島根県
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本宮神社〈本殿合祀or境内社 八面神社〉(三瓶町上山)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
本宮神社(もとみやじんじゃ)は 宝亀三年(772)創建 この地の豪族 矢野隆義が紀州熊野本宮神社の分霊を勧請したと伝わります 又 〈本殿合祀or境内社〉八面神社(やおもてじんじゃ)は 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります
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三瓶山神社(大田市三瓶町小屋原)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
三瓶山神社(みかめやまじんじゃ)は 承暦永保(1077~1084年)の頃 三瓶山麓に野獸が多く村民が苦しんだので 源頼義の臣の平吉義が農鎌を以て退治し この鎌を神體として熊野三社を勧請鎮祭し 鎌は今でも殿内に奉遷と云う 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社でもあります
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八面神社(大田市三瓶町志学ロ)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
八面神社(やおもてじんじゃ)は 三瓶山〈佐比賣山〉の山麓に八ヶ所の湧水があって 湧水ごとに八つ集落があり 三瓶山〈佐比賣山〉を祀る八つの神゛八面神社゛が創建された〈寛平年間(889~898年)〉と伝わっています 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です
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高田八幡宮〈相殿 佐比賣山神〉(大田市三瓶町池田)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
高田八幡宮(たかたはちまんぐう)は 寛喜二年(1230)山城國 綴喜郡 男山八幡宮より勧請したと云う 又 相殿に祀られる佐比賣山神は 明治四十年(1907)四月 佐比賣村 同大字の佐比賣山神社が本社に合併されたもので 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社とされます
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佐比賣山神社(大田市鳥井町鳥井)〈『延喜式』佐比賣山神社〉
佐比賣山神社(さひめやまじんじゃ)は 寛平3年(891)美濃国石破郡石破関より勧請され 元々は 大字烏井字杵島山に鎮座し厳島大明神と云ったとある 明治四十年(1907)海岸の丘上〈現在地〉に奉遷 八幡宮へ合併し社号を佐比賣山神社としました 延喜式内社 石見国 安濃郡 佐比賣山神社(さひめやまの かみのやしろ)の論社です
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大歳神社(浜田市三隅町下古和)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大年神社(おおとしじんじゃ)は 創建年代はあきらかでないが 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社の一つとされています 明治期に地域の神社を合祀しています
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大年神社(浜田市国分町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大年神社(おおとしじんじゃ)は 景勝地として知られる石見畳ケ浦の入口にあたる唐鐘漁港の高台に鎮座します 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』に石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とある古社の論社の一つです
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大歳神社(浜田市大金町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 元 大金神社と称していたが 昭和30年(1955)神社本庁の許可を得て大歳神社を創立し神社本庁に従属したとあり 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社の一つです
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大歳神社(浜田市弥栄町小坂)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 創祀年代について 「神亀元年(724)十二月 田村修理によって当地に創建」と云われる由緒を持ち 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)と伝わります この論社は数が多く その内の一つとされます
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大歳神社(浜田市元浜町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大歳神社(おおとしじんじゃ)は 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授し 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされる由緒ある神社ですが 所在については確証がなく 数多くの論社があります その一つとされています
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大年神社(江津市渡津町塩田)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大年神社(おおとしじんじゃ)は 口碑に「神龜二年(725)六月朔日 伊勢別宮より勧請 天正年間(1573~1592)都野刑部少輔元康 社領寄附す」とあり 『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされています
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大年神社(江津市和木町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大年神社(おおとしじんじゃ)は 伊勢別宮より勧請され都農郷 大年免(おとしめ)山に奉斎されたと伝えられ『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされ 江戸時代 和木村庄屋小川氏によって和木川ほとりの現在地に遷座しました
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大年神社(江津市都野津町)〈『三代實録』大歳神『延喜式』大歳神社〉
大年神社(おおとしじんじゃ)は 神亀貮乙丑(725年)六月朔日伊勢別宮より 都濃郷大年免に鎮座と伝わり『三代實録』貞觀十三年(871)に大歳神として從五位上を奉授 『延喜式(927年)』石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)の論社とされます 正徳元卯年(1711年)都山〈現地〉に遷座したと伝わります
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櫛色天蘿箇彦命神社(浜田市久代町)〈『延喜式』櫛色天蘿箇彦命神社〉
櫛色天蘿箇彦命神社(くしろあめのこけつひこのみことじんじゃ)は 古代石見地方に栄えた櫛色族の祖である天足彦国押人命の御子 櫛色天蘿箇彦命を祀る 延喜式内社 石見國 那賀郡 櫛色天蘿箇彦命神社(くしいろ あめのこけつひこのみことの かみのやしろ)です 旧社地 元稲葉の地から大正十年(1921)現地に遷座しました
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豊田神社(益田市横田町)〈『三代實錄』石塔鬼王帝釋天王國社神〉
豊田神社(とよたじんじゃ)は 社説には『三代實錄』元慶二年(八七八)九月十六日の条に載る゛石見國 石塔鬼王帝釋天王國社神とあるは此神なり゛とあり 六国史に載る古社とされます いつの頃からか御祭神が御神威 荒振る神となり 長元八年(1035)三井寺の明尊僧正が9個の壷に酒を入れ封じ鎮められたと伝わります
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櫛代賀姫神社(益田市久城町)〈『延喜式』櫛代賀姫命神社〉
櫛代賀姫神社(くししろかひめじんじゃ)は 社伝には この地方を開拓した櫛代(くしろ)族は 古代に鎌手の大浜から上陸して その祖神を祀り天平五年(733)大浜浦に創建と伝わります その後 現在地 久城明星山に遷座した 延喜式内社 石見國 美濃郡 櫛代賀姫命神社(くししろかひめのみことの かみのやしろ)です
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小野神社(益田市戸田町)〈『延喜式』小野天大神之多初阿豆委居命神社〉
小野神社(おのじんじゃ)は 延喜式内社 石見國 美濃郡 小野天大神之多初阿豆委居命神社(をのの あめおほみみわのたそあつわけのみことの かみのやしろ)です 明治四十年(1907)合祀された菅野社は 同じく延喜式内社 菅野天財(天射)若子命神社(すかのの あめたから(あめい)わかこのみことの かみのやしろ)の論社です
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意宇杜(松江市竹矢町)〈天平路(客の森)〉
意宇杜(おうのもり)は 『出雲國風土記733 AD.』の中でも著名な国引き神話の最後に登場する舞台です 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が「今は国引きを終えた」と勅された時「意恵・おゑ」と云われ 国庁が在った意宇辺り 田の中にある小山に杖を衝き立てた その上には木が茂っているので「意宇のもり」と云うと記されます
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出雲〈北島〉國造家鎮守社(大社町杵築東)
出雲〈北島〉國造家鎮守 御三社(こくぞうけちんじゅ ごさんしゃ)は 出雲大社の東隣 出雲大社宮司〈北島〉家の祖先神をお祀りした鎮守社として〈天穂日命社・荒神社 稲荷社〉が 並んで鎮座されています
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加夜堂(多伎町多岐)〈加夜社の旧鎮座地〉
加夜堂(かやどう)は 阿陀加夜努志多伎吉比賣命(あだかやぬしたききひめのみこと)を祀り 『出雲國風土記733 AD.』「加夜社(かや)のやしろ」の旧鎮座地として「多岐村加夜堂也」との説があり 今は仏式ですが かつては加夜社であったと伝えられています