小俣神社(おばたじんじゃ)は 『止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう)』〈延暦23年(804)〉に載る古社で 豊受大神宮(外宮)の摂社です 中世に頽廃するも 産土神として八王子祠と称し里人に祀られてきました 小俣神社は 寛文三年(1663)現地に一社両殿として再興されました 明治6年(1873)境内を〈神宮側・村側〉の二等分にして現在に至ります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
小俣神社(Obata shrine)
【通称名(Common name)】
・いなべの社
・稲女(いなめ)さん
【鎮座地 (Location) 】
三重県伊勢市小俣町元町1072
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・五穀豊穣の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・〈豊受大神宮(外宮)摂社〉
【創 建 (Beginning of history)】
『神宮要綱』〈昭和3年〉に記される内容
【抜粋意訳】
豊受大神宮摂社 小俣神社
鎭座地 三重縣度會郡小俣村大字小俣
殿舎
正 殿 神明造、板葺、南面・・・壹宇
玉垣御門 猿頭門、扉付・・・壹間
玉 垣 連子板打・・・壹重
鳥 居 神明造・・・壹其
右神宮司廰造替小俣(ヲバタ)神社も亦、延喜大神宮式及び神名式に見ゆ。祭神については、御鎭座本緣に宇賀之御魂(ウガノミタマ)となし、.神名祕書及び社記に宇賀神一名 稻女(タウメ)大明神とす。後世所傅を失ひて八王子祠と稱し、小俣村の産土神として奉祀せられしが、寛文三年大宮司精長其の傍に本社を造立するに至り、一は豊受大神宮の攝社として、一は地方の村社として、一社両殿の形となれり。明治四十三年村社を官舎神社に合祀し、現今本社のみを存せり。
【原文参照】
【由 緒 (History)】
『神宮摂末社巡拝』下〈昭和18年〉に記される内容
【抜粋意訳】
小俣神社(をばたじんじゃ)
離宮院防を後にして、小俣の町に入り ,舊参道を北に越えて、下小俣(しもをばた)に出ると、もと小俣の氏神樣であった八柱(やはしら)神社と相並んで、小俣(をばた)神社が鎭座してゐる。宮川外にある唯一の豊受大神宮の攝社である。
御祭神を宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と申し、小俣(おばた)の田野の五穀豊稚の守護神である。小俣を中心とする宮川の下流ー帯は、主として豊受大神宮の神主度會氏(わたらいうぢ) (もと磯部氏(いそべうぢ)といふ )によって開拓された地であるため、この神社もその地域内にある神社として豊受大神宮の攝社の中に加へられてゐる譯である。中世、社殿退轉後、村人はこれを産土神として永く守り立てて來たものであるが、寛文三年に至り、時の大宮司 大中臣清長(おほなかとみきよなが)は、ここを本社の舊地と定め、産土神の西に本社を再興し、以て今日に及んでゐるのである。
【原文参照】
スポンサーリンク
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・小俣神社〈境内の西側〉
・八柱神社(伊勢市小俣町元)〈境内の東側〉
スポンサーリンク
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
小俣神社は 豊受大神宮(外宮)の摂社です
・豊受大神宮(外宮)
スポンサーリンク
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式(Engishiki)』巻4「神祇四 伊勢太神宮」
「巻四 神祇四 伊勢太神宮」には 伊勢大神宮式が述べられています
この式は 伊勢大神宮および豊受大神宮に関する諸規定を集めたもので 伊勢大神宮に属する三箇神郡 (度会・多気・飯野郡)に関する規定が含まれ 年中の儀式とその祭料が記されています
゛神宮の諸社が 祈年 神嘗祭に並預゛と記されます
【抜粋意訳】
伊勢太神宮
太神宮三座。【在度會郡宇治鄉五十鈴河上。】
天照太神一座
相殿神二座
禰宜一人,從七位官。大內人四人,物忌九人。【童男一人,童女八人。】父九人,小內人九人。荒祭宮一座。【太神荒魂,去太神宮北二十四丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗、神衣等祭供之。伊佐奈岐宮二座。【去太神宮北三里。】
伊弉諾尊一座
伊弉冊尊一座月讀宮二座。【去太神宮北三里。】
月夜見命一座
荒魂命一座瀧原宮一座。【太神遙宮。在伊勢與志摩境山中。去太神宮西九十餘里。】
瀧原並宮一座。【太神遙宮。在瀧原宮地內。】
伊雜宮一座。【太神遙宮。在志摩國答志郡。去太神宮南八十三里。】
右諸別宮,祈年、月次、神嘗等祭供之,就中瀧原並宮。伊雜宮不預月次,其宮別各內人二人。【其一人用八位已上,并蔭子孫。】物忌、父各一人,但月讀宮加御巫、內人一人。度會宮四座。【在度會郡沼木鄉山田原,去太神宮西七里。】
豐受太神一座
相殿神三座
禰宜一人,【從八位官。】大內人四人,物忌六人,父六人,小內人八人。多賀宮一座。【豐受太神荒魂,去神宮南六十丈。】
內人二人,物忌、父各一人。
右二宮,祈年、月次、神嘗等祭供之。
