静火社 舊地(しずひのやしろ きゅうち)は 神功皇后の御創建とされる 延喜式神名帳 名神大 紀伊國 名草郡 靜火神社(名神大)(しつひの かみのやしろ)の旧鎮座地です 静火社の御社殿は古来より度々の浸水に遭い 今は天霧山の山上に祀られていますが 和田の氏神の社として永くこの地に祀られていた事を後世に伝えるために石碑が建てられました 老朽化のため再建されました
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
靜火社 舊地(Shizuhi no yashiro Old Places)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
和歌山県和歌山市和田
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》静火大神
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
静火社旧地 石碑由緒
この地は静火神社(神功皇后御創建 延喜式神名帳 名神大)の旧鎮座地です
御社殿は古来より度々の浸水に遭い、今は天霧山の山上に祀られています
この石碑は静火神社が和田の氏神の社として永くこの地に祀られていた事を後世に伝えるために建てられていました しかし長年による風化が進んでいくため この度の新道建設に伴い新しく再建されました これからも静火大神様が万世の太平と人々の安寧を御護り下さる様 またこの碑が地域文化の標として永く大切に守られる様祈念し記します 平成二十七年四月吉日 和田 氏子中現地石碑文より
静火神社の旧地石碑を再建 和田地区で
和歌山市和田で地域の氏神として親しまれる静火神社の旧社地を示す石碑が再建され、19日に現地で竣工式が行われた。
静火神社は神功皇后ゆかりの「紀三所社(きのさんしょしゃ)」の一つに数えられる由緒ある神社で、旧社地は何度も浸水に見舞われたことから、現在の天霧山の山頂に移された。明治期には一時、竈山神社内に移されたこともある。
県が進める都市計画道路・松島本渡線が旧社地のすぐ隣を通ることになり、石碑が長年の風雨で傷んでいたこともあり、道路建設に合わせて石碑を再建。新しい道路脇に土台や石灯籠、由緒を記した碑文を新たに設けて設置された。
竣工式には地元住民や県、工事関係者ら約200人が参列。竈山神社、八幡神社、都麻都比売神社の神職が神事を行い、再建された石碑が除幕された。神事の後は餅まきも行われ、住民らは厳かに、にぎやかに石碑の再建を祝った。
静火神社氏子の和田耕(つとむ)さん(90)は「今後も大切に石碑をお祭りしていきたい。新しい道の横なので、交通安全も願っています」と笑顔で話していた。
和歌山新報社 平成15年04月21日 17時55分[社会]記事より
https://www.wakayamashimpo.co.jp/2015/04/20150421_49219.html#:~:text=%E5%92%8C%E6%AD%8C%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%92%8C%E7%94%B0%E3%81%A7%E5%9C%B0%E5%9F%9F,%E5%B1%B1%E9%A0%82%E3%81%AB%E7%A7%BB%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%82
【由 緒 (History)】
『紀伊続風土記(KizokuFudoki)』〈天保10年(1839)完成〉に記される内容
創建年代は不詳ですが 永仁(1293年)以前に神社は既に癈絶していて社伝もわからないが 祭祀はその後も継続し『国造家記』には「日前神宮・國懸神宮」の境内の「草ノ宮」で「静火祭」の神事が行われたと暦応年間(1338~1342年)應永年間(1394~1428年)の記録にあると 記されています
社名の靜火神社についても 地名由来であろうと推測考証されています
【抜粋意訳】
巻之十五 名草郡第十 神宮郷下 和田村 ○靜火(シヅヒノ)神社
境内周百六十四間 禁殺生
延喜式神名帳 名草郡 靜火神社
本國神名帳 名草郡 正一位 靜火大神天霧山にあり 舊地は是より東一町半許田中字靜火といふ地にありといふ 今の地に遷座の年暦詳ならす
中世 大に衰癈して殆滅に至りしに 享保九年(1724)國命ありて造営し神鏡を納め社地顕示等を定められ 又 其ノ舊地に碑を建て靜火社舊地の五字を鐫(キザ)む 抑 此神の和田郷に鎭り坐せること國造家舊記等に著明なれとも 永仁(1293年)以前に 社既に癈絶して 其傳詳ならず
