高牟神社(名古屋市守山区瀬古東)〈『延喜式』髙牟神社・羊神社〉

高牟神社(たかむじんじゃ)は 創建は社記に「養老元年(717)鎮座 高見と云ふ名稱を賜ふ」云々と見え 『本国帳』従3位高牟天神・『尾張本国内神明帳』従3位上高見天神とする古社で 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)と云う 又一説に延喜式内社 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)とも云う

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

高牟神社(Takamu shrine

通称名(Common name)

高牟天神(たかむてんじん)

【鎮座地 (Location) 

愛知県名古屋市守山区瀬古東1丁目630

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》高皇産霊命(たかみむすひのみこと)

《配》素盞嗚命(すさのをのみこと)
   伊邪諾命(いざなぎのみこと)

《合》大山津見命(おほやまつみのみこと)
天照大御神(あまてらすおほみかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

御由緒

式内社 高牟神社

 養老元年御鎮座(千三百年前)

  • 高見天神の称号を賜う
       尾張本国帳に記述有り
  • 江戸時代には尾張天満宮二十五ヶ所巡拝の十一番札所として大勢の参拝あり
    一、天神橋の名の由来
      当社の天神様が年に二度渡られたため
    一、元当社神宝の兵庫鎖太刀は
      現在国宝として東京博物館に収蔵
    一、御祭神 高皇産霊命 素盞鳴尊 天照大神 菅原道真
    一、末 社 金比羅社 熱田社 靖国社
    一、祭 礼
     例大祭 十月
     元旦祭 一月元旦
     厄除祭 一月 日
     夏祭り 七月
    一、御造営復興
      昭和三十六年十月成る

現地立札より

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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

〇愛知縣 尾張國 東春日郡守山(モリヤマ)村大字瀬古

郷社 高牟(タカムノ)神社

祭神
 高皇産靈(タカミムスビノ)
 伊弉諾(イザナギノ)
 素戔鳴(スサノヲノ)

合祭
 天照皇大御神(アマテラススメオホミカミ)
 大山祇(オホヤマヅミノ)

と高見天神 又は高見島天神とす、創立年代詳ならずといへども、「養老元年十一十五日鎮座す、因て高見と云ふ名を賜ふ」云々と社記に見えたり、
延喜式内社にして、奉唱國帳に「從三位高牟天神」参考に「從三位高牟神社、天神、一本作 正四位下高見」と記せり、

尾張名所圖會の所謂「古き棟札もありて、尤社」なり、
明治五年五月郷社に列せられ、四十一年本村神明社  山神社を社に合併す。

社殿は本殿、祭文殿、拝殿、祭器庫、社務所等を具備し、境内地七百坪(官有地第一種)あり、

因みに、式の高牟神社 所在を張州府志、伴氏考  覈録には、山田庄高田寺村の白山社を以て擬すといへども、今 學者は多く之れに從は、但尾張志に云く、「所在詳なら、但 瀬古村石山寺の邊 高見といふ地に、今は天神社として古き棟札もありて、社あり、此社ならむも知るべからず云々、されど正しきへあるにあら、社のさまの古めかしきと地名の似たるにすがりて斯く論じおくなり、
府志に「高田寺村 白山社を高牟神社とするはもなく 高牟と高田とまがふべき地名にもあら いかが定め雛し」とす。

境内神社 熱田社 金刀比羅社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

由緒

祭神 高皇産霊命 素盞鳴命 伊邪諾命 大山祗命 天照大御神 菊理媛命

由緒

 創建は養老元年(717)11月15日で高見と言う称号をいただいた。本殿は昌泰三年(900)9月再建あり。文政8年(1825)8月修造、同6年5月、社務所、同7年8月、拝殿、同12年8月幣殿をそれぞれ造営する。

「延喜式」に春日部高牟神社、「本国帳」には従3位高牟天神、「尾張本国内神明帳」に従3位上高見天神と記るす古社なりと。
明治40年10月26日供進指定社となる。同41年4月7日字右京浦1996番、神明社。字屋敷93番、山神社。昭和5年3月3日、字柴荷、白山社。字屋敷、神明社の4社を合祀した。
同20年5月、戦災により社殿を消失、同36年10月造営復興した。

例祭日 10月10日

社殿 神明造0.30坪、拝殿12.00坪、社務所41.00坪
境内坪数 762.75坪
氏子数 1,100戸

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『式内社調査報告第八巻』昭和59年に記される内容

延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社について

【抜粋】

尾張國春日部郡 髙牟神社

【社名】

「タカムノ神社」とよむ。ただし、『尾張國神名帳』は、高見神社としてゐる。これ以外に、異はみえない。

【所在】

當社の所在については、古来二ヶ所の所説がみられる。

A社
 名古屋市守山區大字瀬古字高見二、四〇〇番地(東春日井郡守山町大字古字高見二、四〇○番地)。

B社
 春日井市東山町二、二六三番地(東春日井郡木村大字下原字橋二、二六一番地)。現社名、松原神社。

【祭神】

A社

現在は、高皇産靈神を祭神とし、相殿に盞鳴命・伊邪命・大山祇命 天照大御神・菊理媛命菅原道の七座の神を奉する。
神社明細帳によれば、大山祇命は、明治四十一年に合祀。天照大御神は、元禄四年に進した髙牟神社の御旅所を明治四十一年に合祀してゐる。古くからの御祭神は、高皇産神と考へられる。

