大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)〈『延喜式』大歳神社〉

大歳神社(おおとしじんじゃは 貞観3年(861)の創立と伝える 延喜式内社 但馬國 二方郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)とされます 所藏の棟札によれば 足利時代永享2年(1430)11 足利義教の時に社殿の再建とあり 中世この地は 延喜式の大歳神社がここに鎭座するを以て 大歳莊と呼ばれたと云う

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

大歳神社(Ohtoshi shrine)

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

兵庫県美方郡新温泉町居組615

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大年神(おほとしのかみ)〈須佐之男神の御子神〉

《配》御年神(みとしのかみ)〈大歳神の御子神〉
   若年神(わかとしのかみ)〈御年神の御子神〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由 緒

 貞観3年(861)の創立。延喜式の制小社に列し、足利時代永享2年(1430)、本殿を建立。

 天正3年(1575)、芦屋城主鹽谷周防守は村役人より当社縁起を提出せしめ、一覧。

 江戸時代延宝年間(1673~1681)、藩主京極氏当社を崇敬し、神田6畝歩を寄進し、宝暦5年(1755)後昧肥前守代官所を置くや毎年供物料として米1石8斗を捧げる。

 天和3年(1683)本殿を建立し、元禄15年(1702)同殿を造営せり。享保4年(1719)本殿を造立し、元文3年(1738)之を再営す。宝暦2年(1752)本殿を造立し、同10年(1760)之を修繕す。明和5年(1768)本殿を造替し、安永4年(1775)、同6年(1777)、天明8年(1788)等に同殿の一部に造営を加え、寛政8年(1796)又建立に着手し、同10年(1798)之を再建す。嘉永4年(1851)拝殿を改造し、同7年(1854)本殿覆を再建。

 明治3年(1870)、新に神霊を勧請。同6年(1873)、村社に列せられる。

 明治17年(1884)、本殿覆の屋根替え。同30年(1897)、鎮座1050年祭を執行。大正8年(1919)、本殿拝殿を新築。

2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6326059.html

【由  (History)】

大歳神社

指定文化財
 県指定 麒麟獅子舞 昭和49年3月22日
 町指定     昭和54年3月3日
所有者・管理者 宗教法人 大歳神社

 大歳神社は、貞観3年(861)の創建と伝えられており、平安時代に作成された「延喜式神名帳」にも記載されている浜坂町でも古い神社である。

 毎年10月9日の例祭日には、家内安全・無病息災を願って麒麟獅子舞が奉納される。

 また、神社の境内には、シイ・ツバキ・タブノキの古木を中心に、ケヤキ・ヤブニッケイ・モチノキ・ヤマザクラ・ヒメユズリハなどの貴重な樹木が多く茂っている。

平成12年3月 浜坂町教育委員会

現地案内板より

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『日本地名大辞典』に記される内容

【抜粋意訳】

ニシハマ 西濱

【西濱村】

兵庫縣但馬國美方郡の西北部。
日本海に臨み、濱坂町の西に接し、西は鳥取縣岩美郡に界す。北部海岸を除く外約五○○米程度の山脈をらし、村内山地起伏し山麓北岸に迫りて低地乏しく、東部に小河北流して海に注ぐところ諸寄港を抱き、總じて岩石海岸をなす。沿岸は小島・奇岩・怪石散在す。産物は繭の産額最も多く米・食用農産・蘇菜・花菜・果實・小麦・大麻等もあり。外に鶏卵·刄物も產す。北岸に縣道走り其南に省線山陰本線通過して居親驛(明治四十四年設置)あり。

大字居組はもと伊含に作れるを後世居組に作る。中世これを大歳莊と云ふは延喜式の大歳神社こゝに鎭座するを以てなりと。

大字諸寄(もろよせ)は小備地にて土俗雪白濱といふ。六帖に「但馬なる雪の白濱もろよせは思ひしものを人のとや見ん」とあるは此地を指せるものとす。

〔大歳神社〕

大字居組に鎭座。縣社。祭神大年神、御年(みとし)神。創建年代詳ならざれども延喜式内の舊社なり。所藏の棟札によれば、永享二年十一月 足利義教の時に社殿再建あり。例祭、十月九日。

【原文参照】

日本書房 編『日本地名大辞典』第5巻,日本書房,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1116352

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

大歳神社 本殿

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大歳神社 拝殿

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〈本殿向かって右 境内社〉猿田彦社《主》猿田彦大神

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〈本殿向かって左 境内社〉正八幡宮と石祠二宇

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・社頭・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)但馬國 131座(大18座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)二方郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大歳神社
[ふ り が な ](おほとし かみのやしろ
[Old Shrine name]Ohotoshi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