〔國造家記曰 境内に草ノ宮といふあり 九月十五日草ノ宮の廰にて靜火祭といえる神事あり 暦應應永(1394年~)の神事記に見えたり 若は往古 靜火大神 草ノ宮へ神幸の時の祭式にて 右社退轉ノ後も 草ノ宮にては九月十五日の儀式は残れるにや〕祀神或曰 火雷(ホノイカツチノ)命 或 曰火結(ホノムスヒノ)神 又曰(イワク)常州久慈郡 靜(シツノ)神社と同神なりといふ
皆 神名の文字によりて説をなす 他に稽據なし 按するに 靜火は地名と思はる 是よって東南二十町
許に朝日村〔五箇荘〕あり 阿左韋(アサヰ)と稱ふ 靜火は此に對せる名にて 志豆韋(シツヰ)と稱ふへし 朝日村より和田村まて 平野の中に溝渠を穿ちて南北二所に樋あり 樋地中に入る事 淺く露(アラハル)を以て 淺樋といふ文字を朝日と書て村名とす 樋地中に在を以て下樋(シツヒ)といふ
〔下と志豆(シツ)と訓むるを下枝(シツエ)なるの例なり下樋を 今 伏樋(フセヒ)といふ是なり〕文字と静火を書きて神名とするならん
應永検注帳に樋免(ヒメン)といひ樋ノ提數(ヒノツツミシキ)なといふものあり 今も此邊 溝渠を穿ち樋を作る所多し 古の形状(サマ)思ひ合すへし 然して此神 伊達(イダテ)志摩(シマ)二神と合せて 紀三所神と名付く
承和以後(834年~)位階を授けられるゝことあるに 必 三神相連る
〔位階を授けらるゝ事 貴志荘園部村伊達神社の條に載せたれは 此に贅せす〕 是を以て考ふるに伊達(イダテ)を一ノ宮とし 志摩(シマ)を二ノ宮とし 靜火(シツヒ)を三ノ宮とすと見えたり祀神 都摩都比賣命なるへし 或は 大屋津姫ならんか
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・靜火神社の現在の鎮座地(和歌山市和田)
・靜火神社(和歌山市和田)
・静火神社(和歌山市和田)は 竈山神社〈境外摂社〉飛地の所管社です
・竈山神社(和歌山市和田)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
紀伊國には 10座の名神大社が記されています
【抜粋意訳】
名神祭 二百八十五座
・・・
・・・日前神社 一座
国懸神社 一座
伊太祁曽神社 一座
大屋都比賣神社 一座
都麻都比賣神社 一座
鳴神社 一座
伊達神社 一座
志磨神社 一座
静火神社(しつひの かみのやしろ) 一座
須佐神社 一座
巳上 紀伊國
・・・座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)紀伊國 31座(大13座・小18座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)名草郡 19座(大9座・小10座)
[名神大 大 小] 名神大社
[旧 神社 名称 ] 靜火神社(貞・名神大)
[ふ り が な ](しつひの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shitsuhi no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『六国史』に記される ゛紀三所神゛〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕について
紀伊國の式内社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕の三神は ゛紀三所神゛or゛紀三所社゛と称されます
〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕の三神の関係は古く 国史には(844~875年)に渡り 三神が並んで神階を奉り授かっています
その際は 必ず三神が同時の神階ですので
古来
「是を以て考ふるに伊達(イダテ)を一ノ宮とし 志摩(シマ)を二ノ宮とし 靜火(シツヒ)を三ノ宮とすと見えたり」と云われいています
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
紀伊國・志摩神・伊達神と並び 靜火神に神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷十四 承和十一年(八四四)十一月辛亥〈三〉
○十一月己酉朔辛亥
奉授に
紀伊國 從五位下 志摩神 伊達神 靜火神に 並正五位下を
【原文参照】
『日本文徳天皇實録(Nihon MontokuTenno Jitsuroku)〈元慶3年(879年)完成〉』に記される伝承
紀伊國・伊達神・志摩神と並び 靜火神に從四位下の神階が加えられた事が 記されています
【抜粋意訳】
