酒垂神社(さかたる/さかたれ じんじゃ)は 社伝は 白鳳3年(675)当地の郡司 物部韓国連久々比命が贄田(神田)に酒造所を造り 酒解子神 大解子神 子解子神の酒造3神を祀って神酒を醸造し 祖神に供えて五穀豊穣を祈願したのが創祀と云う 延喜式内社 但馬國 城崎郡 酒垂神社(さかたるの かみのやしろ)とされます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
酒垂神社(Sakataru shrine)
【通称名(Common name)】
・さかたるさん
・江戸時代には 大蔵大明神 と称していた
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県豊岡市法花寺字長楽寺725-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》酒美津男命(さかみつをのみこと)
《配》酒美津女命(さかみつめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由 緒
酒垂神社は、いわゆる式内社で起源も古く、物部韓国連久々比命が、五穀豊穣を祈って酒造神、酒弥豆男命(さかみずおのみこと)を祀ったとされる。境内に隣接して酒米を作った神田があり、酒造用水として、奥の谷あいにわく清水を使っていた。明治以降自由な酒造が禁止されてから氏子らは、手作りの甘酒を供えている。
本殿は室町時代の建造物で、昭和33年(1958)に国の重文に指定された。その後の解体修理で、永享10年(1438)の棟札が見つかったほか「大伴久清、小工12人」と書きつけたものもあった。創建時の棟梁の名がわかることは比較的珍しいケースという。
こけらぶきの本殿は、鮮やかな朱塗りが修理の跡を物語るが、すっぽりと覆い家の中に収まり、古社建築を楽しむにはちょっとじゃまになる。だが折からの強い秋雨を見て、この囲いがあったからこそ、本殿も数百年の風雪に耐えてきた。様式は一間社流れ造り。
境内入り口の左右に瓶(かめ)石がある。酒をくみ入れる瓶を指すようだが、一方は大杉を切った跡から見つかった。
2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6322039.html
【由 緒 (History)】
重要文化財 酒垂神社本殿 畧記
酒垂神社は 杜氏の祖神 酒造司の守護神である酒弥豆男命・酒弥豆女命(大蔵大明神)を祀る社である。
神社の創立は今から千三百年の昔 この地方を治めていた郡司 物部韓国連久々比命が贄田に酒所を定めて醸酒した砌 酒解子神等 酒造神三柱を祀 ったのが発祥であると伝えられている。延長五年(九二七)勅旨によって制定された延喜制神明式には但馬 城崎郡廿一座の一つに酒垂神社の名が誌され(式内 社と云う)、古くから朝野において崇敬された由緒ある神社である。
今の本殿は 社蔵の棟札によると永享十年(一四三八)釿始・嘉吉元年(一四四一)柱立・文安元年(一四四四)遷宮・造営の大工は伴大夫大伴久清で蟇股にはこの時の墨書も誌されている。
建物は一間社流造こけら葺で、木割の太い柱に三ツ斗組をのせ、中備えは半肉 彫の蟇股を飾り、妻組は虹梁大瓶束を組む。これら の建築細部技法は当時の建築様式の特徴を示す 優れたもので、殊に建立年代や工匠名が明確であり、建築史上価値の高い神社建築遺構として昭和三十三年五月に国の重要文化財指定をうけ、棟札も附指定された。本殿は江戸中期の大改造によって形態が改変され覆屋に囲われていたが、昭和四十三年から翌四十四年にかけて文化庁指導のもとに解体修理があり、その際の調査で身舎は旧規がほゞ解明され、軒廻り、柱間装置、天井などは建立当初の形式に復された。しかし旧部材の残存しなかった庇や縁廻りは江戸中期の改修等による形を踏襲して修理されたが、欠失していた屋根を復し、全般には室町時代の容姿に復旧整備された。
覆屋も本殿の修理を同時に改築された。
現地石碑文より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・酒垂神社 本殿
国指定重要文化財
酒垂神社本殿(さかたるじんじゃほんでん)
酒垂神社は その名前が酒樽を連想させ、また祭神も酒弥豆男命 (さかみずおのみこと)、酒弥豆女命 (さかみずめのみこと)といい、酒造りとの関連が考えられる神社である。
