遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)〈『延喜式』遠賀神社〉

遠賀神社(おかじんじゃ)は 延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)とされ 古くは岡山の岩台に鎮座したが 天長年間(825年当地遷座したと云う 中世に至り神佛混淆し 井岡寺を創設し 別當を置き岡大権現称していたが 明治維新の際 神佛分離により 延喜式 遠賀神社と改称しました

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

遠賀神社(Oka shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

山形県鶴岡市井岡和田181−1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊岡比賣神〈止与遠賀比女神〉(とよおかひめのかみ)
   鳴雷神(なるいかづちのかみ)
   高靇(たかおかみのかみ)
   和久産巣日神(わくむすびのかみ)
   大山祇神(おほやまづみのかみ)
   猿田彦大神(さるたひこのおほかみ)

《合》天照大神,軻遇突智命,大己貴神,仲姫命,山末之大主神,応神天皇,玉依毘売命,神功皇后,武甕槌神,経津主神,天児屋根命,比売神,菅原道真,吉祥中将殿,倉稲魂命,素戔嗚尊,大市姫神,五十猛命,上筒之男命,中筒之男命,底筒之男命,少彦名命,菊理媛神,伊弉冉尊,田心姫命,湍津姫命,市杵島姫命

〈境内社・境外社のすべてが 明治11年(1878)の火災で焼失 生國神社を残し すべて本社に合祀されたとのこと〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

遠賀神社

鎮座地 鶴岡市大字井岡字和田一八一の一

  豊岡比賣神 稚産神 鳴雷神
    大山祇神 高靇神 猿田彦神 外二十七柱

境内神社 生國神社

 
 延喜式神名帳に記載されておる 出羽国田川郡 遠賀神社であって、古くは岡山の岩台にあったとされ、天長年間(八二五)當地に移せりと云う。

中世に至り神佛混淆し井岡寺を創設し 別當を置き、岡大権現と稱せり(山形県神社誌)

長禄四年(一四六〇)三月十八日武藤氏の宿老 渡野辺四郎左衛門重吉 懸佛二面を奉納す

天正年中(一五七三九二)兵火により焼失
其後再興され、慶長十六年(一六一一)最上義光より棟札が掲げられ、以来永く神佛混淆にて傳来せしが維新の際 神佛分離により 延喜式 遠賀神社と改稱明治九年十一月郷社に列す
明治十一年五月社殿悉く炎上せしが同十五年 本殿新築成り同四十年境内末社を合併し、 明治四十一年幣殿新築せり、昭和二十九年八 月拝殿屋根瓦葺に改める。

昭和四十三年六月 祭具庫新築 昭和五十年十月 本殿改築幣殿新築 昭和六十二年直会殿改築す。

 
 元旦祭(一月一日)神幸祭(三月三日四日)例祭(五月一日)
 風鎮祭(八月二十三日)新嘗祭(十一月二十三日)

 殿
 本殿(一一七坪)幣殿(十九一三坪)拝殿(十八五四坪) 神饌所

工作物
 手水舎直会殿(八三二坪)神饌詰所(四坪)
 祭具庫(三七五坪)鳥居石造一基
 燈籠石造三対 社標石造一基 石碑八基

境内地
 五三五二・二三坪

 
 井岡、岡山、寺田、各自治会

現地案内板より

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【由  (History)】

『出羽国風土記』巻之2〈明治17年〉に記される内容

【抜粋意訳】

井岡大權現 增補 遠賀神社

 井岡村に有り 寺社領略記に山濵通井岡村大日山不動院 井岡寺領高百七十二石五升五斗二合 黑印十三通地方井岡村と有り 寺家八ヶ寺有を井岡寺といふは寺家の上首によて 又 學頭職を兼帶す 社家二人神子一人承仕一人有て井岡大權現は遠賀神社也と云ふとそ券

〔增補〕當社は 延喜式神名帳に載せ有る遠賀神社なる 祭神は豐岡比咩神 稚產靈神 鳴雷光神 大山祇神 高籠神 五柱の神とす 遠賀山字伊波手井に鎮座
 中世以降 神佛混淆し 天長二年に至り大伴親王乃御子 基真卿〔初 弘法の徒弟 後 實惠か弟子〕源樂上人 梵刹を創設し 阿迦井坊遠賀野井寺と云ふ 傍らに古井あり阿迦井と稱す 後 大日山不動院井岡寺と改む
 天正年中 兵燹乃爲め 堂宇不残消燼 當時 及 榮上人寺内 東南の山上に七間圓法の陵を築き灰燼を納め法鬼神靈正降所の碑を立と云ふ 大山祇ノ命乃神体は別に當寺 寶蔵に納む〔尊像は高七寸許 束帯立像にして 左手に玉を把り給ふ〕
銅鏡二面あて 長禄中 渡邉四郎佐衛門と云へるも奉納せしと云ふ

後 別當の称号を奉り 井岡大権現と稱し 本地勢至菩薩を合祀す
 明治以新以來 神佛御引分け 更に遠賀神社と改稱せられたるを以て考古乃說と併せ增補す

【原文参照】

荒井太四郎 著『出羽国風土記』巻之2,荒井太四郎,明17.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/763397

