小川月神社(おがわつきじんじゃ)は 延喜式内社 丹波國 桑田郡 小川月神社(名神大)(をかはつきの かみのやしろ)です また古記録は 伊勢の内宮・外宮が今の地に遷座される前の末社とされ 神代から当地に祀られていたと伝え 社傳によれば應仁の頃 大堰川洪水の為 社地を流失し一時廢絶したと云う 現在は狭少な神域となっています

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
小川月神社(Ogawatsuki shrine)
【通称名(Common name)】
・月読神社(つきよみじんじゃ)
・つきよみさん
【鎮座地 (Location) 】
京都府亀岡市馬路町月読16
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》月讀命(つきよみのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉
【創 建 (Beginning of history)】
小川月神社
一 鎮座地 亀岡市馬路町月読一六番地
一 祭 神 月読命(つきよみのみこと)
一 例 祭 十月十六日・祈年祭 四月二日
一 由 緒
当神社は昔から月読神社とも言われている。「延喜式」神名部に、丹波の国桑田郡(今の亀岡市及び北桑田郡)十九座の中の大社二座の一つで桑田郡第二の大社とあり、また古記録は、伊勢の内宮・外宮が今の地に遷座される前の末社であり、神代から当地に祀られていたと伝えている。
この神社は大堰川に比較的近く、応仁の頃に兵乱と大洪水のため、神域のほとんどが流出、現在はやや狭少な神域となっているが、この神社を中心とした約一・三ヘクタールの田地が「月読」として現存し、この田地が昔の神域であったのではないかと思われる。
その昔、北条時頼が諸国巡礼をし、小川月神社 参拝の節、その家臣人見次郎貞村にこの神社の守護を命じた。以後人見家が三十代にわたって連綿と守護をし、その後は氏子総代が神社の維持運営にあたっている。現在は出世の神 五穀豊穣商売繁昌の神とあがめられ、遠近より参拝者が多い。
現地案内板より

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【由 緒 (History)】
『南桑田郡誌』に記される内容
【抜粋意訳】
・地誌 第五節 水理
・・・〈中略〉・・・
桂川の本流が龜岡の盆地に濯ぐ邊は 土地誠に平坦にして河道が傍道に外るる事 比較的容易なるを以て 此の邊に於て桂川の河道は時として 変遷したるものと考へらる。実際河道変遷の確たる證據も挙げらるるなり。
和名抄に桑田那小川郷と云へるあり 又 延喜式に名神大小川月神社と云へるあり小川月神社と云へるは 三代實錄 貞觀元年授位の祠なるが 小川郷とは今 桂川の右岸 千代川村大字小川の邊にして 當時も恐らく桂川右岸の地たりしものと考へらる。
小川月神社と云へるは 今 桂川の左岸 馬路村に殘れる小川月神社のことにして 以前は小川郷の內、卽ち桂川の右岸にありしものと考へらる、卽ち桂川は小川月神社より東を流れ居りしものと考へらる。
又 今 保津村西垣内に古川と云へるあり 桂川に注げるものに之れを遡り行けば 船井郡八木の東南、西田新田の附近にて桂川より分派し、東南流して馬路村に入り、小川月神社の東を流れ、河原尻の西を東南流して西垣内に於て桂川に合せる事を知る。此の古川の河道は其の名より考ふるも想像せらるゝ如く 桂川の舊河道にして、桂川は以前は 此の河道を採つて流れ、小川月神社は其の右岸に存し 小川郷に屬し居りしものと考へらるなり。
小川郷は元來 川の左岸にありしものとするも 或は又 右岸にありしものとするも 小川郷と小川月神社とは附きものたりしものと考へらるゝを以て、中頃 兩者が桂川によりて分離せられられし事は明らかに河道が東西何れかの方向に変遷したる事を證するものにして、今 古川等云へるものが桂川の東に残り居れるものとすれば 桂川は東より西に移り、其の右岸にありし小川郷に喰ひ入り、小川月神社の地が其の左岸に殘されしものと考へらる。
此の事實を以てしても 桂川が時として その河道を変遷したる事を推知すべきなり。
【原文参照】

京都府教育会南桑田郡部会 編『南桑田郡誌』,京都府教育会南桑田郡部会,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978749

