岡太神社(越前市岡本町)〈『續日本紀』雨夜神『延喜式』雨夜神社〉

岡太神社(おかふとじんじゃ)は 延喜式内社 越前國 丹生郡 雨夜神社(あまよの かみのやしろ)の論社です 式内社 雨夜神社は 当初は岡本山山頂にあったとされ 岡太神社と称していたとの事 現在も山頂の祠に゛雨夜神社 岡本山上宮 祭神水波乃売命゛と刻字されています 岡本山の麓にあった白山神社に遷座したと伝わります

Please do not reproduce without prior permission.

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

岡太神社(Okafuto shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県越前市岡本町21-18

〈旧住所 武生市岡本町21-18〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大山咋命(おほやまくひのみこと)
   天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・ 国史記載社〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉

【創  (Beginning of history)】

『越前国名蹟考』首巻,巻之2,明治35-36年(1902~1903)に記される内容

岡本村の白山社〈現 岡太神社(越前市岡本町)〉について 式内社 雨夜神社であるとの説を挙げています その他の説として゛丹生郡天谷村ならむ゛〈現 雨夜神社古社地〈石碑〉(丹生郡越前町天王)〉も記しています

【抜粋意訳】

岡本村 福井上領 高貳百七拾三石壹斗壹升
〇白山社

 是 古の雨夜神社〔式內〕なり〔寺社縁起〕

○雨夜神社と云は 天谷ノ郷にあり〔歸雁記〕
○按するに 丹生郡天谷村ならむ〔同注考〕

〇雨夜在ニ 小健山麓 今云ニ 天谷森(アマヤノモリ) 天谷ハ 雨夜ノ言之訛也
 續日本紀 宝亀五年(七七四)三月戊申 叙 越前国丹生郡 雨夜神 従五位下
  茨田連ノ神社也 延喜式云 雨夜神社〔足羽社記〕

○續日本紀云 延曆十年四月庚子  越前國 雨夜神 正五位下

〇素良按するに 足羽社記に小健の麓 天谷ノ森といへるは いづれの所を指ていふにや詳ならず 丹生郡天屋村にも雨夜ノ神社と稱するあり 天王の社家 高橋氏 支配す 又 丹生郡内に天谷村といふあれども アマダニと訓して 雨夜に混すべからず 後ノ君子の明断を俟つ耳

〇祠人。天谷藤右衛門

【原文参照】

井上翼章 編 ほか『越前国名蹟考』首巻,巻之2,中村興文堂[ほか],明35-36. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764504

【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

越前國 雨夜(アマヨノ)神社
【社名】

 九條家本、吉田家本ともに「アマヨ」、武田本では「アマヨ」「アメ」と二通りにんでる。『神社覈録「雨夜は阿末興と調べし」とする。

【所在】

 雨夜神社に比定される社は次の三社である。

A 武生市大虫町第二號二八番地,大虫神社丹生郡大村上大 神社相殿合祀)

B 武生市岡本町第二號一八番地。岡太神社條郡神山村岡本 白山神社に遷座
 今、白山神社は岡太神社と称するも石鳥居には白山神社の額が掲げてあり、後の藤内山の北半分は土地開發の際に掘削されてをるが頂上中央の松の大樹跡に、石 雨夜神社の社號標が存し、跡を遺してゐる。

C 丹生郡朝日町天王第一八號二四番地朝日村天屋第二七號一九番地 雨夜神社を八坂神社境内社として移轉跡に雨夜神社跡の石柱がある。

【論社考證】

 A については
神社覈録』に『越前國官社考』を引用して、「昔は丹生獄にます、中古より下大虫村 小虫神社に並べ祀る、岡本村に遙拜所あり、大虫神社摂社也」とあり、『特選神名牒』は「大神社相殿也。今按 覈録に官社考云(中略) 大虫神社の御子神にて摂社也とみえたるが如くなるべし姑附て考に備ふ。」としてゐる。『神祇志料』に「今 大虫神社の内に合祀る、昔 丹生にありしを 今地に遷す。官社私考。社記によれば、天正十一年相殿に合祀」とある。

