敷島神社(しきしまじんじゃ)は 日本の正史とされる六国史の一つ『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)(901年)』に「敷嶋神(シキシマノカミ)」として記され 又『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される由緒ある古社です 鎮座地は 美津島町 加志(カシ)で すく傍には 式内社で 名神大社の太祝詞神社も鎮座しています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
敷島神社(Shikishima Shrine)
(しきしまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (Location) 】
長崎県対馬市美津島町加志386
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天佐手依比女神(Ameno sadeyorihime no kami)
雷大臣命(Igazuchi no oomi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
・不詳
【由 緒 (History)】
・不詳
『對馬神社誌』より
太祝詞神社と同じ加志にある。敷島と言うけれども、社は海から遠く、村の奥の山手にあり、太祝詞の近くである。加志の海には大島、黒島、経島とあるけれども、敷島 という名称はない。しかし海辺にこれだけの島があり、経島には別の神社があるのに、敷島神社が山中にあるのは一見して不思議である
【境内社 (Other deities within the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)下県郡 13座(大4座・小9座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 敷嶋神社
[ふ り が な ](しきしまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Shikishima no kamino yashiro)
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
「對馬嶋 下縣郡 敷嶋神社」には 4つの論社があります
・敷島神社(対馬 加志)
・志賀島神社(対馬 鹿ノ島)
・住吉神社(対馬 東里)〈志賀明神合祀先〉
・志賀鼻休息所〈志賀明神跡〉(対馬 久田道)〈旧鎮座地〉
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
対馬空港から 県道24号を西へ約16km 車30分程度
加志(カシ)浦に着きます 経島には 神社の鳥居が見えています
加志の集落で 川沿いに森の方へ向かいます
太祝詞神社に向かう その手前になります
道沿いの川に小さな橋があり 渡るとすぐ 山の裾に鎮座しています
敷島神社(Shikishima Shrine)に参着
鳥居は 木に覆われていますが 扁額を見ると「敷島神社」と刻まれています
一礼をして 鳥居をくぐります 石段を上がると境内があり 社殿が建っています 瓦屋根の拝殿にすすみます
扉を開くと賽銭箱が置かれています 賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
建て替えられてから それ程は経過していない綺麗な社殿です 拝殿の奥の一段高い社地に 瓦屋根の本殿が建てられています
参道の階段を戻りながら 社殿の向かって左手を見ると 崖地になっていて 下に加志の集落の端にあたるのでしょうか 民家が数件あります 石段を下りて 鳥居をぬけて振り返り一礼をします
すぐ奥に鎮座する 名神大社の太祝詞神社へ向かいます
・太祝詞神社(対馬 加志)
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承
對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています
敷嶋神(シキシマノカミ)と記されます
意訳
貞観12年(870)3月5日 丁巳の条
詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに
對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下
従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承
式内社の所在として 敷島神社(対馬 加志)を これとしています
意訳
敷島(シキシマノ)神社
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
〇今 与良郷 加志村に在す
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承
式内社の所在として 敷島神社(対馬 加志)を これとしています
意訳
敷島神社
敷島は 志岐志麻(シキシマ)と訓ずべし
〇祭神 詳(ツマビラカ)ならず 考証いう 大八洲霊と 今は従わず
〇与良郷 加志村に在す 玉勝間神位 三大実録 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容
式内社は 加志村 字 敷島山に所在するとして 敷島神社(対馬 加志)を比定しています
意訳
敷島神社
祭神 雷大臣命
神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・従5位上
祭日 6月15日
社格 村社
所在 加志村 字 敷島山
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
敷島神社(Shikishima Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)