京都府教育会南桑田郡部会 編『南桑田郡誌』,京都府教育会南桑田郡部会,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978749
【抜粋意訳】
第四章 神社 第十四節 馬路村
小川月讀神社
字馬路に鎮座し、月讀尊を祀る。延喜式名神大に撰録せられ、貞観元年五月二十七日 從五位下より従五位上に進めらる。本郡屈指の大社なりしならむ、今史料湮滅して其沿革を明かにすること能はず。社傳によれば應仁の頃 大堰川洪水の為 社地を流失し、一時廢絶したりと云ふ。大日本史神祇志に此社もと小川村にありしと書せるは恐らく、事實なるべく面して小川は山城松尾社の社領なりしなれば山城松尾月讀神社との關係ありしこと疑ふべからず。
【原文参照】

京都府教育会南桑田郡部会 編『南桑田郡誌』,京都府教育会南桑田郡部会,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/978749
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・小川月神社 本殿 鳥居 社号標

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・小川月神社 拝殿 神楽殿

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・小川月神社 全景

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・月読神社(亀岡市千代川町小川)
小川月神社(亀岡市馬路町月読)は 大堰川の左岸(東側)に鎮座します
しかし 大堰川を挟んだ対岸〈西方〉千代川町には 小川という字名があり 『和名抄』には「桑田郡小川郷」の遺称地であると記されています
かつての大堰川は 小川月神社の東を流れていて 大堰川の流路変更の名残とされているのが 現在の小川月神社の゛東方を流れる゛古川゛です このことから 小川月神社の一帯も 古くは小川郷に含まれていたと考えられています
又 現在 大堰川対岸の千代川町小川には 小川月神社と同じく月読命を祀る月読神社が鎮座します これは大堰川の流路変更によって小川月神社と隔てられた里人達が 新しく氏神として 小川月神社から勧請したものとされます
亀岡市の馬路町と千代川町を結ぶ大堰川の橋は 両岸に月読命を祀る神社があるので 地方政治家゛堤太三吉゛氏により「月読橋」と名付けられています
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
神階の奉授が記されています
【抜粋意訳】
卷二 貞觀元年(八五九)正月廿七日甲申
○廿七日甲申
京畿七道諸神に 進階 及 新に叙つ 惣て二百六十七社なり
奉授に
淡路國
无品勳八等伊佐奈岐命一品
備中國
三品吉備都彦 命二品神祇官
无位神産日神。高御産日神。玉積産日神。生産日神。足産日神並從一位。 无位生井神。福井神。綱長井神。波比祇神。阿須波神。櫛石窓神。豐石窓神。生嶋神。足 嶋神並從四位上宮内省
從三位園神。韓神並正三位。大膳職正四位下御食津神從三位。左 京職從五位上太祝詞神。久慈眞智神並正五位下。大膳職從五位下火雷神。大炊寮從五位下 大八嶋竈神八前。齋火武主比命神。内膳司從五位下庭火皇神。造酒司從五位下大戸自神等 並從五位上。无位酒殿神從五位下山城國
・・・〈中略〉・・・
丹波國
從五位下 小川月神 麻氣神 並從五位上丹後國
從五位下 大川神 大宮賣神 並從五位上出雲國
從三位熊野神 勳八等杵築神 並正三位・・・〈中略〉・・・
對馬嶋
從五位下 和多都美神 高御魂神 住吉神 並從五位
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用
『延喜式(Engishiki)』巻3「臨時祭」中の「名神祭(Meijin sai)」の条 285座
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
延喜式巻第3は『臨時祭』〈・遷宮・天皇の即位や行幸・国家的危機の時などに実施される祭祀〉です
その中で『名神祭(Meijin sai)』の条には 国家的事変が起こり またはその発生が予想される際に その解決を祈願するための臨時の国家祭祀「285座」が記されています
名神祭における幣物は 名神一座に対して 量目が定められています
【抜粋意訳】
巻3神祇 臨時祭 名神祭二百八十五座
園神社一座 韓神社二座〈已上坐宮内省〉
賀茂別雷神社一座 賀茂御祖神社二座 松尾神社二座 稲荷神社三座 貴布祢神社一座 鴨川合神社一座 御井神社一座 葛野月読神社一座 木嶋坐天照御魂神社一座 平野神社四座 梅宮神社四座 乙訓神社一座 酒解神社一座〈亦号山崎神、已上山城国、〉
・・・〈中略〉・・・
若狭比古神社二座〈若狭国〉 気比神社七座 大虫神社一座〈已上越前国〉
気多神社一座〈能登国〉
伊夜比古神社一座〈越後国〉
出雲神社一座 小川月神社一座 麻気神社一座 櫛石窓神社二座〈已上丹波国〉
大川神社一座 篭神社一座 大虫神社一座 小虫神社一座 大宮売神社二座〈已上丹後国〉
・・・〈中略〉・・・
座別に
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5尺
綿(ワタ)1屯
絲(イト)1絇
五色の薄絁(ウスアシギヌ)〈絹織物〉各1尺
木綿(ユウ)2兩
麻(オ)5兩嚢(フクロ)料の薦(コモ)20枚若有り(幣物を包むための薦)
大祷(ダイトウ)者〈祈願の内容が重大である場合〉加えるに
絁(アシギヌ)〈絹織物〉5丈5尺
絲(イト)1絇を 布1端に代える
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『延喜式 巻3-4』臨時祭 名神祭 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 小川月神社(名神大)
[ふ り が な ](をかはつきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Wokahatsuki no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
小川月神社(亀岡市馬路町月読)の式内社の類社について
延喜式内社 山城國 綴喜郡 樺井月神社(大 月次 新嘗)(くわゐのつきの かみのやしろ)
小川月神社と同じく゛月神社゛を号する樺井月神社(城陽市水主宮馬場〈水主神社 境内〉)があります
・樺井月神社(城陽市水主宮馬場〈水主神社 境内〉)
延喜式内社 山城國葛野郡 葛野坐月讀神社(名神大 月次 新嘗)(かとのにます つきよみの かみのやしろ)
大堰川の下流は 保津峡を抜ける辺りで桂川となり 桂川の西岸には 同じく月讀命を祀る 葛野坐月読神社(松尾大社摂社)があり 関係性があると指摘されています
・月読神社(京都市西京区松室山添町)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陰本線 千代川駅から東方向へ約2km 大堰川に架かる「月読橋」を渡り南下します 車で5分程度
田の中の道の左側に木立があります