B・Cについては
越前地名考に「吉孝考加。延喜式、諸國郡共、以皇都近爲光,諸社ヲヤ。據之者、當都官社、第一 兄子神社、次 雨夜神社、次 大虫神社と、(中略)天王村  大虫村北 凡三里。然トキハ雨夜神社、當然 座タルベキニ、第二ニ 列スル事、全ク皇都以近也。岡本村本社、明快也。更に同書「附記」の項に往古 大虫村 鎭座、大虫神社摂社也。(中略)亦 天王村 雨夜明神アリ。其垣内ヲ雨夜號、村長ヲ雨夜氏云,然卜モ岡本村ノ社朝倉家代々信仰、判物等カナルヲ見レバ、全ク本社ニテ、天王其遷社。可後考。」と説かれてる。また『足羽社記』に、「雨夜在 小山麓 今云 天谷森 天谷雨夜言之也。」とあり、『越前國名蹟考』には、「岡本村〔白山社 雨夜神社〕◎是古の雨夜神社式内なり。」と見える。そして、「足羽社記」の所説について、「接するに天谷ノ森といへるはいづれの所を指していふや詳ならず。丹生都天屋村(注 天王出村にも雨夜神社と稱するあり天王の社家 高橋氏支配す。又丹生郡内に天谷村といふあれどもアマダニとして雨夜にすべからず、後君子の明断を俟つ耳。」と批判し、Cについても「天屋村 雨夜社天王村の産土神にて高橋氏带す、是即式内の雨夜神社なりとす。」と述べてB・Cの二社を比定してゐる。南越溫集』は「天王村枝天屋村 御社現存。」としてゐる。

【祭神】

 『神名帳考證』に「雨師神夜者也」とあり、『神社覈録』に「大虫神子。」とある。「越前國官社考」は、「丹生山の御魂神にして所祭 水波乃賣命〔大和國吉野郡丹生村 丹生大明神同体也〕祈雨神に在す」とし、『神祇志料』は「火々出見尊を祀る。」との社をのせ、『越藩拾遺錄』には「祭 茨田連」とするなど諸説がある。各神社の昭和二十七年の神社明細帳によると、A水波乃賣命。B岡太大神。C雨夜大神明治の保管明細帳には祭神不詳とある。

【由緒】

 A・B・C三社ともに由緒は不評である。B・Cは村社。日本紀 寶龜五年三月戊申の條に「叙ニ 越前國丹生郡 雨夜神 從五位下」とあり、延暦十年四月庚子のにも「叙ニ 越前國 雨夜神 從五位下」と見えてゐる。しかし、延暦の位階は寶龜と重複で、恐らくは従五位上の誤であらう。

 『朝野群載』に「康和五年六月十日、奏龜卜御體御卜、(中略)坐 越前國雨夜神云々、社司等依  穢神事 祟給、遣 使科  可令 祓清奉仕事。」と見え、越前神分には「正一位雨夜大明神」とある。

【祭祀】

A 大虫神社に同じ。

B 例祭十月九日。境内二五六坪。氏子一二三月,宮 大宮英治氏(兼務)。

C 例祭九月二十四日境內五二坪。氏子四宫司 高橋正純氏(兼務)。

(西森清隆)

【原文】

『式内社調査報告第十五巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

スポンサーリンク

神社の境内 (Precincts of the shrine)】神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・岡本山山頂 石祠〈雨夜神社 旧鎮座地〉

Please do not reproduce without prior permission.

 石祠の裏に「雨夜神社 岡本山上宮 祭神水波乃売命 昭和五十一年六月建之」と刻む

Please do not reproduce without prior permission.

実際の道は 岡太神社(越前市岡本町)の境内 狛犬の横から岡本山へと上がる道が付いています

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『續日本紀(Shikoku Hongi)』〈延暦16年(797)完成〉に記される伝承

雨夜神に神階が授けられています

【抜粋意訳】

宝亀五年(七七四)三月戊申〈九〉

○戊申

賜ふに 諸国に私(わたくしごと)に稲(いね)を糶(米を売った)者(もの)七人に爵各一級

叙す 越前国 丹生郡 雨夜神に 従五位下を

参河国に飢あり 之(これを)賑給(しんきゅう)す

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

【抜粋意訳】

延暦十年(七九一)四月庚子〈十〉

○庚子

 叙す 越前国 雨夜神 大虫神 並に従五位下を

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『続日本紀』延暦16年(797)選者:菅野真道 写本 慶長19年[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000045548&ID=M2014100619504988793&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Englishmen Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 雨夜神社
[ふ り が な ](あまよの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Amayo no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 越前國 丹生郡 雨夜神社(あまよの かみのやしろ)の論社

・大虫神社(越前市大虫町)
〈天正11年(1583)大虫神社相殿に合祀 雨夜神社〉

・雨夜神社 岡本山上宮(越前市岡本町)
〈岡太神社に合祀 雨夜神社 旧鎮座地〉)
・岡太神社(越前市岡本町)
〈雨夜神社 旧鎮座地は 岡太神社に合祀〉

・雨夜神社古社地〈石碑〉(丹生郡越前町天王)
〈八坂神社 境内に鎮座 雨夜神社の旧鎮座地〉
・八坂神社(丹生郡越前町天王)
〈朝日村天屋に鎮座していた雨夜神社 現 八坂神社 境内に鎮座〉

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

ハピラインふくい線 武生駅から県道190号経由で西へ約2.7km 車での所要時間は8~10分程度

岡太神社(越前市岡本町)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一の鳥居をくぐり抜けます
鳥居の扁額には゛岡太神社゛と刻字されています

Please do not reproduce without prior permission.