国指定となっている本殿は、所蔵されている棟札により永享十年(一四三八)に建設が始められ、文安元年 (一四四四)に完成したとされる。しかし、昭和四三〜四四年に行われた解体修理において部材から発見された墨書きにより、細部の造営はその後も引き続き行われ、宝徳元年 (一四四九)頃に完成したことが判明した。
指定されている建物は良く保存されており、側面に見える壺の形をした柱材などに室町時代のデザインをみることができる。
建立年代が明らかで保存もよく、建築細部の技法も優れ、棟札によって工匠名まで明確であり、建築史上の価値は高い。
豊岡市教育委員会
現地案内板より
・酒垂神社 社殿〈・拝殿・本殿覆い屋〉
・境内〈・拝殿・向かって右 境内社1社・向かって左 境内社2社・手水舎〉
・境内由緒石碑
・大杉の碑
〈鳥居の西側に樹齢600年を数えた2本の御神木 杉が聳えていた 昭和59年(1984年)に伐採〉
大杉追憶の碑
酒垂神社の社頭に聳え立っていた大杉は 樹令六百年とも伝えられ 樹高三十八.三七メートル 直径三.三メートルあり神木として 室町期の建立に懸かる本殿とともに法花寺部落の誇るべき象徴であった しかし長年にわたる風雪により もはや蘇生の手立てなく 樹勢除々に衰え幹の内部に大空洞・・・・
・・・・昭和五十九年十月二十八日伐採奉告祭を斎行し氏子一同が集るなかで大杉に決別を告げた・・・昭和六十年十月吉日 酒垂神社 氏子中
現地石碑文より
・社頭の鳥居・入口の左右 瓶(かめ)石
鳥居の下 左右に甕石(かめいし)と呼ばれる石があります これは酒を汲み入れる瓶を指すと云う
・社頭
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬國 131座(大18座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)城崎郡 21座(大1座・小20座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 酒垂神社
[ふ り が な ](さかたるの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sakataru no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
御祭神 酒美津男命(さかみつをのみこと)と酒美津女命(さかみつめのみこと)について
酒美津男命(さかみつをのみこと)と酒美津女命(さかみつめのみこと)は 延喜式内社 宮中 造酒司坐神 6座(大4座・小2座)(さけつかさにますかみ むくら)に祀られている゛酒彌豆男神゛と゛酒彌豆女神゛と同神であると云います
宮中 造酒司坐神 六座(さけつかさにますかみ むくら)は ・大宮賣神社四座(延・並大月次新嘗)・酒殿神社 二座(並小・酒弥豆男神・酒弥豆女神)からなっています
宮中 造酒司坐神 大宮賣神社四座(延・並大月次新嘗)(おほみやひめの かみのやしろ しくら)の類社
丹後國・但馬國の式内社として 大宮賣神を祀る神社として 丹後国 丹波郡 大宮賣神社二座(名神大)(おほみやめの かみのやしろ ふたくら)があります
・〈丹後國二之宮〉大宮賣神社(京丹後市大宮町周枳)
宮中 造酒司坐神 酒殿神社 二座(並小・酒弥豆男神・酒弥豆女神)(さかとの かみのやしろ ふたくら)の類社
丹後國・但馬國の式内社として 但馬國 城崎郡 酒垂神社(さかたるの かみのやしろ)には 五穀豊穣を祈って酒造神 酒美津男命(さかみつをのみこと)と酒美津女命(さかみつめのみこと)が祀られています
・酒垂神社(豊岡市法花寺字長楽寺)
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延喜式内社 但馬國 城崎郡 にある 物部氏の祀られている式内社について
・ 第25代 武烈天皇の命を受け 物部眞鳥(もののべの まとり)が 韓國(朝鮮半島)へ派遣された後 但馬の水戸 楽々浦(ささうら)に着き 都へ報告に上り その功績により 韓國連を賜わり 物部韓國連眞鳥(もののべからくにむらじ まとり)と称した
・ 第29代 欽明天皇の頃 眞鳥の子・渚鳥(すとり)は 城崎郡司に任命され 名を墾麿(こま)と改め この付近を開墾し 地名を墾谷(はりたに)とし 墾谷(はりたに)から針谷(はりたに)となり 現在の飯谷(はんだに)となったと云う
・ 墾麿(こま)の子・眞鳥(まとり)の孫・物部韓國連 鵠(くくひ)〈久々比命〉は 天武天皇白鳳3年(663)墾谷の丘に祖父 眞鳥と父 墾麿を祀り 韓國神社となった〈当社は元々、飯谷川の上流、通称「森さん」と呼ばれる場所にあった〉