凡二所太神宮禰宜、大小內人、物忌,諸別宮內人、物忌等,並任度會郡人。【但伊雜宮內人二人、物忌、父等,任志摩國神戶人。】諸社卌座
太神宮所攝廿四座
朝熊社 園相社 鴨社 田乃家社 蚊野社 湯田社 大土御祖社 國津御祖社 朽羅社 伊佐奈彌社 津長社 大水社
久具都比賣社 奈良波良社 榛原社 御船社 坂手國生社 狹田國生社 多岐原社 川原社 大國玉比賣社 江神社 神前社 粟皇子社度會宮所攝十六座
月夜見社 草名伎社 大間國生社 度會國御神社 度會大國玉比賣社 田上大水社 志等美社 大川內社 清野井庭社 高河原社 河原大社 河原淵社 山末社 宇須乃野社 小俣社 御食社右諸社,並預祈年、神嘗祭
以下略
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1273518/1/70
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)度會郡 58座(大14座・小34座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 小俣神社
[ふ り が な ](をまたの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Womata no kaminoyashiro)
【原文参照】
スポンサーリンク
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』について
延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)は 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に関する儀式書『皇太神宮儀式帳』と豊受大神宮(外宮)に関する儀式書『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)を総称したもの
平安時代成立 現存する伊勢神宮関係の記録としては最古のものです
両書は伊勢神宮を篤く崇敬していた桓武天皇の命により編纂が開始され
両社の禰宜や大内人らによって執筆されました
皇大神宮と豊受大神宮から 神祇官を経由して太政官に提出されて
延暦23年(804)に成立しました
小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉は『止由気宮儀式帳』(とゆけぐうぎしきちょう)〈延暦23年(804)〉に載る 古社です
内宮・外宮の別宮・攝社・末社・所管社について
お伊勢さん125社について
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR参宮線 宮川駅から県道428号経由で東へ約1km 車5分程度
境内の南面には 高い生垣があります
南面には 神社への入り口が二つあり
西側は 小俣神社
東側は 八柱神社となっています
八柱神社(伊勢市小俣町元)に参着
一礼をして 三連の鳥居をくぐり抜けます
その先には「不浄除け」「透垣」「籬」などとも呼ばれる゛蕃塀(ばんべい)゛があり さらに四つ目の鳥居が建ちます
四つ目の鳥居の先には 拝殿が建ち 白玉砂利の敷き詰められた御敷地には 正殿が祀られています
拝殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 小俣神社へ向かいます
小俣神社は 宮川外にある唯一の豊受大神宮の攝社です
小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉に参着
神宮司廰の立札がある参道を 一礼をして進みます
社殿は 南向き 東西に御殿地と古殿地が並んでいます
古殿地(こでんち)は 社殿の隣の敷地〈20年ごとの式年遷宮の殿地となる場所で 次の式年遷宮を待ちます〉
正殿にすすみ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 小俣神社について 所在は湯田郷小俣村に在す〈現 小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
小俣神社
小俣は乎万太と訓べし
〇祭神 宇賀御魂稲女神
○湯田郷小俣村に在す、〔神名略記〕一名 稻女大明神と称す、
○式四、〔伊勢大神宮〕渡会宮所攝十六座の第十五に載す、
○御鎮座本紀云、宇賀之御魂稻女神、今號に小保神社也、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 小俣神社について 所在は湯田郷小俣村にあり 八王子社と云〈現 小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
小俣(ヲマタノ)神社
今 湯田郷小俣村にあり、八王子社と云、神名秘書、神境紀談、神名帳考土代、
醍醐天皇 延喜の制、祈年神嘗祭に預る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 小俣神社について 所在は三重縣湯田郷小俣村産神域内〈現 小俣神社〈豊受大神宮(外宮)摂社〉〉と記しています
【抜粋意訳】
小俣神社
祭神
祭日 六月九月十二月並十八日
社格 外宮所攝十五所之一 (外宮攝社 )所在 三重縣湯田郷小俣村産神域内(度會郡小俣村大字小俣)
【原文参照】