重浪神社(しきなみじんじゃ)は 社伝によると 天武天皇 白鳳3年(675)6月 久久比命が城崎郡司となり その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき 共に祭祀を受け 重浪神社と称したと云う 延喜式内社 但馬國 城崎郡 重浪神社(おもなみ かみのやしろ)であると伝わります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
重浪神社(Shikinami shrine)
【通称名(Common name)】
・上津神社(かみつじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
豊岡市畑上字宮843
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》物部韓国連神津主命(もののべからくにむらじ かみつぬしのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由 緒
社伝によると推古天皇25年(617)12月、物部韓国連神津主命が城崎郡司となり、その父・物部韓国連墾磨命を墾谷丘の物部の宮に祀った。
天武天皇白鳳3年(675)6月久久比命が城崎郡司となり、その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、共に祭祀を受け、重浪神社と称したという。
よって重浪は、敷浪(しきなみ)の転訛ということになる。
一説には、往古は湖水滔々として、社近くまで水に浸り、浪が寄せていた場所と云われ、境内に御船岩のある由縁とも。
この御船岩は磐境であり祭神が天降りましし時、ここに船を繋いだという。
よって、この磐を天磐船と考え、但馬国造の祖である饒速日命を祭神とする説もある。
2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6322078.html
【由 緒 (History)】
『大日本史』に記される内容
【抜粋意訳】
重浪神社
〇今在 畑上村、曰く上津明神
【原文参照】
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・重浪神社 本殿
・〈本殿〉狛犬
・重浪神社 本殿覆い屋
・〈本殿覆い屋〉狛犬
・〈本殿向かって左 大きな苔むした磐座〉御船岩
・重浪神社 割拝殿
〈境内向かって右手境内社〉一つの覆い屋に8社
8社の境内社 向かって左の境内社から
・稲荷神社・山神社
・四社惠神社・丹生神社
・祇園神社・宇賀神社
・秋葉神社・山野口神社
・社頭
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬国 131座(大18座・小113座)[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城崎郡 21座(大1座・小20座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 重浪神社
[ふ り が な ](おもなみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Omonami no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 但馬國 城崎郡 にある 物部氏の祀られている式内社について
・ 第25代 武烈天皇の命を受け 物部眞鳥(もののべの まとり)が 韓國(朝鮮半島)へ派遣された後 但馬の水戸 楽々浦(ささうら)に着き 都へ報告に上り その功績により 韓國連を賜わり 物部韓國連眞鳥(もののべからくにむらじ まとり)と称した
・ 第29代 欽明天皇の頃 眞鳥の子・渚鳥(すとり)は 城崎郡司に任命され 名を墾麿(こま)と改め この付近を開墾し 地名を墾谷(はりたに)とし 墾谷(はりたに)から針谷(はりたに)となり 現在の飯谷(はんだに)となったと云う
・ 墾麿(こま)の子・眞鳥(まとり)の孫・物部韓國連 鵠(くくひ)〈久々比命〉は 天武天皇白鳳3年(663)墾谷の丘に祖父 眞鳥と父 墾麿を祀り 韓國神社となった〈当社は元々、飯谷川の上流、通称「森さん」と呼ばれる場所にあった〉
初 代 物部韓國連 眞鳥(もののべからくにむらじ まとり)
その子 物部韓國連 渚鳥(もののべからくにむらじ すとり)〈名を墾麿(こま)と改め〉
その孫 物部韓國連 鵠(もののべからくにむらじ くくひ)〈久々比命〉
この三代の物部連に関わる式内社と伝わります
延喜式内社 但馬國 城崎郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)
