山梨県
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山宮神社(笛吹市一宮町)
山宮神社(やまみやじんじゃ)は 垂仁天皇〈二千年以上前〉の時 この地〈神山の麓〉に木花開耶姫命 大山祇神 天孫瓊瓊杵命の三柱の神様を勧請 その後 貞観七年(865年)12月 三柱の内 木花開耶姫命を里宮〈現 浅間神社〉に遷座し 大山祇神と天孫瓊々杵命の二柱を御祭神としています 現在でも毎年3月には山宮神社への神幸が厳かに行なわれている 浅間神社創祀の地 本宮です
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冨士御室浅間神社 本宮 里宮(富士河口湖町勝山)
冨士御室浅間神社 本宮 里宮(ふじおむろせんげんじんしゃ)は 朱鳥14年(699)本宮(もとみや)が富士山二合目に奉斉され山中に祀られた最古の社と云われます その後722年 雨屋を建立 807年 坂上田村麿が戦捷祈願に社殿を創建し 958年 現在の河口湖畔に里宮(さとみや)が建立 二合目の本宮と 土地の産土神の里宮が 一体となって機能してきた特徴的な神社です
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北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市上吉田)
北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は 第12代 景行天皇40年(110)日本武尊が東征の時 当地御通過に際し「大塚丘(おおつかおか)」に富士の神霊を拝されたのが創祀 その後 ...
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富士山 世界文化遺産 構成資産 と 浅間神社について〈Fuji World Heritage Sites and Sengen Shrine〉
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます
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富士山頂上 浅間大社 奥宮 & 富士山頂上 久須志神社
富士山頂上 浅間大社 奥宮(ふじさんちょうじょう せんげんたいしゃ おくみや)は 元は富士山興法寺〈現 村山浅間神社〉の大日堂「表大日」・富士山頂上 久須志神社は(ふじさんちょうじょう くすしじんじゃ)は 元は須走浅間神社の薬師堂「裏薬師」でした どちらも明治の神仏分離令により仏像が取り除かれ 富士山浅間大社の奥宮として管理されることになりました
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甲斐國 式内社 20座(大1座・小19座)について
甲斐国(かひのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 甲斐国には 20座(大1座・小19座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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青沼浅間神社(甲府市)
青沼浅間神社(あおぬませんげんじんじゃ)は 社伝によれば「貞観7年 平安初期 西暦865年に山梨郡 稲門東青沼村 現在地に建立す」とあります 延喜元年(901年)成立の『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』に記されている「山梨郡に祀られた浅間明神」とされています 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)の論社でもあります
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一宮浅間神社(市川三郷町)
一宮浅間神社(いちみやあさまじんじゃ)は 地元の言い伝えによれば 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火の時に 浅間の神である 木花咲耶姫命を 現鎮座地の南方にある正体山に噴火の難を逃れるために遷ったのが始まりと伝わります 明治27年(1894)鳥居原狐塚古墳(市川三郷町大塚)から中国の呉の年号である赤烏元年(238年)の銘がある銅鏡「神獣鏡」1面が出土し奉納され 国の重要文化財に指定(現在東京国立博物館展示)されています
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河口浅間神社(富士河口湖町)
河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は 貞観6年(864)に始まった富士山の大噴火〈貞観の大噴火〉を鎮めるために 勅命により 甲斐国に浅間名神を祀ることになったのが創始とされています この大噴火では 富士山の北麓にあった広大な湖「剗の海(セノウミ)」の大半(現在の青木ヶ原樹海)が 溶岩で埋め尽くされて 西湖と精進湖が僅かに 現在に残ったとされています
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浅間神社 (笛吹市)&山宮神社(旧鎮座地)
浅間神社(あさまじんじゃ)は 社伝によれば 第11代 垂仁天皇8年(約2000年前)山宮神社(現摂社)の地に3柱の神を祀り創始し 後に富士山の貞観大噴火の時に 鎮火の神「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」1柱を現在地に遷座して創建〈貞観7年(865)〉と伝 国府も近く 甲斐國一之宮とされ『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の 名神大社の論社でもあります