荻原神社(おぎはらじんじゃ)は 明治40年(1907)合祀令により 荻原村に鎮座する81社を現在地〈宮川の上流域の大台町江馬〉に合祀したもので 中心となった神社〈江馬八柱神社(創建月日不詳)〉は 今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていた゛延喜式内社 伊勢國 度會郡 榎村神社(えむらの かみのやしろ)゛であると伝わります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
荻原神社(Ogihara shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
三重県多気郡大台町江馬632
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》田心姫命,湍津姫命,市杵島姫命,天忍穂耳命,天之穂日命,天津彦根命,活津彦根命,熊野櫲樟日命
《配》素戔嗚命,大山祇命,大己貴命,水速女命,久延彦命,金山彦命,倉稲魂命,猿田彦命,櫛磐窓命,埴山姫命,木花開耶姫命,経津主命,軻遇突智命,高彦根命,瀬織津姫命,少彦名命,保食神,伊弉冉命,応神天皇,惟喬親王,菅原命,氏子の祖霊
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
明治40年合祀令により、荻原村に鎮座する81社を現在地に合祀いたしました。記録によりますと中心社となりました江馬八柱神社は創建月日は不詳ですが、今から千数百年前(平安時代)茂原区に祀られていました榎村神社(式内社)だとのことです。
その後 近辺に八王寺社が多いので八王寺神社と呼称されておりましたが、数百年前より江馬(当時荘間)に遷座されました。
その後明治3年2月当時の和歌山藩より「八柱神社」と改称命令通達で、右名称にしました。
次いで明治40年合祀令で村内の主神社(村社7、無格社10、境内社64)を合祀、当時の村名「荻原」を社名としました。尚、昭和61年秋季大祭に旧満蒙双龍開拓団の氏神神社だった双龍神社の御霊を中国政府の特別友情の計らいにより返還をうけ当社に合祀いたしました。
三重県県神社庁HPより
【由 緒 (History)】
荻原神社 – おぎはらじんじゃ –
由 緒
明治40年の合祀令により、村内の主神社(村社7社、無格社10社、境内社64社)を合祀した。 昭和61年秋季大祭に旧満蒙双龍開拓団の氏神神社であった双龍神社の御霊を中国政府の特別な計らいにより返還を受け、合祀した。
荻原地内13区、約800名の氏子を有し、宮司1名と13名の総代により維持されている。平成20年11月には、合祀以来100年目の第5回式年御遷座に本殿造営を行った。
三重県神社庁教化委員会HPより
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%e8%8d%bb%e5%8e%9f%e7%a5%9e%e7%a4%be/
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 榎村神社
[ふ り が な ](えむらの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Emura no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊勢國 度會郡 榎村神社(えむらの かみのやしろ)の論社
・堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・荻原神社(大台町江馬)
・定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)
〈定神社の前身は 奥定(榎村神社)・中定(中の宮)・口定(定古清宮・萩原神社)の三神社 奥定(榎村神社)が論社〉
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR紀勢本線 三瀬谷駅から県道31号を西へ約9.6km 車15分程度
県道31号を宮川を遡るように進み 大台町江馬地区で県道31号の旧道へと進むと道路沿いに鎮座します
社頭の酉の横に社号標゛荻原神社゛が建ちます
荻原神社(大台町江馬)に参着
一礼をしてり社頭の石造りの神明鳥居をくぐり 参道をすすむと 境内には 木製の神明造の二の鳥居があり くぐり抜けて境内へと
境内には砂利が敷き詰められて雑草の一本もなく 神域の手前には石灯籠が立ち その先に注連縄柱のように二本の樹木があり 社殿へと誘っているようです
拝殿に進み お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の奥は 本殿があり その本殿の裏に 真っすぐに立っている高い樹木は゛ご神木のイチイガシ゛〈樹高45m 三重県で2番目の太さ〉とのことです
社殿の向かって左手は神庫でしょうか
社殿に一礼をして 手入れの行き届いた境内を戻ります
戻りながら気づいた石碑には゛萩原村歌゛とあり メロディーはわかりませんが 歌詞は 萩原村であった頃の村民が村を心より愛おしく誇りに思っていたことが感じられます
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 榎村神社について 所在・祭神ともに 不明で定かではないとし 或は ・江村の堅田社〈現 堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉・奥定村 江馬山〈現 定神社〈佐田神社〉(大台町檜原字向假屋)〉・榎村を江馬〈現 荻原神社(多気郡大台町江馬)〉であろうと記しています
【抜粋意訳】
榎村神社
榎村は 衣武良と訓べし
○祭神在所等詳ならず
或説云、今江村乎、奥定村乎、また奥定村江馬山は多気郡に属す、再興云、榎村を江馬といふはむらの約まりなり、社所在の江馬山は大杉谷奥定村なり、連胤云、当社と上なる 礒神社とは、当郡中にて二所大神宮所摂の中に漏れたり、其事詳ならず、猶 礒神社の下見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 榎村神社について 所在について 二見郷 三津村 東江村の田畝中にあり堅田神社〈現 堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
榎村(エムラノ)神社
又 堅田神社と云、今二見郷 三津村 東江村の田畝中にあり、伊勢國式社検録
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 榎村神社について 所在について 三重縣二見郷江村の堅田神社〈現 堅田神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉〉と記し
参考として・多氣郡大杉村に榎村神社あり奥定社と云〈現 荻原神社(多気郡大台町江馬)〉があるが 確証がない と記しています
【抜粋意訳】
榎村神社 一云 堅田神社
祭神
今按 儀式帳に堅田神社 弘安九年 参詣記に佐美明神と云るは此社ならん故に定めて記せり祭日
社格 内宮所攝 廿四所之一所在 三重縣二見郷江村(度會郡二見町大字江村)
今按 度會縣注進狀に多氣郡大杉村に榎村神社あり奥定社と云 祭神大屋津姫命と云へど明證なければとらず
【原文参照】
荻原神社(大台町江馬)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)