初 代 物部韓國連 眞鳥(もののべからくにむらじ まとり)
その子 物部韓國連 渚鳥(もののべからくにむらじ すとり)〈名を墾麿(こま)と改め〉
その孫 物部韓國連 鵠(もののべからくにむらじ くくひ)〈久々比命〉
この三代の物部連に関わる式内社と伝わります
延喜式内社 但馬國 城崎郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)
天武天皇白鳳3年(663)物部韓國連 鵠(くくひ)〈久々比命〉は 墾谷の丘に祖父 眞鳥と父 墾麿を祀り 韓國神社となったと云う
・韓國神社(豊岡市城崎町)
延喜式内社 但馬國 城崎郡 久久比神社(くくひの かみのやしろ)
一般には 創建について
垂仁天皇の皇子、誉津別王は、年30歳になっても物を言われなかったが、ある日、空を飛んでいる鵠をご覧になり、初めて何物であるかと仰せられた。天皇は大いに喜ばれ、天湯河板挙命にこの鵠の捕獲を命じられた。命はこれを追って、但馬国で捕え、天皇に献じたという「日本書紀」の記述と神社の創立は、何か関連あるものと考えられる とする〈2008 兵庫県神社庁HPより〉
一説『国司文書 但馬故事記』には 物部韓國連 鵠(くくひ)〈久々比命〉を祀るものとする説あり
当初は 大宝元年(701)秋 城崎郡司 物部韓国連神津主の子 久々比(くくひ)は 三江村に葬られ 祠を建て祀ったのが起源とされ
何時頃からか 祭神が久々比命から 現在の木の神 久久遲命(くくのちのみこと)に変更されたのではないかと伝わる
・久々比神社(豊岡市下宮)
延喜式内社 但馬國 城崎郡 重浪神社(おもなみ かみのやしろ)
天武天皇白鳳3年(675)6月久久比命が城崎郡司となり、その父・楮主(かみつ)命を敷浪の丘に葬り祠を建てて祀ったとき、共に祭祀を受け、重浪神社と称したという〈2008 兵庫県神社庁HPより〉
・重浪神社(豊岡市畑上字宮)
延喜式内社 但馬國 城崎郡 酒垂神社(さかたるの かみのやしろ)
酒垂神社は、物部韓国連久々比命が、五穀豊穣を祈って酒造神、酒弥豆男命(さかみずおのみこと)を祀ったとされる〈2008 兵庫県神社庁HPより〉
・酒垂神社(豊岡市法花寺字長楽寺)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 豊岡駅からR312号・県道160号 経由で東へ約5.6km 車で14~15分程度
円山川(まるやまがわ)の支流 鎌谷川(かまたにがわ)の谷を東端へ進むと 東が京都府久美浜(くみはま)町に通じる峠口に続いています 古代は通行量もあったと想われる場所に鎮座します
境内の横の道を進んでいけば 京都府久美浜(くみはま)町に通じる峠口に続いています
酒垂神社(豊岡市法花寺字長楽寺)に参着
一礼をして 鳥居をくぐり抜けて 境内に進みます
拝殿の前には手水舎があり
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
やはり 酒垂神社の社号の通り 造り酒屋さんの信仰の篤さを感じます
拝殿内にも 北但酒販協同組合 の奉献した絵馬がありました
拝殿の奥には 玉垣に囲まれて 本殿の覆い屋が建ち その内に本殿が祀られています 覆い屋の中にも 沢山の樽酒が奉献されています
社殿に一礼をして 境内を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 酒垂神社について 祭神・所在などは明らかでない と記しています
【抜粋意訳】
酒垂神社
酒垂は 佐加多留と訓べし
〇祭神 在所等詳ならず
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 酒垂神社について 所在は゛今 法華寺村にあり、大倉大明神といふ、゛〈現 酒垂神社(豊岡市法花寺字長楽寺)〉と記しています
【抜粋意訳】
酒垂(サカタリノ)神社
今 法華寺村にあり、大倉大明神といふ、
凡 九月十日を以て祭を修む〔神社明細帳、神社道志流倍、〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 酒垂神社について 所在は゛法花寺村 (城崎郡奈佐村大字法花寺)゛〈現 酒垂神社(豊岡市法花寺字長楽寺)〉と記しています
【抜粋意訳】
酒垂神社
祭神
酒彌豆男神 〔稱 大倉大明神〕
酒彌豆女神祭日 九月十日
社格 村社所在 法花寺村 (城崎郡奈佐村大字法花寺)
【原文参照】