高牟神社(たかむじんじゃ)は 元々は尾張物部氏の武器庫であり 高牟(たかむ)とは 古代の武器゛鉾゛の美称とされます 高針村の産土神として 江戸時代には應神天皇を祀り八幡社と称していました 昭和26年(1951)高牟神社と改称されました 延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社です
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
高牟神社(Takamu shrine)
【通称名(Common name)】
高針高牟神社(たかばりたかむじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
愛知県名古屋市名東区高針2-1112(名古屋市名東区猪高町高針字比島103)
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》應神天皇(おうじんてんのう)
産霊神(むすびのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
高牟神社の由来
創立年代 不詳なるも元禄十五年 社地覚書に八幡宮一社東西一三四間、南北八四間とある
御祭神 応神天皇(誉田別尊とも申す)を祀る八幡の神なり
産霊神(むすびのかみ)を配祀する由 緒 八幡の神は全国八万の神社のうちで分霊社が約二万五〇〇〇を数えその総本宮は九州宇佐八幡宮であります、高牟神社もその分社の一つであります
神 徳 応神天皇は拓殖興業、教育文化の神としてこの地方の守護神と深く尊崇され、その神徳は広大無辺であります、産霊神は天地創造の神で民族の道を始められた、お徳は歴史に明らかであります、昭和十二年社殿の改造を行い本殿は荘厳で建坪十三坪余、延喜年間には幣帛供進の延喜式内社として古くより地方の崇敬をあつめてまいりました、境内には護国社があり明治以来の殉国の英霊がまつられています、
また拝殿西脇には
末社 神明社 天照大御神を祀る
白山社 菊理媛神を祀る
山神社 大山津見神を祀る現地案内板より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・高牟神社 社殿
〈拝殿向かって左横 三つの境内社〉
・神明社《主》天照大御神
・白山社《主》菊理姫神
・山神社《主》大山津見神
・夫婦杉
・高針護国社
・手水舎
手水舎に ペット同伴で境内を歩き回る方への注意書きがあります
・二の鳥居
・社頭・一の鳥居
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 高牟神社
[ふ り が な ](たかむの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Takamu no kaminoyashiro)
【原文参照】
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
尾張國の式内社には 高牟神社(たかむの かみのやしろ)が 春日部郡と愛智郡の二ヶ所に所載されています
延喜式内社 尾張國 春日部郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について
・高牟神社(名古屋市守山区)
・松原神社(春日井市東山町)
・高田寺白山社(北名古屋市高田寺)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
・五社神社(春日井市玉野町)
・勝川天神社(春日井市勝川町)
延喜式内社 尾張國 愛智郡 高牟神社(たかむの かみのやしろ)の論社について
・高牟神社(名古屋市千種区今池)
・高針高牟神社(名古屋市名東区高針)
・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
地下鉄東山線 上社駅から約2.4km南下 車で7~8分程度 高針小学校の東南隣
神社の南側の通りの向かいの民家に゛髙帝龍王龍神社(こうていりゅうおうりゅうじん)゛が祀られていました
高牟神社(名古屋市名東区高針)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり抜けて すぐに右に折れて 参道を上がります
再び左に折れて石段をがると二の鳥居が建ちます
一礼をして 二の鳥居をくぐり抜けて
正面の拝殿にすすみます
拝殿の向かって左は 護国社です
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
高針護国社にも
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 高牟神社について 所在は゛古井庄古井村に在す、今 八幡宮と稱す゛〔出船八幡〕〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟神社
高牟は多加武と讀り
〇祭神 高皇産靈尊、〔府志〕
○古井庄古井村に在す、今 八幡宮と稱す、〔集説、府志〕
集説に、高向朝臣祖と考へたるも覚束なし、
〔連胤〕按るに、こは春日部郡なると同神なるべけれど共に知れがたし、類社
當國 春日部郡 高牟神社神位
国内神名帳云、從三位高牟天神、〔一本作に高牟久〕
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 高牟神社について 所在は゛今 鳴海庄 古井村にあり、゛〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟(タカムクノ)神社
〔〇按 國内神名帳一本、高牟を高牟久に作る、〕
今 鳴海庄 古井村にあり、
凡 其祭一月五月九月十五日を用ふ、〔國内帳集説、式社考、尾張式社確定記、愛智縣神社調〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 高牟神社について 所在は゛鳴海莊古井村 (愛知郡千種町)゛〈現 高牟神社(名古屋市千種区今池)〉と記しています
【抜粋意訳】
高牟神社
祭神 應神天皇
今按 社傳 祭神 應神天皇一座とし 又 高皇産靈神 神産靈神 應神天皇とあり この高皇産靈神は社號の高牟と云によりて云出たる説なるべければ信がたし 其は國内神名帳に高牟久天神ともあれば 高皇産靈神に非ること明けし 神産靈神は産靈神を並べ挙たるにて意義なし かくて思ふに高牟久は こむくにて高牟をも こむくとよみしなるべく 書紀に應神天皇の皇女 澇來田(コムクタ)皇女とあるを 古事記に高目(コムク)郎女とあるに巾ありて 應神天皇を祭りし社なるを高牟と云によりて 後人の産靈神二座を祭る由云そめつるなるべし 故今 應神天皇と云ふ説によりて記せり
祭日 一月五月九月並十五日
社格 郷社所在 鳴海莊古井村 (愛知郡千種町)
【原文参照】