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

遠賀神社 本殿

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遠賀神社 拝殿

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・例祭  春祭り(はるまつり)の様子〈参拝日は2017/05/01 早朝

430日當屋宵祭り(とうやよいまつり)~ 5月1日春祭り(はるまつり)

・拝殿

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・拝殿前に〔禁忌・神占等〕湯立ての神事

四隅に青竹〈忌竹〉を立てて注連縄を張り巡らし 聖域であることを示した中に 三つ湯釜が置かれ その下には忌火の火付け種〈杉の枯葉〉が敷かれています

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・社頭の幟旗

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・直会殿

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・手水舎

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・祭具庫

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・〈境内社〉生國神社《主》大物主神,大国魂神

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・鳥居・社号標

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遠賀神社と大日山 井岡寺の鎮座する山〔井岡村の遠賀井山と呼ばれた

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)出羽國 9座(大2座・小7座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田川郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 遠賀神社
[ふ り が な ]をかの かみのやしろ
[Old Shrine name]Woka no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 出羽國 田川郡 遠賀神社(をかの かみのやしろ)の論社

・遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)

・遠賀神社(鶴岡市遠賀原字高間々)

・遠賀神社(鶴岡市外内島字明神川原)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR羽越線 鶴岡駅から県道332号経由で西南の方向へ約6.8km 車で18分程度

〈参拝日は2017/05/01 早朝〉春祭りの日であったようで 社頭に幟旗がたてられています

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遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)に参着

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社頭の正面 鳥居が゛遠賀神社゛ 向かって右の山門は゛井岡寺゛です

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社頭の社号標には゛延喜式内 郷社 遠賀神社゛と刻字されています

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鳥居の青銅の扁額には゛延喜式内 遠賀神社゛と浮き彫りで文字が刻まれています
一礼をして 鳥居をくぐります

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鳥居をくぐり抜けると すぐに石段があり 踊場の左手には゛庚申゛の石碑が祀られています

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石段を上がると 老杉が立ち並び 神々しさも感じられる境内になっていて 木立の中の参道の先に境内社が見えています

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再び石段を上がると拝殿の正面となります
拝殿は東方向を向いています

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〈境内社〉生國神社も祭りの為か 祠の扉が開いています
祠の中には たくさんのワラジが奉納されていました

賽銭を納め お祈りをします

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再び参道を進むと

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左手に手水舎 その奥に直会殿でしょうか
正面には拝殿が建ちます

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拝殿にすすみます

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拝殿は 国旗゛日の丸゛が掲揚され 祭日であるとわかります

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の向かって左手前には  春祭りの神事〔禁忌・神占等〕湯立ての神事が準備されています

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四隅に青竹〈忌竹〉を立てて注連縄を張り巡らし 聖域であることを示した中に 三つ湯釜が置かれ その下には忌火の火付け種〈杉の枯葉〉が敷かれています

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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社頭の鳥居は 境内の下に見えています

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鳥居の先には 東へ真っ直ぐ参道が伸びています

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参道から 社頭を振り返り 一礼

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 遠賀神社について 所在は゛遠賀村に在す、今 俗云、稲荷村゛〈現 遠賀神社(鶴岡市遠賀原字高間々)〉と記されています

【抜粋意訳】

遠賀神社

遠賀は假字也

〇祭神 詳ならず

遠賀村に在す、今 俗云、稲荷村 猶社中道 曰くに遠賀道、自に鶴岡 十町許東也、〔考証〕例祭 月 日、

伴信友云、斉明紀四年に出たる 齶田(あきらた)〈秋田〉の蝦夷 恩荷(おが)か 祭なるべし、

類社
 近江國神崎郡 乎加神社の條 見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 遠賀神社について 所在は゛井村村 遠賀井山にあり、゛〈現 遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)〉と記されています

【抜粋意訳】

遠賀(ヲカノ)神社

井岡村 遠賀井山にあり、
〔一宮巡拝記、神名帳打聞、出羽國全圖、〇按 今 井岡村に井岡寺あり、長禄四年扁額一面を蔵む、岡大権現御正体 大山祇命の文あり、蓋 此寺 或は本社の神宮寺などにて、古より社務をも掌りしを以て、この額面を蔵めしならむ、姑附て考に備ふ、

凡 其祭三月八月の十六日を用ふ、〔酒田縣神社取調帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 遠賀神社について 所在は゛井村村 遠賀井山にあり、゛〈現 遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)〉と記されています

他の説として゛稻荷村に同名の社ありて〈現 遠賀神社(鶴岡市遠賀原字高間々)〉もあるが採用しない と記しています

【抜粋意訳】

遠賀神社

祭神 大山祇命

祭日 八月二十三日
社格 郷社

所在 井岡村 遠賀野井山(西田川郡大泉村大字井岡)

