島根県

『出雲國風土記』飯石郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社

『出雲國風土記』飯石郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】16社は 写本の順番で並んでいます

『出雲國風土記』飯石郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】5社

『出雲國風土記』飯石郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】5社は 写本の順番で並んでいます

埼田神社(出雲市園町)

埼田神社(さきたじんじゃ)は 県の無形文化財の指定を受ける奉納神事としての「青獅子舞(あおししまい)」が有名です 『出雲國風土記733 AD.』に所載の楯縫郡 不在神祇官社「埼田社(さきた)のやしろ」の論社です

宿努神社(出雲市多久谷町)

宿努神社(すくねじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』で御祭神 天御梶姫命(あめのみかじひめのみこと)が 多伎都彦命(たきつひこのみこと)をお産みになられたとする盾縫郡の神名樋山(かんなびやま) そこから流れ下る「虹が滝」をご神体とすると伝わり 楯縫郡 不在神祇官社「宿努社(すくぬ)のやしろ」とされています

山口神社(出雲市鹿園寺町)

山口神社(やまぐちじんじゃ)は かつて毎年 四人の頭人を定め 毎月晦日に坂浦より潮を汲みて捧げ 祭日に十二番の相撲神事が行われていました 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡  不在神祇官社「高守社(たかもり)のやしろ」「又高守社(またたかもり)のやしろ」「山口社(やまぐち)のやしろ」の論社です

石上神社(出雲市塩津町)

石上神社(いしがみじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「宇美社 (うみ)のやしろ」とされています 本来の御祭神は「海童(カイドウ)=和田津見命(ワタツミノミコト)」とされ ご神体の「石」から「いしがみさま」と呼ばれていました

船守神社(出雲市塩津町)

船守神社(ふなもりじんじゃ)は 出雲国風土記「宇美社(うみのやしろ)」・延喜式内社「宇美神社(うみのかみのやしろ)」とされる「石上神社(出雲市塩津町)」を明治四年(1871)に合祀した神社です

宇美神社(出雲市平田町)

宇美神社(うみじんじゃ)は 熊野社に天正十六年(1588)に諸社を合祀し熊野権現社となり 合祀社の一つに式内社の論社〈廻大明神〉があって『雲陽志1835AD.』には 布都御魂命(ふつみたまのみこと)を祀る所の迫大明神(さこだいみょうじん)「風土記に沼田郷 宇美社というは この社なり」と記されます

三社神社(出雲市小伊津町)

三社神社(さんしゃじんじゃ)は 『雲陽志(unyo shi)1835AD.』楯縫郡 古井津(koizu)では「或る人曰く 風土記に載る「水社(みず)のやしろ」これなり」とあり『風土記鈔』には「古井津浦(こいづうら)の三社大明神〈現 三社神社(出雲市小伊津町)〉なり」と記されています

水神社(出雲市本庄町)

水神社(みずじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「水社(みず)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD.』所載の楯縫郡「水神社(みずのかみのやしろ)」の論社とされ 雨乞の祈祷に霊験著しいと崇敬を集めています

狗賓神社〈御津神社の 古社地〉(出雲市三津町)

狗賓神社(ぐひんじんじゃ)は 三津浦を見下ろす丘陵にあり『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」の阯とされます 岩山の岩窟を祀り「上松権現」と呼ばれていました 御津神社(出雲市三津町)の当所古社地であったとされます

御津神社(出雲市三津町)

御津神社(みつじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」とされています 現在は海岸から離れた内陸に鎮座していますが かつては「御津」に相応しく「三津浦」に鎮座していたとされます

鞆前神社(出雲市坂浦町)& 日御碕神社(出雲市坂浦町)

鞆前神社(ともさきじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡「佐香浜 さかはま」〈現 坂浦 さかうら〉に鎮座し 楯縫郡の神祇官社「佐加社(さか)のやしろ」と伝わり 不在神祇官社「鞆前社(ともさき)のやしろ」でもあり 由緒深き神社です

佐香神社(出雲市小境町)

佐香神社(さかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 神祇官社「佐加社(さか)のやしろ」の論社です 御祭神は酒造の神「久斯之神(くすのかみ)=少彦名命」です 風土記に「全国から集まった神々が 180日もの宴をした」と記され 日本の「どぶろく」の発祥の地とされています

紫菜島神社〈許豆神社 (稲荷神社)境内へ遷座〉(出雲市十六島町)

紫菜島神社(のりしまじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の楯縫郡 不在神祇官社「紫菜嶋社(のりしま)のやしろ」とされ 古代より 十六島海苔(うっぷるい のり)の神様として崇敬されています 大正時代に十六島(うっぷるい)の許豆神社(こづじんじゃ)の境内へ遷座して摂社となっています

許豆神社〈稲荷神社〉(出雲市十六島町)

許豆神社(こづしんじゃ)〈稲荷神社〉は 十六島(うっぷるい)浦を見渡す山の斜面に鎮座します 『出雲國風土記( 733 AD.)』所載社の「又許豆社(またこづ)のやしろ」とされていて 境内摂社の紫菜嶋神社も『出雲国風土記』所載の「紫菜島社(のりしま)のやしろ」とされています

『出雲國風土記』神門郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】25社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)   『出雲國風 ...

『出雲國風土記』神門郡【不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)】12社

出典近畿中国森林管理局Webサイト(httpswww.rinya.maff.go.jpkinkisimanemori-enjoyizumonokunihudoki.html)  『出雲國風土記』神門郡 ...

『出雲國風土記』神門郡(kando no kori)条 所載の神社 37社

神門郡の神社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

 『出雲國風土記』神門郡(kando no kori)条 所載の神社の数は「37社」です 
 「25社」 神祇官社(jingikan sha)=『延喜式神名帳』所載社
 「12社」 不在神祇官社(fuzai jingikan sha)

許豆神社〈南宮〉(出雲市小津町)

許豆神社〈南宮〉(こづじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』楯縫郡に所載の神祇官社「同社〈許豆社〉(おなじき)やしろ」『延喜式神名帳927 AD.』所載の社「許豆神社 こつのかみのやしろ」とされています

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