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洪水対策だろうか 石垣で盛土された地に社殿らしきものが建てられています

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応仁の頃に兵乱と大堰川の大洪水のため神域のほとんどが流出して 現在は狭少な神域となっています
小川月神社(亀岡市馬路町月読)に参着

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石垣で盛土された地に本殿があり その前方〈南側〉に拝殿(神楽殿)があります

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拝殿にすすみます

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拝殿と本殿の間には 鳥居が建てられていて 本殿の前面に神門が一体化していて 拝所となっています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして境内を戻ります

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社殿は南向きに建てられていますので 南側に廻り込み 再度一礼をします

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 小川月神社(名神大)について 所在は゛池尻村に在す゛〈現 亀岡市馬路町池尻〉と記しています
【抜粋意訳】
小川月神社(名神大)
小川は乎加波と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕小川、〔假字上の如し〕
〇祭神 天月神命
〇池尻村に在す〔盥魚〕
〇式三、〔臨時祭〕名神祭二百八十五座、〔中略〕丹波國 小川月神社一座、
類社
山城國 綴喜郡 樺井月神社の下見合すべし神位
三代実録、貞観元年正月二十七日甲申、奉授に丹波國従五位下 小川月神 従五位上
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 小川月神社(名神大)について 所在は゛今 馬路村にあり、゛〈現 小川月神社(亀岡市馬路町月読)〉と記しています
【抜粋意訳】
小川月(ヲカハノツキノ)神社
今 馬路村にあり、〔神社明細帳、式社考証、〇按 古へ大井川の流 本村の東にあり、當社は川の西 小川郷にあり、依て小川月神社と云りとぞ〕
清和天皇 貞観元年正月二十七日甲申、従五位下 小川月神に従五位上を授く、〔三代実録〕
凡 毎年二月二日祭を行ふ、〔明細帳〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 小川月神社(名神大)について 所在は゛馬路村(南桑田郡馬路村大字馬路)゛〈現 小川月神社(亀岡市馬路町月読)〉と記しています
【抜粋意訳】
小川月(ヲカハノツキノ)神社
祭神 月讀命
神位
清和天皇 貞観元年正月二十七日甲申、丹波國 従五位下 小川月神 従五位上祭日 三月二日
社格 村社所在 馬路村(南桑田郡馬路村大字馬路)
今按 丹波式内考證に本社 同郡小川村と云ひ 或は馬路村と云ふ 小川村は古の小川郷にして 村名も変ぜざれば此村の氏神 即 小川月神とぞ云べき されども須我留明神と稱し 小川月神と云説聞ゆることなく 桑下漫錄に小川月神社 馬路村あり 古は大井村 當村の東に流れ 當社は川西小川郷にありしが川筋替りて 今は池邊郷に属し也とみえ 丹波志稿にも馬路村とし 又 同村小川月神と稲する社邊の田畠を字月讀と稲すとあるを以て推せば 馬路村の方を正すとすべしと云るに從ふ
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
小川月神社(亀岡市馬路町月読)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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