角上神社(とかみじんじゃ)は 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉の時 角上を「ツノカミ」と読み 式内社 角上神社に比定し 覩上岳(とかみだけ)の山頂に角上神社を新たに勧請しました それ以前は 式外社の塗神(とかみ)と号されていました
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
角上神社(Tokami shrine)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県壱岐市石田町湯岳射手吉触699
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》素盞鳴尊(すさのをのみこと)
相殿 仁徳天皇、仲哀天皇、神功皇后、應神天皇
(昭和十三年若宮神社合祀)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者 橘三喜の式内社調査〉の時 角上を「ツノカミ」と読み 式内社 角上神社に比定し 覩上岳(とかみだけ)の山頂に角上神社を新たに勧請しました それ以前は 式外社の塗神(とかみ)と号されていました
【由 緒 (History)】
昔 神社の鎮座する覩上岳(とかみだけ)の麓にある深江田原平野には 大きな沼地があって 大雨が降ると水はけが悪く洪水となり 里人の往来は困難になっていた そこで塗神山(とかみやま)〈覩上岳〉に〈渡神〉を祀ったのが始まりとされています
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
スポンサーリンク
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本文徳天皇実録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
嘉祥三年(八五〇)六月 壹岐嶋 角上神(ツノヘノカミ)が 官社に列す と記しています
【抜粋意訳】
巻一 嘉祥三年(八五〇)六月庚戌〈四日〉の条
○庚戌
伊豆國 阿米都和氣命(アメツチワケノミコト)伊太豆和氣命(イタツワケノミコト)阿豆佐和氣命(アヲリワケノミコト)佐岐多麻比咩命(サキタマヒメノミコト)
伊賀國 佐佐神(ササノカミ)津神(ツノカミ)等 並びに授くに 從五位下
壹岐嶋 角上神(ツノヘノカミ)を列すに於て官社
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)壱伎郡 12座(大4座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 角上神社(貞)
[ふ り が な ](つのへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Tsunohe no kamino yashiro)
【原文参照】
スポンサーリンク
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
式内社 角上神社(貞)(つのへの かみのやしろ)の論社について
・角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)
・覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)
・津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)
スポンサーリンク
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
郷ノ浦港から北東へ県道25号・173号を経由して約6.2km 車10分程度
山頂近くに土俵があり 鳥居が建っています
土俵には 砂が入っていますので 祭の時に使われている証です
土俵の御幣を立てて
角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)に参着
一礼をして鳥居をくぐります 扁額には 角上神社と浮彫
境内は広くはありませんが 土台の大きな石燈籠 社殿の前には 威容のある御神木があります
平成三年の神殿新築記念碑があり コンクリート製の白い社殿
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ると 行きには気が付かなかったですが 御神木の横に 手水鉢がありました
山頂から麓に通じる道を下ります
スポンサーリンク
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 角上神社の所在について 湯岳村〈現 角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)〉
【抜粋意訳】
角上(ツノヘ)神社
文徳実録 嘉祥三年六月 壱岐島 角上神列ニ於官社
畧志 湯岳村にあり
【原文参照】
『壱岐名勝図誌』〈文久元年(1861)に完成〉に記される伝承
巻之六 壱岐郡湯岳村之部 角上(ツノヘ)神社〈現 角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)〉は 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で式内社 角上神社とされて 新たに勧請されたもの もともとは塗神(とかみ)と称した所で 式内社とは異なる神 本来の式内社 角上神社は大武庄牛形郷角上岳 角上大明神〈現 津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)〉の説を記しています
【抜粋意訳】