卷二 嘉祥三年(八五〇)十月乙丑〈廿一〉
○乙丑
紀伊國 伊達神 志摩神 靜火神 並に加ふ 從四位下を
【原文参照】
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
全国〈京畿七道諸神〉の 進階及新叙 惣二百六十七社とともに 紀伊國 伊達神 志摩神 靜火神 の三神が 並正四位下を奉授されています
【抜粋意訳】
卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申
○廿七日甲申
京畿七道諸神 進階及新叙 惣二百六十七社 奉授
淡路國 无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國 三品吉備都彦命二品
・・・・
・・・・紀伊國
從四位下 伊達神 志摩神 靜火神 並正四位下
從五位下勳八等 丹生都比賣神 伊太祁會神 大屋都 比賣神 神都摩都比賣神 鳴神 並從四位下
從五位下 須佐神 熊野早玉神 熊野坐神 並從五位上
【原文参照】
紀伊國・伊達神・志摩神と並び 靜火神に從三位が叙せられています
【抜粋意訳】
卷二十七 貞觀十七年(八七五)十月十七日丙寅
○十七日丙寅
紀伊國 正四位上 伊達神 志摩神 靜火神に 並に授くに從三位を
【原文参照】
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『住吉大社神代記』に記される 船玉神社の御祭神゛船玉神は 紀国の紀氏の祀る神 今云う 紀伊三所の神゛
『住吉大社神代記』では 船玉神について
「船玉神 今謂 齋祀 紀国 紀氏神 (志麻)神 静(火)神 伊達神 本社」とあり
つまり【船玉神は 紀国の紀氏の祀る神 今云う 紀伊三所の神「・伊達神〈現 伊達神社(和歌山市園部)・志麻神〈現 志麻神社(和歌山市中之島)〉・静火神〈現 静火神社(和歌山市和田)〉〉の本社である】と記しています
『住吉大社神代記・船木等本記』には
「大幸還上賜 其御舩令レ奉二齋祀武内宿禰一 志麻社 静火社 伊達社 此三前神也」とあり
つまり【紀伊三所の神「・伊達神〈現 伊達神社(和歌山市園部)〉・志麻神〈現 志麻神社(和歌山市中之島)〉・静火神〈現 静火神社(和歌山市和田)〉」の神々は 武内宿禰によって 御船の御魂として祭祀された】と記しています
・船玉神社〈住吉大社境内 摂社〉(大阪市住吉区)
『住吉大社神代記(すみよしのおほやしろ かみよのしるし)』について
住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記(すみよしのおほやしろ かみよのしるし)』は 住吉大社の神官が大社の由来を神祇官に言上した解文(げもん)とされ 成立は天平3年(731年)7月3日と巻末に記されていますが 10世紀頃の成立と考えられています
元来 神代記は秘中の書として秘蔵されていて 社家の人間でも拝観は許されなかったが 明治以降に拝観が許され始めた
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『住吉大社神代記』に記される 紀伊三所の神〈・伊達神・志麻神・静火神〉について
『住吉大社神代記』に記される 紀伊三所ノ神〈・伊達神・志麻神・静火神〉は いずれも延喜式内社の名神大社で
船玉神は この 紀伊三所ノ神 の本社ともされます
各々の論社です
紀伊国 名草郡 伊達神社(貞・名神大)(いたての かみのやしろ)
・伊達神社(和歌山市園部)
・水門吹上神社(和歌山市小野町)
紀伊国 名草郡 志磨神社(貞・名神大)(しまの かみのやしろ)
・志磨神社(和歌山市中之島)
紀伊国 名草郡 静火神社(貞・名神大)(しつひの かみのやしろ)
・靜火神社(和歌山市和田)
・靜火神社 旧社跡(和歌山市和田)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
天霧山に鎮座する静火神社の東方300m程にあります
・靜火神社(和歌山市和田)
県道137号のバイパス沿いに静火神社の旧鎮座地があります
最初 地図にも場所が無く この辺りかと云った場所に建屋があり この中なのかと思いました
静火社 舊地(和歌山市和田)に参着
旧鎮座地の由来の石碑文があり 氏子さんたちの想いが綴られています
碑文は この記事の上部 由緒 に記しておきました
旧鎮座地を残されていることに感謝して お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
ここから 現在の靜火神社の社地 天霧山(あまぎりやま)が西側に見えます
靜火神社へ向かいます
・靜火神社(和歌山市和田)
