長神社に御同座なり。

【原文参照】

神宮司庁 編『神宮要綱』,神宮司庁,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1189814

『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年(1943)〉に記される内容

【抜粋意訳】

新川(にひかは)神社

 本社は、宇治 ,五十鈴川流域の神社であるが、社地何時の時代にか不明になってしまったので、明治四年、假に、津長神社の御社殿の中に、御同座御鎭祭申上げてゐる。皇大神宮の末社で、延曆儀式帳の未官帳田社の條に、その名が見えてゐるから ,一千年以上の古社であることが分る。御祭神は大水上神(おほみなかみのかみ)の兒で新川比賣命(にひかはひめのみこと)といふ。川の神である。垂仁天皇の御代、倭姫命によって鎭祭されたと傳へられてゐる。

石井(いはゐ)神社

 この神社は、現在の宇治館町の舊名を岩井田(いはゐだ)村といふ所から見て、この地に鎭座の神社であつたと思はれる。併し、御社殿早くより絶えたため明治四年、假に、津長神社の御社殿の中に、御同座御鎭祭申上げてゐる。皇大神宮の末社である。延曆儀式帳に既にその名が見える社であるからこれも一千年上の古社である。御祭神は同書に、大水上神の兒で高水上命(たかみなかみのみこと)と見えてゐる。石清水(いはしみず)の守り神で、岩井田沖(おき)の田圃の灌漑用水に使はれた清水の古い信仰を残してゐるものである。

【原文参照】

猿田彦神社講本部 [編]『神宮摂末社巡拝』下,猿田彦神社講本部,昭和18. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1033626

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

津長神社は 皇大神宮(内宮)摂社
御同座 新川神社・石井神社は ともに皇大神宮(内宮)の末

・皇大神宮(内宮)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式Engishiki)』巻4神祇四 伊勢太神宮

「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています

【抜粋意訳】

伊勢太神宮

太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。

荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。

伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座

月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座

瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】 

瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】 

伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。

度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。

多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】

諸社卌座。

太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社

度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社
清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社

右諸社,並預祈年、神嘗祭。

以下略

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 津長大水
[ふ り が な ]つなかの おほみつの かみのやしろ
[Old Shrine name]Tsunaka no ohomitsu no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

内宮・外宮の摂社・末社・所管社について

お伊勢さん125社について

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

内宮をお参りをします

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・皇大神宮(内宮)

宇治橋を渡り戻ると

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内宮前の信号を渡ると駐車場の奥の中央には゛旧 林崎文庫゛の史跡があります

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そこから見来て方向 駐車場の一番北側にあるタクシープールの奥に入り口があります

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この入り口からは三方向〈正面・左・右〉に参道が伸びています

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入り口の正面には 宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)を祀る゛饗土橋姫神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉゛が鎮座します

・饗土橋姫神社〈皇大神宮(内宮)所管社〉《主》宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)

 

向かって左手には゛大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉゛が鎮座します

・大水神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》大山祗御祖命(おおやまづみのみおやのみこと)

向かって右手には゛津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉゛が鎮座します

・津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉《主》栖長比賣命(すながひめのみこと)

左手に参道があり その先の石段を上がります

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津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉に参着

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二段の殿に南西の方角を向いて正殿が建ちますが 敷地の関係でしょうか 古殿地は見当たりません

当初は 東向きであったそうですが 寬文三年再興の時に 今のようになったと伝わります
そういえば 南北には敷地が広く長い

殿にすすみ お祈りをしま
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 津長大水神社について 所在は宇治郷 大水社の北に在す〈現 津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉とし
倭姫世記』に その御船を留めた 津長原止と呼んだ所に 津長社を定めたと記しています

【抜粋意訳】

津長大水神社

津長は都奈賀と訓べし、大水は前に同じ、

〇祭神 津長比女命、

〇宇治郷 大水社の北に在す、神名略記

○式四、伊勢大神宮 大神宮所摂廿四座の第十一に載す、
○倭姫世記云、其 朝御食夕御氣島定支、還幸行、其御船泊留在志 處乎、津長原止號支、其 津長社定給支、」
儀式帳稱に大水上 栖長比女命、形石坐、倭姫内親王代定祝、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 津長大水神社について 所在は宇治郷今在家の西畠町の西山津長川原にあり〈現 津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています

【抜粋意訳】

津長大水(ツナガノヲホミツノ)

又,津長社といふ、延喜式

今 宇治郷今在家の西畠町の西山津長川原にあり、延暦儀式解、神名略記、神境紀談
大水上兒、栖長比を祀る、御形石に坐す、
奈良波良以下三座、並 倭姫命 定祝奉る、延暦儀式帳、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 津長大水神社について 所在は宇治山田市宇治大字今在塚〈現 津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています

【抜粋意訳】

津長大水

祭神 栖長比大水上神 

祭日 同上
社格 内宮所攝 二十四所之一(内宮摂社)

所在 同上(宇治山田市宇治大字今在塚)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

津長神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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お伊勢さん125社について

伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

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