玉垣に囲まれた境内の入口には 二の鳥居が建ち 一礼をしてくぐり抜けます

Please do not reproduce without prior permission.

二の鳥居の扁額には゛白山神社゛と刻字されています

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

参拝日は(2018//9/27
拝殿は新築で 境内の砂利を今から敷詰めようとしている所でした

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

式内社 雨夜神社は 当初は岡本山山頂にあったとされ 岡太神社と称していたとの事 岡本山の麓にあった白山神社に遷座したとの事

社殿に一礼をして 境内を戻ります

境内の鳥居の横 狛犬の脇から 雨夜神社の旧鎮座地とされる岡本山山頂の祠まで道が付いています

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 雨夜神社について 所在は゛往昔は 丹生獄に在す、中古より下大虫村 小虫神社に並べ祀る゛〈現 大虫神社相殿に合祀 若宮神社〉と記しています

又゛岡本村に遥拝所あり゛〈現 岡太神社(越前市岡本町)〈雨夜神社 旧鎮座地は 岡太神社に合祀〉〉とも記しています

【抜粋意訳】

雨夜神社

雨夜は阿末與と訓べし

〇祭神 大虫神社御子〔官社考

〇往昔は 丹生獄に在す、中古より下大虫村 小虫神社に並べ祀る、岡本村に遥拝所あり、〔同上〕
大虫神社攝社也、〔同上〕

例祭 大虫社同日、

神位
 續日本紀、寶龜五年三月戊中、叙 越前國丹生郡 雨夜神 從五位下延暦十年夏四月庚子、叙ニ 越前國 雨夜神 從五位下、〔下は上の誤歟〕
 惣神分云正一位 雨夜大明神

雑事
 朝野群載云、康和五年六月十日、奏龜卜御體御ト、〔中略〕坐ニ 越前國 雨夜神云々、社司等依 過ニ 穢神事 祟給、遣 使科ニ 中祓可令ニ 祓清奉仕〔下略〕宮主從五位下 行少祐卜部宿禰兼良、中臣下從五位上 行權少副大中臣朝臣輔清、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingoistic)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 雨夜神社について 所在は゛ 大虫神社の内に合祀る 丹生獄にありしを  今地にす、゛〈現 大虫神社相殿に合祀 若宮神社〉と記しています

【抜粋意訳】

雨夜(アマヨノ)神社、

 大虫神社の内に合祀る、昔 丹生獄にありしを  今地にす、官社私考 

光仁天皇 寶龜五年三月戊申、從五位下を授け、
桓武天皇 延暦十年四月庚子、從五位上に叙さる、〔續日本紀〕〔〇按 本書、従五位上を従五位下に作り寶龜の授位と重複る者恐らくは誤也、今 上文に據て之を訂す
堀河天皇 康和五年六月雨夜神の司神事過穢せる祟るを以て中祓を科せ祓清め仕奉らしむ、〔朝野群載〕
傅云ふ、 彦火々出見尊を祀る、〔社傳説〕

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Token Shimmery cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 雨夜神社について 所在は゛(大虫神社の相殿也)(丹生郡大虫村大字大虫 縣社大虫神社相殿)゛〈現 大虫神社相殿に合祀 若宮神社〉と記しています

又゛岡本村に遥拝所あり゛〈現 岡太神社(越前市岡本町)〈雨夜神社 旧鎮座地は 岡太神社に合祀〉〉とも記しています

【抜粋意訳】

雨夜神社

祭神

神位
 光仁天皇 寶龜五年三月戊申 叙越前國 丹生郡 雨夜神 從五位下
 桓武天皇 延曆十年夏四月庚子  越前國 雨夜神 從五位下

祭日
社格

所在 (大虫神社の相殿也)(丹生郡大虫村大字大虫 縣社大虫神社相殿)

 今按 神社覈録に官社考云 往日 丹生嶽にます 中古より下大 神社に並べ祀る 岡本村に遙拜所あり 大虫神社の御子神にて攝社也とみえたるが如くなるべし 姑附て考に備ふ

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

岡太神社(越前市岡本町) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

越前国 式内社 126座(大8座・小118座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-, ,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.