福井県
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若狭國 式内社 42座(大3座・小39座)について
若狭国(わかさのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 若狭国には 42座(大3座・小39座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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天伊弉奈彦神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
天伊弉奈彦神社(あめのいざなひこじんじゃ)は 祭神の天伊弉奈彦大神が氣比大神の御子神であると『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と記される由緒格式ある古社です
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天利劔神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
天利劔神社(あめのとつるぎじんじゃ)は 祭神の天利劔大神が氣比大神の御子神であると『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と記される由緒格式ある古社です
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天伊弉奈姫神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
天伊弉奈姫神社(あめのいざなひめじんじゃ)は 祭神の天比女若御子大神が 氣比大神の御子神であると『続日本後紀』承和7年(840)9月13日(乙酉)の条に「奉授 越前國 從二位勳一等 氣比大神之御子 无位 天利劔神 天比女若御子神 天伊佐奈彦神 並從五位下」と記される由緒格式ある古社です
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大神下前神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
大神下前神社(おおみわしもさきじんじゃ)は 氣比大神四守護神の北方鎮守社で元は北東の天筒山山麓の宮内村(現・敦賀市金ケ崎町)に境外末社として鎮座していた 明治四十四年(1911)鉄道敷設に伴って現在の地に遷座 稲荷神社 金刀比羅神社を合祀しました
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越前國 式内社 126座(大8座・小118座)について
越前国(えちぜんのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 越前国には 126座(大8座・小118座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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角鹿神社〈氣比神宮境内〉(敦賀市曙町)
角鹿神社(つぬがじんじゃ)は 社伝には 祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)〈任那(みなま)の皇子〉は 崇神天皇の御代 氣比の浦に上陸し 天皇に貢物を奉り 氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられたとあり その政所(まんどころ)の跡に鎮座する門神〈往古は氣比神宮の東門口が表参道〉でした 敦賀(つるが)の地名は 御神名 角鹿(つぬが)が語源とされる
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氣比神宮 土公〈氣比大神降臨の地〉(敦賀市曙町)
氣比神宮 土公(どこう)は 氣比之大神 降臨の地とされます 御祭神 氣比之大神は 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)とも 笥飯大神(けひのおほかみ)御食津大神(みけつおほかみ)とも称し 2千有余年 天筒の嶺に霊跡を垂れ 境内の聖地(現在の土公)に降臨したと伝わり 神籬磐境(ひもろぎいわさか)の形態を今に留めています
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氣比神宮(敦賀市曙町)
氣比神宮(けひじんぐう)は 太古 伊奢沙別命(いざさわけのみこと)〈氣比大神〉1柱を祀りましたが 大宝2年(702)文武天皇の勅命で 仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され七柱の御祭神となりました 延喜式には「祭神七座並 名神大社」とあります
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大神岩〈久須夜神社旧地〉
大神岩(おおかみいし)〈久須夜神社旧地〉は 久須夜神社の由緒によれば「境内 山中に岩があり大神岩という 往古 大神がこの岩上に鎮座されたという 里人は 狼岩といって畏怖している 若狭国の名山 久須夜岳は 久須夜神社の名に依って生まれ 久須の夜雨は若狭八景に数えられている」
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多田神社(小浜市)
多田神社(ただじんじゃ)は 『延喜式神名帳』では若狭国遠敷郡の筆頭に挙げられる「多太神社(Tata no kamino yashiro)」の比定社です 元は 多田大明神 多田明神 多太明神社と呼ばれていました 「社伝に 天平神護二年(766年)創建すと傳ふ」と記されている古社です
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小浴神社(小浜市金屋)
小浴神社(こあみじんじゃ)は 『延喜式神名帳』の論社とされる古社です 鎮座地の小浜市金屋は かつての若狭国府の故地とされていて 小浴神社には かつての「惣社」が合祀された その惣社には 国宝級の絵巻が伝わっている新八幡宮(もともとあった小浜八幡に対して「新」八幡)が含まれていたのであろうと言われています
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若狹姫神社 下社(小浜市)
若狹姫神社 下社は 若狭彦神社 上社と2社で一つの神社「若狭国一の宮」とされています 上社「若狭彦神社」は 和銅7年(714年)に今の遠敷郡下根来村白石に創られたと云われ 霊亀元年(715年)に現在の地に遷座しました 下社「若狭姫神社」は 上社から北1.5kmの遠敷(onifu)の里にあり 6年の後の養老5年(721年)の鎮座と伝わります
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若狹彦神社 上社(小浜市)
若狹彦神社は 上社「若狭彦神社」と下社「若狭姫神社」の総称で 2つの神社で若狭国の一宮とされています 上社「若狭彦神社」は 和銅7年(714年)今の遠敷郡下根来村白石に創られたと云われ 霊亀元年(715年)に現在の地に遷座しました 下社「若狭姫神社」は 上社から北1.5kmの遠敷(onifu)の里にあり 6年の後の養老5年(721年)の鎮座と伝わります
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大瀧神社・岡太神社(越前市)
大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもとじんじゃ)は “紙漉きの御魂”と呼ぶに相応しき「川上御前(kawakami gozen)」を祀ります 里人は いくつ時代を超えても 感謝を忘れることなく 今も“越前和紙”の「紙漉きの紙祖神(かみのおやがみ)」を語り継ぎ仰ぎます