老尾神社(匝瑳市生尾)〈匝瑳郡の総鎮守『延喜式』老尾神社〉

老尾神社(おいおじんじゃ)は 式内社 老尾神社(をいをの かみのやしろ)です 社伝には 経津主神の御子 阿佐比古命を祭神として 崇神天皇の御宇 神田を附し恆例の祭祀はこの時より初まると云う 又『續日本後紀』に物部小事(おごと)大連が坂東を征した功勳により 鎮座地 匝瑳郡は建郡されたと記され 祭神は小事とする説があります

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

老尾神社(Oio shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

千葉県匝瑳市生尾75

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》阿佐比古命(あさひこのみこと)経津主命の御子神〉

《配》磐筒男命(いわつつのおのみこと)
   磐筒女命(いわつつのめのみこと)
   国常立命(くにのとこたちのみこと)

祭神を物部小事(もののべの おごと)大連とする説あり

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

匝瑳市指定史跡

式内社(しきないしゃ)老尾神社(おいおじんじゃ)

五三二九平方メートル
平成二十五二十一日指定

 平安時代の「延喜式(えんぎしき)」に、香取神宮などに次いで小社老尾神社として記載されている。

 現在の境内地については、江戸時代の「下総名勝図絵(しもふさめいしょうずえ)」に絵図として見られ、「延喜式」から続く神社であると由緒が書かれている。
 匝瑳郡として式内社は一社であり、後には匝瑳郡の総鎮守となつた記録もあり、歴史的に重要なものである。

平成二十六 匝瑳市教育委員会

現地案内板より

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【由  (History)】

『匝瑳郡誌』〈大正10年〉に記される内容

【抜粋意訳】

第四章 神社

 本郡は郷社二座 村社十七座 無格社八十七座あり 今其の數計を記述し謹で神徳を表せんとす 只だ古記 古文書の據るべきもの最も尠きは遺恨とする所なり

郷社 老尾神社

 匝瑳村大字生尾字加知内に在り 延喜式内の神社なり 祭神は経津主の神の御子 阿佐比古命なりと云ふ
崇神帝の御宇 神田を附し恆例の祭祀 此の時より初まる
後村上天皇の正平年間 千葉氏より神田の寄附あり

又 足利晴氏 千葉胤富狀を下して 本社の大宮司 大禰宜を海二郡 諸社々人の長にるへきを沙汰せられたり 氏子は匝瑳全部なり

 一説に云 本神社は物部小事大連を祀れり 續紀に承和二年三月辛酉 下總國人陸奧鎭守外從五位下勲六等 物部匝瑳 熊猪、改連賜宿禰、と云ふ條に 昔物部小事大連、錫節天朝、出征坂東、凱旋歸報,藉此功勲令得於下總國、始建匝瑳郡、仍以為氏、是則熊居猪等祖也とあれば 小事大連は本郡の祖神として永く奉祀せらるべきものにして 本神社は即ち是なりと 然れども本社の傳へと異るを以て記して疑を存す

 本社は明治六年十月を以て 郷社に列せられ幣供進指定の神社たり境内百六十二坪

【原文参照】

千葉県匝瑳郡教育会 編『匝瑳郡誌』,千葉県匝瑳郡教育会,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965693

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)下総國 11座(大1座・小10座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)匝瑳郡 1座(小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 老尾神社
[ふ り が な ]をいをの かみのやしろ
[Old Shrine name]Woiwo no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

鎮座地 匝瑳郡(そうさのこおりの建郡について

『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

日本後紀』物部匝瑳 熊猪〈小事の孫〉の改姓の記事中に 鎮座地 匝瑳郡(そうさのこおり)は 物部小事大連(もののべの おごと おおむらじ)が 坂東を征した功勳により建郡されたと云う事が記されています

【抜粋意訳】

承和二年(八三五)三月辛酉〈十六〉(承和2年(835)3月16日条)

○辛酉

下総國人 陸奧鎭守將軍 外從五位下勳六等 物部匝瑳連 熊猪  連賜宿禰 又改 本居貫附左京二條

 昔 物部小事大連 錫節天朝(節を天朝に錫ひ)出征坂東(出でて坂東を征し)凱歌歸報(凱歌して歸り報ず)藉此功勳(此の功勳に藉り)令得於下総國(下總國に得せしめ)始建匝瑳郡(始めて匝瑳郡を建つ)仍以爲氏(仍りて以つて氏と爲す)是則熊猪等祖也(是れ則ち熊猪等の祖也)