B社・・・〈中略〉

【由緒】

A社

 養老元年(七一七)十一月十五日に座にして、高見の稱をへりとの社傳へる。神社のある地を高見といふが、高皇産命の「タカミムスビノミコト」の神の名より地名がついたといふ説もある。
古い記録を失つてゐるため不明な
が多い。
によると、本殿は、泰三年九〇〇九月十五日に再建し、文政八年(一八二五)八月十七日に再建された。明和四年(一七六七)に矢田川が決壊し、神苑の一が河つたといはれる。
昭和二十年五月十四日の名古屋空襲により被災本殿
亡。戦後假殿であったが、昭和三十六年五十七年に再建された。

B社・・・〈中略〉

【論社考證】

 A社・B社ともに、式内社を稱する。

『尾張國式社確定記』『神祇志料』等は、A社、瀬古の高牟神社を式内社としてゐる。

しかし、B社も明治四年の確定書に、「延喜式並本國神名帳所載」とみえ、古くより式内といはれてるたと思はれる。

 兩社とも、論社を考證に足る史料はみられなかった。
A社は、庄内川、矢田川にはさまれた中州にある神社のため古くから水害に悩まされ、史料を失ったと思はれる。
B社は、篠岡古窯群(五世紀後半の古窯)がみられ、古くから人々が活躍をしたと考へられる。中世になり、篠岡古窯群が衰退するとともにさびれたと考へられる。鎌倉以後、稲荷信仰とともに、江戸期に發展した。天保頃の高车神社の繁榮を示す繪圖が、徳川林政史研究所に殘つてゐる。

調査した結果、A社・ B社ともに併記する神社と考へ報告しておく。しかし、両社ともに古代の豪族・氏族との勢力範圍、庄内川・矢田川の河道の變遷、篠岡古窯との關係などの考察が必要と思はれる。

(剱持悦夫)

延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社について

【抜粋】

尾張國 山田郡 羊神社
【論社】

 津田正生は『尾張神名帳集說乃訂考』で、「從三位羊ノ神社 天神 〔新考〕安食莊瀬古(セコ)村天神の社是なるべし。社司森氏。〔正生考〕瀨所(セコ)と辻(つじ)村とは矢田川を一條隔たれと、もとは一圓(つづき)の地脉なり、延喜式に羊の字を下したるは誤なるべし」と記して、瀬古村の天神を羊神社に比定した。

 また、同著者の『尾張地名考』の春日井郡瀬古村の項で「瀬古はかな書なり、せは脊なり、こは所なり、脊戸に等しく地名においては裏向(うらて)をいふの詞也」として、瀬古村は辻村のうらてで、元兩村は一村であるとした。
瀬古村は春日井郡山田庄に屬し(『尾張徇行記』等)、現在は名古屋市守山區瀬古である。村の北を庄内川が東から西へ、南を矢田川が東から西へ流れて、西端で合流するといふ河川に狭まれた地でもある。

 『特選神名牒』は「今按 同郡安食莊瀬古村なる天神の社是なるべしと云説あれども證なければ取がたしと云り」とあつて、この瀬古村説を退ける。
さらに、『愛知縣の地名』の名古屋市北區辻村の項もこの説を「矢田川が間に流れてゐるので この説はとりがたい」とするやうに、川や谷、山などの自然地形によつて村堺・町堺・國界等がある場合が多く、村の中央を大きな河川が流れてゐる所から、一帯であつたとは考へられない。從つて、この説に興みしがたい。因みに矢田川の河巾は辻村附近で約百二十メートルを測る。

・・・〈以下略〉

【原文】

『式内社調査報告第八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

高牟神社 社殿 境内

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・〈境内社〉靖国社《主》護国英霊

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

高牟神社(名古屋市守山区瀬古東は 二つの式内社の論社となっています

①延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社

②延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社

①延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)春日部郡 12座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 髙牟神社
[ふ り が な ](たかむの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takamu no kaminoyashiro

②延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山田郡 19座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 羊神社
[ふ り が な ](ひつしの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Hitsushi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

尾張國の式内社には 高牟神社(たかむの かみのやしろ)が 春日部郡と愛智郡の二ヶ所に所載されています

延喜式内社 尾張國 春日部郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について

・高牟神社(名古屋市守山区)

・松原神社(春日井市東山町)

・高田寺白山社(北名古屋市高田寺)

・八所神社(豊山町豊場木戸)

・五社神社(春日井市玉野町)

・勝川天神社(春日井市勝川町)

延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について

・高牟神社(名古屋市千種区今池)

・高針高牟神社(名古屋市名東区高針)