 今按 註進狀に此神社ますによりて井岡村と云由  往昔は神社近隣 岡山村の山上柏伊波手井と申所にありしを 天正中 今地に遷座すと古記にみえたり
岡山より少隔りて 蛇蝄池あり  御手洗池なり  井を遠賀野井と云ひ 其他井岡など云處もあり
長祿中 武藤家の宿老 渡邊重吉 奉納の銅器に岡大権現御正體大山祇命云々  地主岡大権現御正殿とあり  舊社僧を井岡寺と云など證とすべし
而るに稻荷村に同名の社ありて 往古は村名 遠賀なるを神名を憚りて稻荷と改むと云るのみにて他に確證あらねばとらず

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

遠賀神社(鶴岡市井岡字和田)ついて 中世以降は全く神佛混淆し 維新の際 神佛分離令達に依り、再び往昔の制に復し、延喜式内 遠賀(ヲカノ)神社と改称し、明治九年十一月郷社に列す

【抜粋意訳】

〇山形縣 羽前國 西田川郡大泉村大字井岡(ヰノヲカ)

郷社 遠賀(ヲカノ)神社

祭神
 豊岡比咩(トヨヲカヒメノ)神 稚産靈(ワクムスビノ)神 鳴雷(ナリイカヅチノ)神 大山祇(オホヤマヅミノ)神 高龗(タカオカミノ)神 猿田彦(サダヒコノ)神

配祀
 天照大御(アマテラスオホミ)神 軻遇突智(カグツチノ)神 伊弉諾(イザナギノ)尊 伊弉冉(イザナミノ)尊
 大己貴尊  宗像中津姫命  山末大主命  應神天皇
 玉依毘賣命 神功皇后 武甕槌命 經津主命
 天之兒屋根命 比賣神 菅原道眞 吉祥姫中将殿
 倉稲魂命 素戔嗚尊 大市姫命 五十猛命
 上筒之男命  中筒之男命  底筒之男命  氣長足姫命
 少彦名命 田心比賣命 田湍津比賣命 市杵島比賣命
 大物主神 大國魂神 菊理比賣命

 本社の社號は 往古より種々唱へ來れり、抑も遠賀は假字也と (神社覈録)云へり、又 長祿四年扁額に「井岡大権現御正體大山祇命云々」と見ゆ、是れ井岡に鎭座するを以て社號 井岡大權現と稲せしならん、

但し遠賀の名稱の出所明かならず、往昔 遠賀神社鎖座せられしにより、今地名を井岡村と稱せり、而して太古 該村内一名 岡山村字伊波手井と云ふ山上に鎭座せしを、淳和天皇 天長二年 當今の地へ奉遷す、祭主は大伴親王(オホトモシンノウ)の御子 基貞(モトサダ)卿と申す御方なりき、

而して中古 神佛混淆し、梵刹を建立して井岡寺と云ふ、別當を置き岡大權規と稱し、本地勢至菩薩等を脇立せり、創建年代詳ならざれども、上記の字伊波手井山上に鎭座せられしを、淳和天皇 天長年間に當地に奉遷せし所を見れば、其以前よりのものなるべし、
中世以降は 全く神佛混淆し、祭主 基貞卿は源樂上人と頻りに梵刹を創設し、阿迦井坊遠賀野井寺と稱し、又 社傍に古井あり、因つて遠賀迺井山と山號を稱するに至れり、其後、正親町天皇 天正年間 兵燹に罹り、堂宇全く灰燼に帰せり、當時、及 榮上人寺内東南の山上に七問圓法の陵を築きその、灰燼を納め、且つ法鬼神靈正降の碑を立てたりと云ふ、かかる古社なるに依って 舊御神田と申して字御饌田、搗分田、御鉾田、三能田、燈油田、三月田、十七夜田、七字の田等の名今尚存せり、
後水尾天皇 慶長十六年八月十八日 少將出羽守源義光金幣奉納あり、又 當時境内禁制の事ありて其記録 今尚存す、卽ち當社領園境内殺生の事、山林竹木等 伐採の事、社内殿押寄宿の事等の三條の制札を揭げて嚴禁せられしと云ふ、光格天皇文化中撰 鄙乃須佐美(ヒナノスサミ)(白井氏撰)に曰く、井岡観音堂に、古き鋳像あり、一は圓径一尺二寸、三十三観音の形像をあらはし、一は佛像ー體をあらはし、径ー尺五寸)と見ゆ、是れ懸佛なるべしと、此鋳物の蓋の様なる銅器に刻文あり、
・・・・
・・・・〔中略〕

而して永く神佛混淆にて伝来せしが、維新の際 神佛分離令達に依り、再び往昔の制に復し、延喜式内 遠賀(ヲカノ)神社と改称し、明治九年十一月郷社に列す、同十一年五月本殿、拜殿 末社 等悉く炎上せしが、同十五年に至り本殿新築、續いて同四十一年十月拜殿を新築せり。

本社の御神體は金幣、御鏡なりと云ふ、寶物類としては次に示すが如し。
・・・・
・・・・〔中略〕

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

遠賀神社(鶴岡市井岡字和田) (hai)」(90度のお辞儀)

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出羽国 9座(大2座・小7座)

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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