国史記載社

大歳神社〈相殿に合祀 石作大神〉(大原野灰方町)〈『延喜式』大歳神社・石作神社〉

大歳神社(おおとしじんじゃ)は 境内を栢の森と称し゛栢の社(かやのやしろ)゛とも云う主祭神は大歳大神で 延喜式内社 山城國 乙訓郡 大歳神社(大月次新嘗)(おほとしの かみのやしろ)です 又 相殿は 後に大歳神社に合祀したと伝わる 石作氏の祖神 石作大神を祀る延喜式内社 石作神社(いしつくりの かみのやしろ)です

温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〈『延喜式』温泉石神社(貞)〉

温泉石神社(ゆのいし/おんせんいし/じんじゃ)は 承和四年(837)この地に大噴火が起り 雷が響きふるえ昼夜止まず 周囲二十余尺の大石の根本から温泉〈その色水漿の如し〉が流れ出した この石を温泉石神社として祀ったのが始まりと云う 延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)です

生國魂神社(大阪市天王寺区生玉町)〈『延喜式』難破坐生國咲國魂神社〉

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は 祭神 生島神・足島神は 日本国土の神霊とされ『延喜式』には宮中神として 生嶋巫祭神 2座(並大月次新嘗)として祀られた神です 新天皇の即位儀礼の゛八十島神祭゛の主神とされました かつては現在の大坂城の地に鎮座していましたが 豊臣秀吉公が大坂城の築城の頃 現在地に遷座と伝わります

大國玉神社(桜川市大国玉)〈『續日本後紀』大國玉ノ神『延喜式』大國玉神社〉

大國玉神社(おおくにたまじんじゃ)は 社伝によれば養老年間(717~724年)の創立とされます 『続日本後紀』承和4年(837)3月の条に゛霊感甚だ大であるため 官社に預かる・同12年の条に゛従五位下を授く゛と記され 『延喜式』常陸國 眞壁郡 大國玉神社(おほくにたまの かみのやしろ)と載る由緒ある古社です

豊田神社(益田市横田町)〈『三代實錄』石塔鬼王帝釋天王國社神〉

豊田神社(とよたじんじゃ)は 社説には『三代實錄』元慶二年(八七八)九月十六日の条に載る゛石見國 石塔鬼王帝釋天王國社神とあるは此神なり゛とあり 六国史に載る古社とされます いつの頃からか御祭神が御神威 荒振る神となり 長元八年(1035)三井寺の明尊僧正が9個の壷に酒を入れ封じ鎮められたと伝わります

小野神社(大津市小野)〈『延喜式』小野神社二座(名神大)〉

小野神社(おのじんじゃ)は 第5代孝昭天皇の第一皇子 天足彦国押人命〈小野一族の祖〉と 同命から数えて七代目の米餅搗大使主命〈餅及菓子の匠・司の始祖〉の二柱を祀ります 延喜式内社 近江國 滋賀郡 小野神社二座(名神大)(をのの かみのやしろ ふたくら)とされる古社で 境内には小野篁(たかむら)を祀る篁神社もあります

尾崎神社 遥拝殿(大船渡市赤崎町鳥沢)〈『文徳實録』理訓許段神〉

尾崎神社 遥拝殿(おさきじんじゃ ようはいでん)は 後水尾天皇の御宇 寛永二年(1625)類焼に罹り古文書 宝物悉く焼失 由緒沿革の要領不祥ですが 延喜式内社 陸奥國 氣仙郡(けせんの こおり)3座(小)の一つ 理訓許段神社(りくこたの かみのやしろ)と伝えています こちらは遥拝殿で後方の山上に本殿が祀られています

美和神社(笛吹市御坂町二之宮)〈『三代實録』美和ノ神〉

美和神社(みわじんじゃ)は 景行天皇の御代 日本武尊の命にて甲斐國造 塩足尼が大和國 大三輪神社から勧請し奉ったと伝わる ゛美和ノ神゛として六国史『三代実録』に記されている国史見在社です 一条天皇の御宇 第二之宮の号を賜り その後も鎌倉家・足利家・武田家・徳川家の崇敬厚く 社殿造営の保護がありました

大石神社(甲州市塩山赤尾)〈延喜式内社 物部神社の論社〉

大石神社(おおいしじんじゃ)は 社伝に 第21代 雄略天皇御宇 詔(みことのり)により海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかお もののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社とされ 明治時代には 物部神社と称したと云う

大石神社(山梨市西)〈巨大な花崗岩のご神体が坐します〉

大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています

物部神社(笛吹市石和町松本)〈『六国史』物部神・『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷の使者として武内宿禰(たけのうちのすくね)らが東方巡察の折 物部氏の従者により創祀されたと云う 『六国史』には゛物部神゛に神階の奉授が記され 『延喜式』に甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)と所載されます 当初 御室山に鎮座し 鎌倉時代に現在地に遷座と云う

物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です

筑紫神社(筑紫野市原田)〈『三代實録』筑紫神『延喜式』筑紫神社〔名神大社〕〉

筑紫神社(ちくしじんじゃ)は 延喜式内社 筑前國 御笠郡 筑紫神社(名神大)(ちくしの かみのやしろ)です 筑紫の国号の起源説話が伝わる由緒ある古社で 奈良時代に書かれた『御笠郡筑紫神社縁起』には「筑前国と筑後国の境に荒ぶる神がいて 往来のものの命を奪うので困り果て 筑紫神として祀り これを鎮めた」とあります

霧島東神社(高原町祓川)〈『續日本後紀』霧嶋岑神・『延喜式』霧嶋神社〉

霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)は ゛天之逆鉾゛を社宝とし〈高千穂峰の山頂の天孫降臨伝説の地〉第10代崇神天皇の御代 霧島山を信仰する社として創建と伝わる 延喜式内社 日向國 諸縣郡 霧嶋神社(きりしまの かみのやしろ)の論社で 天暦年間(947~957)性空上人が別当寺 錫杖院を建立し 霧島六社権現の一つとなった

羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区羽束師志水町)(『三代實録』羽束志神)

羽束師坐高御産日神社(はづかしにます たかみむすひじんじゃ)は 社伝によれば 創建〈雄略天皇21年丁己(477)〉と伝わり 京都でも古社となります 高皇産霊神(たかみむすひのかみ)を祀る 延喜式内社 山城國 乙訓郡 羽束師坐高御産日神社(大月次新嘗)(はつかしにますたかみむすひの かみのやしろ)です

天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉

天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした

高千穂神社(高千穂町三田井字神殿)

高千穂神社(たかちほじんじゃ)は 垂仁天皇の御世 創建と伝わり 高智保皇神(たかちほのすめかみ)として 六国史『続日本後記』『三代実録』に記述がある国史見在社ともされます 天慶年問(938~947年)豊後国の豪族 大神惟基の子・政次が 高知尾(高千穂)氏を興し 十社大明神を高千穂18郷(高千穂八十八社)の総社として崇め 広く郷民の信仰を集めたといいます

物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉

物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります

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