・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)

延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)の論社

・羊神社(名古屋市北区辻町)

・高牟神社(名古屋市守山区瀬古東

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

地下鉄 上飯田駅から谷田川を渡り東へ約1.9km 車での所要時間は3~5分程度

庄内川の支流 矢田川 北岸の土手沿いに南を向いて鎮座しています

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土手から階段があり 社頭へと下りられます

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高牟神社(名古屋市守山区瀬古東に参着

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社号標には「郷社 式内 高牟神社」と刻されていて 鳥居の先には 真っ直ぐな石畳の参道の先に社殿が やはり南を向いて建てられています

一礼をして鳥居をくぐり抜けて境内へと進みます

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鳥居をくぐると すぐ左手に手水舎があり 清めます

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又 右手〈東側〉からの細い参道もあり こちらの入口には鳥居はありませんが 「郷社 式内 高牟神社」と刻字された 大きめの社号標と石灯籠が設置されています

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

鳥居の先に見えているのが 矢田川 北岸の土手になります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 高牟神社について 所在は゛山田庄高田寺村に在す、今白山と称す、゛〈現 高田寺白山社(北名古屋市高田寺)〉と記しています

【抜粋意訳】

高牟神社

高牟は多加武と讀り

○祭神詳ならず

○山田庄高田寺村に在す、今白山と称す、〔府志〕

 張州府志云、集説以ニ 此祠爲ニ 小高苑神社、按、和名鈔曰、春日部郡高苑、中世稱ニ 高田郷、然則小高園祠 亦當在ニ 此邑、今不可尋、

類社
 當國愛智郡 高牟神社

神位
 國内神名帳云、從三位高牟天神、〔一本作高見〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

式内社 羊神社について 所在は゛田中庄辻村に在す、今 明神とす、゛〈現 羊神社(名古屋市北区辻町)〉と記しています

【抜粋意訳】

羊神社 

羊は比都之と訓べし、和名紗、毛群部羊、假字上の如し

○祭神詳ならず

○田中庄辻村に在す、今 明神とす、集説、府志、〕

 集説云、按、事紀曰、火之産賀突知、云々、比都自者蓋火雷命歟、或曰、伊勢 多氣郡火地神社 同神歟、と信がたし、

神位
 國内神名帳云、從三位 羊天神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 高牟神社について 所在は゛安食庄瀬古村にあり、高見島天神と云、゛〈現 高牟神社(名古屋市守山区)〉と記しています

【抜粋意訳】

高牟(タカムノ)神社

 安食庄瀬古村にあり、高見島天神と云、〔尾張國式社確定〕

高御產靈尊を祭る、〔本社傳説〕

毎年八月廿五日祭を行ふ、〔愛智縣神社調〕

式内社 羊神社について 所在は゛ 田中庄辻村にあり゛〈現 羊神社(名古屋市北区辻町)〉と記しています

【抜粋意訳】

(ヒツシ)神社、

 田中庄辻村にあり、

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 高牟神社について 所在は゛安食村瀬古村〔字高見島〕(東春日井郡坂下村大字瀬古 郷社 高牟神社)゛〈現 高牟神社(名古屋市守山区)〉と記しています

その他の説として 3説を挙げているが証するものがない と記しています
高田寺村白山社゛〈現 高田寺白山社(北名古屋市高田寺)
勝川村下原村にもあり゛〈現 勝川天神社(春日井市勝川町)
豐場村 八所明神゛〈現 八所神社(豊山町豊場木戸)

【抜粋意訳】

高牟神社

祭神 高皇產靈神

 今按 社傳 高皇產靈尊の外に國常立尊 豐斟渟尊 國狹槌尊をも祭ると云へど信がたし 故今とらず

祭日 八月二十五日
社格 村社(明細帳に郷社)

所在 安食村瀬古村〔字高見島〕(東春日井郡坂下村大字瀬古 郷社 高牟神社)

 今按 尾張國式社考に張州府志に高田寺村白山社を高牟神社とするは據もなく高牟と高田とまかふべき地名にも非れば取がたし
 勝川村下原村にもありと云ひ
 豐場村 八所明神なるべしと云説もあれど 何れも證なしと云り

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 羊神社について 所在は゛山田庄辻村〔今属 春日井郡〕(西春日井郡小秋村大字辻)゛〈現 羊神社(名古屋市北区辻町)〉と記しています

又 別説として゛安食庄瀨古村なる天神の社是なるべしと云説゛〈現 高牟神社(名古屋市守山区瀬古東)〉も挙げています

【抜粋意訳】

(ヒツジノ)神社

祭神 天照大御神 迦具土神

祭日
社格 村社

所在 山田庄辻村〔今属 春日井郡〕(西春日井郡小秋村大字辻)

 今按 同郡安食庄瀨古村なる天神の社是なるべしと云説あれども證なければ取がたしと云り

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

高牟神社(名古屋市守山区瀬古東 (hai)」(90度のお辞儀)

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尾張国 式内社 121座(大8座・小113座)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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