 鑄錢司言 被給俸料一分之人唯一千束 僅支朝夕 不足衣服 遷替之日 無糧還京 右大臣處分 班擧正税十六萬束於備後 安藝 周防 長門 豐前等國 各三萬二千束 以其息利 毎人倍給之

下総國言す 民飢を 賑給之

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

物部匝瑳氏(匝瑳連)の祖 物部小事(もののべの おごと)大連について

『先代舊事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806~906)頃の成立〉に記される伝承

『先代旧事本紀』「天孫本紀」には 宇摩志麻治命12世の孫として 物部小事(ヲゴト)連公は 志陀連 柴垣連 田井連らの祖 と記されています

【抜粋意訳】

宇摩志麻治命十二

 物部木蓮子蓮公 ・・・

弟 物部小事連公 志陀 柴垣 田井 等ノ

弟 物部多波連公 ・・・
孫 物部荒山連公 ・・・
弟 物部麻作連公 ・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

老尾神社の祭神は 物部小事(もののべの おごと)大連゛とする説あり

 鎮座地 匝瑳郡(そうさのこおりは 物部小事(もののべの おごと)が坂東を征した功勳により建郡されたと伝わり
小事の子孫 物部匝瑳氏が足継・熊猪・末守の3代にわたって鎮守将軍に任ぜられました

 信太連(志陀連・志太連)の常陸国信太郡とともに物部氏との深い関係がありました
 また、香取神宮の摂社に匝瑳神社があり この摂社の造り替えは 古くは゛匝瑳郡の役゛であったと伝わります

・匝瑳神社(香取神宮 境内 摂社)の記事をご覧ください

《主》磐筒男神(いわつつおのかみ)
   磐筒女神(いわつつめのかみ)

常陸国信太郡 と 下総国匝瑳郡 下総国香取郡との関係性について

信太連(志陀連・志太連)の常陸国信太郡 と 匝瑳連の下総国匝瑳郡に はさまれた位置には 下総国香取郡があり ここに鎮座する゛香取神宮゛には摂社に匝瑳神社があり 物部小事(もののべの おごと)との関係も説かれています
こうした事から 老尾神社(匝瑳市生尾)の祭神を物部小事(もののべの おごと)公とし 香取神宮の大禰宜 香取連を物部氏とする説もあります

・香取神宮(香取市)下総国一之宮 の記事をご覧ください

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR総武本線 八日市場駅から北方向へ約2.7km 車で7分程度

社頭には 鳥居が無く 社号標と案内板があります

老尾神社(匝瑳市生尾)に参着

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気づかずに そのまま通り過ぎると 道の脇に境内社の鳥居があり その奥に社殿が見えています

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車を路肩に寄せて下りてみると 道路から境内へと通路がありましたので それを伝い境内に入りました

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境内に入ってから 本来の参道を振り返ると 鳥居が建っていました

社殿・参道と鳥居は 南西方向を向いています
先程の社号標のあった社頭は 北西方向を向いていましたから 鳥居の先でほぼ直角に折れていることになります 鳥居が見えなかった訳です

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拝殿にすすみます

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拝殿の扁額には゛延喜式内 匝瑳一座 老尾神社゛と記されています

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格子戸の隙間から
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 透塀に囲まれて本殿が坐します

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 老尾神社について 所在は゛南條庄生尾村に在す、今 生尾大明神と゛〈現 老尾神社(匝瑳市生尾)〉と記しています

【抜粋意訳】

老尾神社

老尾は於伊と訓べし

〇祭神 國常立尊、朝彦命、地名記

〇南條庄生尾村に在す、地名記 生尾大明神とす、例祭  

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 老尾神社について 所在は゛ 生尾村にあり匝瑳明神と云ふ゛〈現 老尾神社(匝瑳市生尾)〉と記しています

