福岡県
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志賀海神社(福岡市東区志賀島)〈延喜式内社 名神大社〉
志賀海神社(しかうみじんじゃ)は 志賀島に鎮座し゛龍の都゛゛海神の総本社゛と称えられる 延喜式内社 筑前國 糟屋郡 志加海神社 三座(並名神大)(しかのうみの かみのやしろ みくら)です 祭祀は 神裔 阿曇族によって 御祭神〈伊邪那岐大神が禊祓をされて 住吉三神と共に御出現された〉 海の守護神 綿津見三神を奉斎します
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志登神社(糸島市志登)
志登神社(しとじんじゃ)は 『記紀神話』日向二代 彦火火出見尊〈山幸彦〉の妃 ゛豊玉姫命゛が 海神国より帰り 浮島であったこの地に上陸されたので 社殿は西方に向って建ち 昔は海上から参拝するようになっていたと伝わります 延喜式内社 筑前國 怡土郡 志登神社(しとの かみのやしろ)とされます
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麻氐良布神社 奥宮(朝倉市杷木志波)
麻氐良布神社 奥宮(まてらふじんじゃ おくのみや)は 麻氐良山の山頂に鎮座します この山は『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉山゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条に゛眞天良布神゛と記される古社で 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)です
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麻氐良布神社 下宮(朝倉市杷木志波)
麻氐良布神社 下宮(まてらふじんじゃ しものみや)は 『日本書紀』斉明天皇の条にある゛朝倉の社゛とされ 『日本三代実録』元慶元年(八七七)九月廿五日の条には゛眞天良布神゛と記され 『延喜式神名帳927 AD.』所載 筑前国 上座郡 麻氐良布神社(まてらふの かみのやしろ)の里宮です
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現人神社(那珂川市仲)
現人神社(あらひとじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の時 神告により神田を定め 天神地祇に禱祈して 那珂川の水を引いた所 大和への御帰還に際し 霊験な現人神〈筒男三神〉をご奉持され 眞住吉之国(住よい国)〈摂津(大阪)〉に祀らた為に住吉三神と称され始めます 筑前国一之宮 福岡の住吉宮も後にここより御分霊された 故に 全国津々浦々にある住吉三神の本津宮とされます
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若久住吉神社(福岡市南区若久)
若久住吉神社(わかひさすみよしじんじゃ)は 「御鎮座は 遠い遠い神代のことで年代を定めることは出来ませんが 全国的にも九州でも最も古いお宮様の一つです」と由緒にあり 式内社 住吉神社 三座(並 名神大)(すみよしの かみのやしろ みくら)とする説 筑前国福岡藩初代藩主 黒田長政によって江戸期前期頃の創建造営とする説もあります
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住吉神社(福岡市博多区住吉)・境内・摂社・末社について
筑前国一之宮 住吉神社(すみよしじんじゃ)の・境内・摂社・末社 と境内・境外の要所についてご覧ください
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住吉神社(福岡市博多区住吉)
住吉神社(すみよしじんじゃ)は 延喜式神名帳に所載「筑前国那珂郡 住吉神社三座 名神大」とされ 筑紫国一之宮です 社伝には 伊弉諾尊が黄泉國から戻り祓い清めた地「筑紫の日向の橘の小戸の檍原の古蹟」〈住吉三神の御出生の地〉とされ神代より此地に鎮座 後に 神功皇后が三韓征韓の途中に祭祀を行ったので 住吉本社 又 日本第一住吉宮と伝えています
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豊前国 式内社 6座(大3座・小3座)について
豊前国(ぶぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 豊前国 6座(大3座・小3座)の神社です
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筑後国 式内社 4座(大2座・小2座)について
筑後国(ちくごのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 筑後国(ちくごのくに) 4座(大2座・小2座)の神社です
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筑前國 式内社 19座(大16座・小3座)について
