治郎丸天神社(Jiromaru tenjinsha)は 『尾張国地名考(owarinokuni chimeiko)』著者の津田正生は『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』尾張国 中島郡「宗形神社(貞)(Munakata no kamino yashiro)」は 治郎丸村の「天神の森是なり(現 治郎丸天神社(Jiromaru tenjinsha))」としています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天神社(Tenjinsha)
(てんじんしゃ)
[通称名(Common name)]
治郎丸天神社(Jiromaru tenjinsha)
【鎮座地 (Location) 】
愛知県稲沢市治郎丸天神町14
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》菅原道真公(sugawara no michizane ko)
《配》天照大御神(amaterasu omikami)
菊理姫命(kukurihime no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社〈論社〉
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代など不詳
【由 緒 (history)】
天神社の御祭神について
菅原道真公
管原是善の第三子 母は大伴氏で文章道の家系に出て博く経文に通じた5才にして 和歌を詠じ11才にして詩を賦したので有名である
宇多天皇に信任せられ右大臣に任ぜられ諸道芸能の守護神とせられ学問の神である天照大御神
天照大日孁貴尊 大日孁貴と称へ奉り神宮にては 天照坐皇大神と称へ奉る
皇室の大御祖神に坐し皇祖 又は天祖と仰ぎ奉る神徳宏大にして光華明彩六合を照徹したまふと下ひとしく その霊威を仰ぎて日神と称え奉る菊理姫命
白山比咩神ともいふ
伊弉諾尊が伊弉冉尊を追うて黄泉国に到り同国から帰らんとして黄泉平坂で争い給うた際 その中間に立って二尊の御言葉を取り伝へ両者の間を調和して相互の主張を聞入れしめ給ふ神 所謂る平和の神である 石川県にある元國幣中社 白山比咩神社が主祭神である拝殿に掲示案内より
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張国 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)中島郡 30座(大3座・小27座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 宗形神社(貞)
[ふ り が な ](むなかたの かみのやしろ)
[How to read ](Munakata no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
・国府宮(Ko no miya)には【別宮】として 2つの神社があります
どちらも 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』の所載論社です
尾張大國霊神社(Owari okunitama Shrine)と合わせて「国府宮三社」と呼ばれます
尾張大國霊神社(Owari okunitama Shrine)の記事をご覧ください
(尾張國中嶋郡 大御靈神社)の論社
【別宮】
・大御霊神社(Omitama Shrine)境内南西に鎮座
《主》大歳神之御子(otoshigami no miko)
大御霊神社の記事をご覧ください
もうひとつの大御靈神社の論社
修理若御子社の記事もご覧ください
(尾張國中嶋郡 宗形神社)の論社
【別宮】
・宗形神社(Munakata Shrine)境内北東に鎮座
《主》田心姫命(tagorihime no mikoto)
宗形神社の記事をご覧ください
もうひとつの宗形神社の論社
天神社 (治郎丸天神)の記事もご覧ください〈当社〉
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
名鉄名古屋本線 国府宮駅から 北西に約1.2km 徒歩15分程度
国府宮からですと 徒歩10分程度
治郎丸天神社(Jiromaru tenjinsha)に参着
ちょうど 例大祭の日で 畑の中にある鳥居の前面には
幟「奉献 天神社 御寶前 氏子中」がたちます
境内入口には 二の鳥居と社号標「村社 天神社」がたちます
砂利の参道の正面には 尾張地方特有の不浄除け「蕃塀(bampei)」があり 拝所を隠しています
左手には手水舎
右手には社務所があり ご神職や氏子の方々が祭りの準備されています
挨拶をしながら コンクリート造りのクリーム色の拝殿にすすみます
拝殿には 扁額「天神社」が掛かります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥には 本殿が見えます
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『尾張国地名考(owarinokuni chimeiko)』に記される伝承
著者の津田正生(つだ まさなり)は
安永5年(1776年)4月 - 嘉永5年10月21日(1852年12月2日)
本書の中で 『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の尾張国 中島郡「宗形神社(貞)(Munakata no kamino yashiro)」は
治郎丸村の「天神の森是なり(現 治郎丸天神社(Jiromaru tenjinsha))」としています
国立国会図書館デジタルコレクション『尾張国地名考』著者 津田正生 著 出版者 愛知県海部郡教育会 出版年月日 大正5
治郎丸天神社(Jiromaru tenjinsha)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)