天武天皇白鳳3年(663)物部韓國連 鵠(くくひ)〈久々比命〉は 墾谷の丘に祖父 眞鳥と父 墾麿を祀り 韓國神社となったと云う
・韓國神社(豊岡市城崎町)
延喜式内社 但馬國 城崎郡 久久比神社(くくひの かみのやしろ)
一般には 創建について
垂仁天皇の皇子、誉津別王は、年30歳になっても物を言われなかったが、ある日、空を飛んでいる鵠をご覧になり、初めて何物であるかと仰せられた。天皇は大いに喜ばれ、天湯河板挙命にこの鵠の捕獲を命じられた。命はこれを追って、但馬国で捕え、天皇に献じたという「日本書紀」の記述と神社の創立は、何か関連あるものと考えられる とする〈2008 兵庫県神社庁HPより〉
一説『国司文書 但馬故事記』には 物部韓國連 鵠(くくひ)〈久々比命〉を祀るものとする説あり
当初は 大宝元年(701)秋 城崎郡司 物部韓国連神津主の子 久々比(くくひ)は 三江村に葬られ 祠を建て祀ったのが起源とされ
何時頃からか 祭神が久々比命から 現在の木の神 久久遲命(くくのちのみこと)に変更されたのではないかと伝わる
・久々比神社(豊岡市下宮)
延喜式内社 但馬國 城崎郡 重浪神社(おもなみ かみのやしろ)
天武天皇白鳳3年(675)6月久久比命が城崎郡司となり、その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、共に祭祀を受け、重浪神社と称したという〈2008 兵庫県神社庁HPより〉
・重浪神社(豊岡市畑上字宮)
延喜式内社 但馬國 城崎郡 酒垂神社(さかたるの かみのやしろ)
酒垂神社は、物部韓国連久々比命が、五穀豊穣を祈って酒造神、酒弥豆男命(さかみずおのみこと)を祀ったとされる〈2008 兵庫県神社庁HPより〉
・酒垂神社(豊岡市法花寺字長楽寺)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 城崎温泉駅から県道9号経由で東へ 円山川を渡り飯谷峠を越えて 畑上の谷間まで 約6km 車で11分程度
JR山陰本線 城崎温泉駅から県道3号を北上して 円山川に架かる港大橋を渡り 県道11号〈但馬漁火ライン〉経由で南下します 8.4km程度 車で14分程度
畑上の集落の一番奥で 社前には 氣比川と支流が合流する地点です
重浪神社(豊岡市畑上字宮)に参着
両部鳥居の手前には 湧水の流れに御神橋が架かり 禊の石橋となっています
一礼をして 両部鳥居をくぐり抜けます
初めて見た光景でしたが 石灯籠の頭には 雪除けが掛けられています
鳥居を抜けると境内にある 他の石燈籠も すべて同様の雪除けが掛けられています
割拝殿にすすみます
割拝殿を抜けると 本殿の覆い屋が建ちます
覆い屋の正面は 開口部があり拝所となっています 中には本殿が祀られてあり
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
本殿の覆い屋の向かって左には 大きな苔むした磐座゛御船岩゛が祀られています
狛犬にも 雪除けのほっかぶり 注連縄の廻されている 磐座゛御船岩゛
本殿の覆い屋の向かって右には 一つの覆い屋の内に8社の境内社が祀られています
社殿に一礼をして 境内参道を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 重浪神社について 所在・祭神などは不明と記しています
神社名について ゛於毛奈美 おもなみ゛と記していますが 欄外に゛しきなみ と読むべきか゛ともあります
【抜粋意訳】
重浪神社
重浪は 於毛奈美と讀り
○祭神 在所等詳ならず
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 重浪神社について 所在は゛今 畑上村にあり、上津明神と云゛〈現 重浪神社(豊岡市畑上字宮)〉と記しています
祭神について゛表津綿積神を祀る〔本社傳〕゛としています
【抜粋意訳】
重浪(シケナミノ)神社
今 畑上村にあり、上津明神と云、
凡 九月廿五日祭を行ふ、〔豊岡縣式社取調帳、神社道志流倍、〕
盖 表津綿積神を祀る、〔本社傳〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 重浪神社について 所在は゛畑上村(城崎郡城崎町大字畑上)゛〈現 重浪神社(豊岡市畑上字宮)〉と記しています
祭神について゛綿住重浪神゛としています
【抜粋意訳】
重浪神社
祭神 上津綿積神
今按 注進狀に本社祭神 綿住重浪神とあり 又 上津神社と稱すと云を合せ考るに 綿住重浪神は 上津綿積神と云を訛りて 土人 口碑に傳へしものなる事著明ければ 今は正しく記せり
祭日 九月二十五日
社格 村社所在 畑上村(城崎郡城崎町大字畑上)
【原文参照】