壱岐名勝図誌 巻之六 壱岐郡湯岳村之部
角上(ツノヘ)神社 (在 塗上山頂上)
祭神 素盞嗚尊
石祠 (南向)
上屋 ・・・
境内山・・・
当社は神名式に所載の壱岐郡 角上神社なりといへり
〇神名記云 奥村 角上神社 小神改め以前は塗神といふ式外なり
〇神社考云 角上神社 湯岳村出石覩上岳に在り 覩上は都の意絶頂の名なる所 祭神なかりしふ 角上神社を新勧請して石社 木鏡を奉納あり 角上(ツノヘ)を都上(トカミ)とは如何して見たりや 角の字との訓なり然るに都上を角上とをしては誤なり 所祭神 素尊とを思うに西域の牛頭天王を牛神とし日域 素尊を牛神とするを以て 角上の名を以て 牛の角上と考へ素尊とすとしたり 此岳に祭神なく都上に角上の拠なし 昔時は此の所は 石田郡の内にして壱岐郡にあらず 延宝年中 角上神社を新勧請としなり 半城村は昔時は 壱岐郡の内にして角上(ツノカミ)岳の角上大明神は古来より岳の名 社号ともに角上を称する所なり 大武庄牛形郷角上岳 角上大明神と称すよりは 式内の角上(ツノヘノ)神社なる事明白ならん”牛形は此岳 牛の形に似たる故に名つく 其の牛の形なる岳の南の頂上則 牛の角上なり”正恒勤て案に神名帳なるは 角上(つのへ)神社と称(マツ)り此所なるは塗神(とかみ)と称へし所なれば 異神(ことかみ)なるへし 然るに今世(ちかきよ)より 式社と称し奉りしは自然なる神の御徳(みいさを)なるへし
〇文徳実録云 壹岐嶋 角上神(ツノヘノカミ)を列すに於て官社
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 角上神社の所在について 湯岳村 塗神(トガミ)〈現 覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)〉としています 又 角上山(津ノ山)に鎮座する 牛方村 津上明神〈現 津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)〉との説も載せています
【抜粋意訳】
角上神社
角上は 都乃倍と訓べし
〇祭神 詳ならず
〇湯岳村に在す 元名湯村と云 今 塗神(トガミ)と称す 式社考重足云
今 石田郡牛方村 津上明神こそ角上神社ならめ、当村郡境にて角上山あり、両郡に跨り、山の北ノ方 壱岐郡 南ノ方 石田郡 也といへり、然もあらんか、されど当国は、延宝八年、国主 松浦家より命じて壱岐略誌を撰み、是を以て 国應の規定としたれば、今略誌に従ひ置ぬ、尚考ふべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 角上神社の所在について 武荘 牛形郷 角上岳 角上大明神〈現 津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)〉と記しています
【抜粋意訳】
角上(ツノヘノ)神社
今 武荘 牛形郷 角上岳 角上大明神 是也
文徳天皇 嘉祥三年六月 壱岐島 角上神列ニ於 官社に預からしむ
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 角上神社の所在について 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 湯岳村出石都上岳に新たに角上神社〈現 角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)〉を祀った 本来は大武庄手形の郷 角上岳 角上大明神〈現 津神社(壱岐市郷ノ浦町牛方触)〉の説を記しています
【抜粋意訳】
角上神社
祭神 須佐之男尊
祭日 九月十八日
所在
今按〈今考えるに〉
神社考 湯岳村出石都上岳には祭神なかりしを 角上神社を延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉に新たに勧請し石社 木鏡を奉納したり 角上を覩上とは如何して思誤れるにや 且此地は昔 石田郡にして壱岐郡にあらず 今 城邑 角上大明神は大武庄手形の郷 角上岳 角上大明神と称して角上神社なる事明白なりとみえ
式社所名徴に壱岐廿四座記 承應社記 吉野公光記 神社考 式社略考等にもみな半形村にあるときは湯岳村にはあるべからず尚よく考べし
【原文参照】
『壱岐国神社誌』(Ikinokuni jinjashi)〈昭和16年(1941)〉』に記される伝承
角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)は 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で式内社に比定されたと記しています
【抜粋意訳】
那賀村ノ部 無格社 角上神社
鎭座地 那賀村字湯岳都上
祭 神 素盞鳴尊
相 殿 仁徳天皇、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
(昭和十三年三月十六日 若宮神社合祀)例祭日 九月十八日 大神樂奉奏
境内地 440坪〔由緒沿革〕
一、当社ハ延喜式神名帳ノ下ニ所載 壱岐島壱妓郡 角上神社 是也。
一、嵯峨天皇 弘仁二年庚卯冬十月朔日 平旦直チニ日輪ノ神勅ヲ承ケテ 神代ノ霊璽ヲ写シ奉リ眞神体ニカタドリ移シ奉ル 文徳天皇 嘉祥三年庚午五月庚申官社ニ列ス、
仁壽元年辛未春正月庚子 詔シテ正六位ノ上ニ叙シ奉ラル 以下神階ヲ進メラレ給フコト式内大社ノ例二依レリ。
壱岐神社帳ニ日 トカミ 角上神社ハ小神廿四座ノ内 上屋アリ 定祭九月十八日古來ノ鎭座年数知レズ 延喜式ニ所載ノ神社ナリ。
一、延宝四年丙辰 木鏡 御正躰一面 石保古良ヲ献ゼラル鎭信公在判。
【原文参照】
角上神社(壱岐市石田町湯岳射手吉触)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)