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『紀伊国名所図会(kiinokuni meisho zue)』〈文化9年(1812)〉に記される伝承
【抜粋意訳】
竃山神社 鎮火神社 天霧山 の絵図
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 靜火神社について 所在は゛宮郷和田村北二町許山上に在す゛〈現 静火神社(和歌山市和田)〉とし
式内社の3社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕を 頭注には ゛紀三所神゛と云う と記しています
【抜粋意訳】
靜火神社
靜火の志都比と訓べし
〇祭神 火結神〔神社録〕
〇宮郷和田村北二町許山上に在す、〔名勝志、神社録、〕
例祭 九月十六日、
〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕紀伊國 靜火神 一座、
神位
績日本後紀、承和十一年十一月辛亥、奉レ授ニ紀伊國從五位下 靜火神 正五位下、
文徳實錄、嘉祥三年十月乙丑、紀伊國 靜火神 加ニ從四位下、
三代實錄、貞観元年正月廿七日甲申、奉レ授ニ紀伊國從四位下 靜火神 正四位上、同十七年十月十七日丙寅、紀伊國正四位上 靜火神 授ニ從三位、
本國神名帳、正三位 靜火大神、前件三件〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕を頭注に、是謂 紀三所神と云り、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 靜火神社について 所在は゛宮郷、和田村にあり゛〈現 静火神社(和歌山市和田)〉とし
式内社の3社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕を頭注には ゛紀伊三所社゛と云う と記しています
【抜粋意訳】
靜火(シツヒノ)神社
今 宮郷、和田村にあり、〔南紀名勝志、陽國名跡志、神名帳考證、〕
仁明天皇 承和十一年十一月辛亥、從五位下 靜火神に正五位下を授奉り、〔績日本後紀〕
文徳天皇 嘉祥三年十月乙丑、從四位下を加へ、〔文徳實錄〕
清和天皇 貞観元年正月廿七日甲申、正四位上に叙され、十七年十月十七日丙寅、從三位を授け、〔三代實錄〕
醍醐天皇 延喜の制、名神大社に列る、〔延喜式〕
凡 毎年九月十五日、靜火祭を行ふ、〔日前國懸年中行事目録〕
凡 伊達、志摩、靜火の神、之を紀伊三所社と云ふ、〔神名帳頭注〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 靜火神社について 所在は゛和田村(海草郡三田村大字和田)゛〈現 静火神社(和歌山市和田)〉と記し 祭神について 考証しています
参考まで(瀬藤注:常陸久慈の靜神社[シツ](名神大)「建葉槌命」倭文[しどり]の縮まった名と伝わる)
式内社の3社〔・伊達神社・志摩神社・靜火神社〕を頭注には ゛紀三所神と名く゛ と記しています
【抜粋意訳】
靜火神社 名神大
祭神 火結命
今按 續風土記に祭神 或日火雷命 或日父結神 又曰 常州久慈郡靜神社と同神なりと云
皆神名の文字によりて説をなす他に稽據なし 按するに古記の國字に記せしにはしち井 或はしつ井とかけり 是に據るに靜火は地名と思はる此より東南二十町に朝日村あり 阿左韋(アサヰ)と稀ふ靜火は此に對せる名にて志豆韋(シツヰ)と稱ふへし
朝日村より和田村まて平野の中に溝渠を穿ちて南北二所に樋あり 樋地中に入る事浅く露るを以て 浅樋と云文字を朝日と書きて村名とす 樋地中に在を以て 下樋(シツヒ)と云文字 靜火と書きて神名とするならん 應永檢註帳に樋免と云ひ 樋堤敷なと云ものあり 今も此邊 溝渠を穿ち樋を作る所多し 古の形狀思ひ合すへし
然して此神 伊達 志摩二神と合せて紀三所神と名く 承和以後 屡 位階を授けらるることあるに必三神相連る 是を以て考ふるに 伊達を一宮とし 志庫を二宮とし 靜火を三宮とすとみえたり 祀神部摩都比賣命なるへし 或は 大屋津姫命ならんかと云る下樋の考へ地形に由ある説なるへく思はるれ ご祭神は如何ならん 社傅に火結命と云る據ありて聞ゆれは 社傅に從ふ神位
仁明天皇 承和十一年十一月辛亥、從五位下 靜火神に正五位下を授奉り、〔績日本後紀〕
文徳天皇 嘉祥三年十月乙丑、從四位下を加へ、〔文徳實錄〕
清和天皇 貞観元年正月廿七日甲申、正四位上に叙され、十七年十月十七日丙寅、從三位を授け、〔三代實錄〕祭日 九月十五日
社格 村社
所在 和田村(海草郡三田村大字和田)
【原文参照】