延喜式神名帳

許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)

許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社「許曽志神社(松江市古曽志町)」の 本宮阯〈旧鎮座地〉です 貞享元年(1684年)4月 現社地 松尾山へ奉遷までこの地に御鎮座 址地の地名を『元宮』と称すとあり 旧社地は寛大 古木繁茂 馬場の左右に松の並木在りと伝わります

許曽志神社(松江市古曽志町)

許曾志神社(こそしじんじゃ)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社です 祭神の猿田毘古命(さるたひこのみこと)で 猿田は狭田に通じ 五穀の守り神として国土を開拓した当地の開拓神と伝わり 狭田の国にあって産業の振興に尽くされた神として信仰されてきました

杢屋神社(松江市古志町)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉

杢屋神社(もくやじんじゃ)は 蛭子命を祭神とし 〈杢屋神社に合祀〉七社神社は 風土記の「毛之社」とされていて 天御中主尊 外四神を祭神とし もと三笠山に鎮座し 永禄年間(1558~1570)に字 西の谷に移転し 大正元年(1912)杢屋神社に合祀されました

森清神社(松江市大垣町)

森清神社(もりきよじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「阿之牟社(あしむ)のやしろ」の里宮とされます 明和4年(1767)に里宮として創建され 地区の名にちなみ呼称されるようになった 阿之牟社は 本来山一帯をご神体とする神社で 山中の中腹に本宮とされる巨岩が鎮座します

内神社(松江市大垣町)

内神社(うちじんじゃ)は 『出雲國風土記』の「宇智社」・『延喜式神名帳』の「内神社」に比定され 出雲国二大社(出雲大社・佐太神社)の支配を受けない「一社一例社」の特例を中世から継続して来た格別の神社で 江戸時代は松江藩四所祈願所(杵築、日御碕、佐陀、当社)のひとつでした 創建は霊亀元年(715)高野山の頂に光輪を見て神垣を結んだとされ 養老元年(717)今の宮地に移し宮殿を再興したと伝わる

五十田神社(松江市古志町)

五十田神社(いそだじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 大井社です もとの鎮座地は現在地の東方にあった佐太水海の沖の大井の輪と言われる浜にあったが 洪水により社殿が西の丘麓の大井垣の輪に漂着し大井神社と称した 更に現在地の磯田に遷座し磯田神社となり 『日本書記』にある武甕槌命・経津主命が「出雲の国護りの舞台」五十田狭の小汀に天降ったのは ここなりとしての両神を祀り 五十田神社と改称した

『出雲國風土記』島根郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】14社

島根郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】14社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

『出雲國風土記』楯縫郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】9社

『出雲國風土記』楯縫郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】9社は 写本の順番で並んでいます

『出雲國風土記』秋鹿郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】10社

『出雲國風土記』秋鹿郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】10社は 写本の順番で並んでいます

『出雲國風土記』意宇郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】48社

意宇郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】48社は 写本の順番で並んでいます

惠曇神社(鹿島町佐陀本郷畑垣)&畑垣神社〈惠曇神社に合祀〉

惠曇神社(えともじんじゃ)は 磐坂日子命(いわさかひこのみこと)を御祭神としています 神名の「磐坂」は「磐境(いわさか)」と同義とされ 「座王さん」と呼ばれる当社境内に鎮座する磐座を神名として象徴化したものと考えられています 『出雲國風土記 733AD』所載の「恵杼毛社 (えとも)のやしろ」「毛之社 (もし)のやしろ」の論社とされています

惠曇神社(鹿島町恵曇)

恵曇神社(えともじんじゃ)は 磐坂日子命〈須佐能乎命(すさのをのみこと)の御子〉を祀り 『出雲國風土記 733 AD』所載の神祇官社「惠杼毛社(えとも)のやしろ」の論社です また境外社の恵曇海辺神社は『出雲國風土記』所載の不在神祇官社 二ヶ所の論社となっています

垂水社〈国司神社に合祀〉&國司神社(松江市西長江町)

國司神社(くにしじんじゃ)は 慶長年間(1596~1615)に旧社地 本国司より 現今の社地へ奉遷しました 垂水社〈国司神社に合祀〉については 明治41~42年(1908~1909)に往時 垂水社(式内社)を合祀してある西長江の新宮 東長江の姫二所 日御碕 天森の四社がこれに合祀された

御井神社〈秋鹿神社に合祀〉の旧鎮座地(松江市秋鹿町)

御井神社〈秋鹿神社に合祀〉の旧鎮座地は 現在の秋鹿神社の南方 約100m程の位置に神井があったと伝承があります〈現在は民家が建つ〉

秋鹿神社(松江市秋鹿町)& 御井神社〈秋鹿神社に合祀〉

秋鹿神社(あいかじんじゃ)& 御井神社〈秋鹿神社に合祀〉は 御祭神の秋鹿日女命(あいかひめのみこと)の名から『出雲國風土記(733年)』の秋鹿郷の名の由来とされています 所載社として「秋鹿社(あきか)のやしろ」と〈秋鹿神社に合祀〉の「御井社(みい)のやしろ」の二つの論社とされます

八重垣神社(松江市佐草町)

八重垣神社(やえがきじんじゃ)は 八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)伝説 ゆかりの地です スサノヲノミコトと国の乙女の花と歌われた櫛名田比売命(クシナダヒメ)の夫婦が御祭神で 恋愛成就の大神として知られる聖地です

佐久多神社・韓國伊太弖神社〈来待本宮に合祀〉&来待本宮(松江市宍道町)

来待本宮(きまちもとみや)は 月夜見神を祀ります 勧請創立年代は 後奈良天皇の天文年中(1532~1555)とされ 明治41年(1908)配祀神の上来待 佐久多(佐久良=佐倉)に鎮座の佐久多神社と同社坐韓國伊太弖神社を本社に合祀しました

三崎神社〈氷川神社(宍道町)に合祀〉

三崎神社〈氷川神社(宍道町)に合祀〉は 出雲国風土記 延喜式には見えないが元祇園社と称し 貞観18年(876)この地方に流行した悪病の平癒を祈願して京都より勧請 祇園社を氷川神社と改称し 明治7年 猪道山にあった三崎神社(完道社)及び町内にあった客社 恵美須社焼火社を合祀して宍道町の氏神となった

比婆山久米神社(安来市伯太町)

比婆山久米神社(ひばやまくめじんじゃ)は 古事記に「かれその神避りし伊弉那美の神は 出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺 比婆の山に葬りき」と 国生みの母神〈伊弉那美の神〉は比婆山の山頂に埋葬されたと記されていて 今でも 御神陵と言い伝えられる古い塚があり 山頂の奥宮と麓の里宮が鎮座します 

久多美神社〈忌部神社(松江市東忌部町)に合祀〉

忌部神社(いんべじんじゃ)は 平安朝に忌部神戸内鎮座の二十二社を合祀し 二十二社総権現 総社大宮大明神と称し 明治44年(1911)一村一社との政府の指示に基き「式内 村社 久多美神社(御祭神 大穴穿遲神外三神)」無格社山智神社(御祭神 事解男神外一神)無格社七次神社(御祭神 國常立尊外十四神)無格社素鵞神社(御祭神 素盞鳴命)を合祀して社名を忌部神社と改称

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