筑前国(ちくぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 筑前国(ちくぜんのくに)には 19座(大16座・小3座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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高良大社奥宮〈奥の院〉(久留米市御井町)
高良大社 奥宮〈奥の院〉(おくみや)は 白鳳七年(687)高良山に仏教を伝えた隆慶(りゅうけい)上人が 毘沙門天(高良神の本地)を感見して 天竺〈インド〉の無熱池(むねつち)の清涼な水を法力で招き寄せたとする清水に 毘沙門堂を建てた 高良山信仰の原点となる聖地です 江戸時代には 高良大明神の御廟所「高良廟」「御神廟」〈別墅(別所)〉と称されていました
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高樹神社(久留米市御井町)
高樹神社(たかきじんじゃ)は 伝承によれば 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が 元々は高良山の山頂に地主神として鎮座されていたが 高良神(こうらのかみ)に一夜の宿を貸したところ 高良神が神籠石(こうごいし)を築いて結界の地としたため山上にもどれず ここ高良山の麓(ふもと)に鎮座するに至ったと伝わります 正史=六国史に名の現れる国史現在社(こくしげんざいしゃ)です
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高良大社(久留米市御井町)
高良大社(こうらたいしゃ)は 久留米の高良山に鎮座し 社殿は北東を向いて祀られ そのはるか先を望めば 玄界灘を渡り 壱岐と対馬を向いて 大陸へと通じています 御祭神 高良玉垂命は 朝廷から正一位を賜る程の神ですが 記紀には記されぬ隠神で 古くから諸説あり正体は不明 かつて武内宿禰命とする説が有力でしたが 明治以降は特に比定はなく 謎の神とされます
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英彦山神宮(福岡県 英彦山)〈奉幣殿・下津宮〉
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は 社伝によれば 鎮座する英彦山は 御祭神が天照大神の御子 天忍穂〈根〉耳命 故に「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれたする この縁起から『延喜式神名帳927 AD.』所載の豊前国 田川郡 忍骨命神社(をしほねのみことの かみのやしろ)の論社ともされます
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伊勢天照御祖神社〈大石神社〉(久留米市大石町)
伊勢天照御祖神社(いせあまてらすみおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社とされていますが 久留米市御井町の高良大社の末社と当社に比定が分かれています 当社の祭神は天照国照彦天火明尊〈饒速日命〉とされ 物部氏の日神祭祀に関連していたと思われます
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伊勢天照御祖神社(久留米市御井町)
伊勢天照御祖神社(いせあまてらすみおやじんじゃ)は 中世に廃絶したとも云われます 室町時代末の『高良社画縁起』では 山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれていて 明和4年(1767)の府中大火を機として 現在地に遷座されたと伝わります
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金富神社(築上町湊)
金富神社(きんとみじんじゃ)は 当初は「矢幡(ヤハタ)」と呼ばれ 大分県宇佐市に鎮座する「宇佐神宮」の元宮とされています 宇佐神宮は 全国にある八幡宮の総本社ですので その元宮にあたる金富神社は 八幡神(ヤハタノカミ・ヤワタノカミ・ハチマンノカミ)の元宮となり 「八幡神顕現の霊地」と呼ばれていて 原始八幡神創祀遺跡(学説)もあります
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大分八幡宮(飯塚市大分)
大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)は 古代に神功皇后が三韓征伐から帰国して 当地で引率していた軍士を解隊し それぞれの故郷に返した時 その大分(オオワカレ)から大分(ダイブ)と称されるようになったと伝わります 筑前国一之宮の「筥崎宮(福岡市)」の元宮とされています
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筥崎宮(福岡市東区箱崎)
筥崎宮(はこざきぐう)は 筑前国一之宮で『延喜式神名帳』所載の名神大社であり 別称を「筥崎八幡宮(hakozaki hachimangu)」とも呼ばれます 宇佐神宮(大分県宇佐市)・石清水八幡宮(京都府八幡市)の2社に鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)or筥崎八幡宮(当社)のいずれかを合わせて三大八幡宮とも呼ばれます