大歳神(おとしのかみ)について

大歳神は 記紀神話『古事記』によれば 須佐之男命と神大市比売命〈大山津見神の娘〉の間に生まれた御子神〈大年神(おとしのかみ)〉で宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の兄弟神とされています
穀物や豊穣を司る神として信仰され 年神(歳神)とも呼ばれることがあります

「大歳神(おほとしのかみ)」を社名に持つ式内社について

延喜式内社 山城國 乙訓郡 大歳神社(大 月次 新嘗)(おほとしの かみのやしろ)

・大歳神社(京都市西京区大原野灰方町)

延喜式内社 大和國 高市郡 大歳神社 二座(おほとしの かみのやしろ ふたくら)

・大歳神社(橿原市石川町)

延喜式内社 攝津國 住吉郡 草津大歳神社(鍬靫)(くさつおほとしの かみのやしろ)

〈旧鎮座地〉式内 草津大歳神社趾(大阪市住吉区苅田)

〈合祀先〉大依羅神社(大阪市住吉区庭井)

・大歳神社〈住吉大社 境外摂社〉(大阪市住吉区住吉)

延喜式内社 和泉國 大鳥郡 大歳神社(貞・鍬)(をほとしの かみのやしろ)

・等乃伎神社(高石市取石)
〈等乃伎神社に合祀 大歳神社(高石市西取石)〉

延喜式内社 遠江國 長上郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)

・大歳神社(浜松市中央区天王町)

・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)

延喜式内社 駿河國 安倍郡 大歳御祖神社(おほとしみおやの かみのやしろ)

・静岡浅間神社(静岡市)

・別雷神社(静岡市)

延喜式内社 伊豆國 那賀郡 仲大歳神社(なかおほとしの かみのやしろ)

・神明神社(西伊豆町中)

・伊那下神社(松崎町松崎)

・仲神社(松崎町那賀)

・伊那上神社(松崎町宮内)

延喜式内社 但馬國 二方郡 大歳神社(おほとし かみのやしろ)

・大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)

延喜式内社 石見國 那賀郡 大歳神社(おほとしの かみのやしろ)

式内社 大歳神社について 所在は゛大年神社は當郡中 數多ありて 何れを式内と定め難し゛と 大年神社が多数あって決め難いとされます

・大年神社(江津市都野津町)

・大年神社(江津市和木町)

・大年神社(江津市渡津町塩田)

・大歳神社(江津市千田町大年迫)

・大歳神社 (浜田市元浜町)

・大歳神社(浜田市弥栄町小坂)

大歳神社(浜田市大金町)

・大年神社(浜田市国分町)

大歳神社(浜田市三隅町下古和)

・大歳神社(浜田市金城町波佐)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR山陰本線 居組駅から県道128号経由で北西方向〈居組港の方向〉へ約1.3km 車での所要時間は3~5分程度

大歳神社の目の前〈西側〉には 新温泉町 居組地区公民館があり 大きなグランドがあります
このグラウンドは 居組小学校(平成15年3月閉校)の跡地です

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まるで このグラウンドに面して 神社が建てられているような錯覚をするほどです 現在は廃校となっていますが かつては毎日子供たちの元気な姿や声に神様も楽しまれていたことと思えるような場所になっています

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このグラウンドの東側の山が゛大歳神社社叢暖帯照葉樹林(町指定天然記念物)゛となっています

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大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)に参着

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 石段を上がります

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大歳神社について 所在は゛大庭郷大歳居組村に在す゛〈現 大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)〉と記しています

【抜粋意訳】

大歳神社

大歳は於保登志と訓べし

〇祭神 大年神歟

〇大庭郷大歳居組村に在す〔但馬考〕

類社
 山城國乙訓郡 大歳神社の條見合すべし

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大歳神社について 所在は゛今 大歳庄伊會村に在り゛〈現 大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)〉と記しています

【抜粋意訳】

大歳(オホトシノ)神社

今 大歳庄伊會村に在り、
〔但馬考、神社道志流倍、〕〔〇按 今本村のみを指て大歳庄と云は此神ますに依て也、〕

盖 大年神を祀る、〔古事記、延喜式〕凡 毎年九月九日祭を行ふ、〔神社明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大歳神社について 所在は゛大歳荘居組村〔字鶴山〕(美方郡西濱村大字居組)゛〈現 大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前)〉と記しています

【抜粋意訳】

大歳神社

祭神 大年神

祭日 十月十八日
社格 村社

所在 大歳荘居組村〔字鶴山〕(美方郡西濱村大字居組)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

大歳神社(美方郡新温泉町居組字宮ノ前) (hai)」(90度のお辞儀)

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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