【抜粋意訳】

○匝瑳(サウサノ)郡一座

老尾(オユヲノ)神社

 生尾村にあり匝瑳明神と云ふ、〔巡拝舊祠記、神名帳考土代、下総式社考、〕〔〇按 下総國圖、生尾の隣邑に八日市場米倉村あり、又 按 八日市場に匝瑳壹あり、米倉西光寺文書に匝瑳郷西光寺とあり、之に據に、生尾 蓋古 匝瑳郷也、姑附て考に備ふ〕

 物部匝瑳連祖 物部小事大連祭る、昔 小事連坂東を征て大功り、して

匝璞郡と建しむ、即是也、〔續日本後記〇按 香取神社末社にも、匝瑳殿あり、其造替に匝瑳郷民を役て之を造る事、その文書に見ゆ、又 由あり、姑附て考に備ふ

八月九月中酉日 祭を行ふ、〔下総式社考〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 老尾神社について 所在は゛生尾村〔字老尾岡〕(匝瑳郡匝瑳村大字生尾)゛〈現 老尾神社(匝瑳市生尾)〉と記しています

【抜粋意訳】

○匝瑳郡一座

老尾神社 稱 匝瑳明神

祭神 比古命

 按 社  常立尊 經津主神の御子 朝彦命は苗加命とも云〕合殿なりと云る 國常立尊は信がたし
 さて本社を匝瑳明神と云ひ 香取神宮の末社に匝瑳郡に住て この社の修造は郡役を以てする故に 匝瑳殿と名くと云る
 匝瑳殿りて聞ゆるを 續日本後紀 承和二年三月辛酉の條に 昔 物部小事大連錫節天朝出征 坂東凱旋歸 報籍此功勲令得下總國始建 匝瑳郡仍以為氏とあるを合せ思ふに 經津主神の御子神 朝彦命を主として匝瑳郡をし物部小事大連合せ祭れる故に 匝瑳明神と云ひ 香取神宮の匝瑳殿も其 由縁に由て修造する例なれば 即ち匝瑳殿と云るならん 姑附て考に俟つ

祭日 八月中
社格 郷

所在 生尾村〔字老尾岡〕(匝瑳郡匝瑳村大字生尾)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

老尾神社(匝瑳市生尾)ついて 式内社 老尾神社で郷社に列せられた旨が記されています

【抜粋意訳】

〇千葉縣 下総國 匝瑳郡匝瑳村大字生尾

郷社 老尾(ヲイヲノ)神社

祭神 阿佐比古(アサヒコノ)
別殿 磐箇男(イハツツノヲノ)命 磐箇女(イハツツノメノ)
並殿 國常立(クニノトコタチノ)

 創建年代詳ならず、廷喜式神名帳、匝瑳郡一座に、老尾神社とあるは。蓋、社なり、國人 匝瑳明神とし、匝瑳一郡の鎮守たり、

 傳云ふ、祭神 阿佐比古命は、經津主命の御子にして、経經津主 建御雷の両神、天神の命に依り天降、荒振神を揆平し、天神に復命せんとするの時、御子 阿佐比古命を留て皇孫萬代の護として、此地に鎮座せしめんと。
  神代の遺跡か但、社説には平城天阜 大同年間の勧請とせり、後村上天皇 正平二十四月、禄の災に罹り、社殿 寶 悉く灰燼に帰せしが、 千葉満胤、鏑木胤繁に命じて再建せしめしと、千葉氏代々社領を寄進、神器を納めて崇敬の誠を致せしが、同氏衰ふるに及び、社領を失ひ、漸次頻敗す、

 明治維新の後、社号をに復し、同月郷社に列す。

社殿は本殿、拝殿、境内は千百坪官有地第一種たり、土地高燥にして遠く九十九里の海を望み、風景頗る宜し。
社祭神に付き。下総國事考に匝瑳郡建立者 物部小事大連を祀れるにはあらざるかと疑ひし以来、此説に從ふもの甚だ多し、然れとも地名紀は是に異なり、朝彦命  国常立命を祀るとせり、又 度曾氏の神名帳考証には「埴安神也、老者稱に土地壽、尾者雄也、云々」とあり、以上諸説を挙げて後考に備ふ、香取神宮の末社に匝瑳殿あり所祭、磐筒男 磐筒女二神なり

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

老尾神社(匝瑳市生尾) (hai)」(90度のお辞儀)

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-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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